Reflect④
「あなた、とても綺麗な色してるのね」
私を見つめて一人の幼い少女が笑っている。長く綺麗な黒髪を持つ美しい彼女。彼女は私の二番目の主だった。最初の主が病で死んだ後、その娘である彼女が私を形見として引き取った。彼女は私をとても大切に扱ってくれた。だから、私も彼女を愛したいと思うようになった。
彼女が笑っている限り、私も共に笑っていられる。私と彼女は一心同体で私は彼女の分身。彼女の瞳が私を映す時には、私も彼女の姿を映し出す。彼女が成長していくごとに、私に映し出される彼女の姿も成長していった。家族や友人と過ごした日々の些細な出来事を語りながら、無邪気に笑う彼女のことが私は本当に大好きだった。彼女が幸せに笑っていられる未来の姿を私は見ていたかった。
なのに、どうして。彼女は。彼女の運命は……。
赤く染まった彼女の虚ろな瞳はもう私を映さない。残された私だけが無残に引き裂かれた彼女の姿を映し続けている。彼女はもう二度と笑わない。彼女にこの先の未来はもう二度とやって来ない。それだけはどうしようもなく分かってしまう。
どこかで誰かが泣いている。幼い子供の泣き声が特別に響いて聞こえて来る。私が彼女であったなら、泣かないで、と声を届かせる事が出来たのだろうか。彼女が愛した幼い子供を抱き締める事が出来たのだろうか。共に彼女の事を想い、涙を流して寄り添う事が出来たのだろうか。
『私』には何も出来なかった。『私』はただ、そこにいただけだった。彼女から未来を奪った者を『私』は絶対に許さない。復讐を遂げるその瞬間まで『私』は……。
***********
ガシャンと鏡の割れる音がまた響いた。しかし、現実の鏡そのものは一向に割れてはいない。ただ、鏡の中に存在していた異質の何かを覆い隠していた透明な壁のようなものが割れただけだ。
その事を広瀬も茅野も分かっていた。
鏡に纏わる事象については一任されているとはいえ、あの大音量で響き渡った異様な破壊音に、家中の人間が誰も様子を見にやって来ないというのはやはりおかしい。恐らくはこの鏡の置かれた部屋そのものが、異質のモノの空間に既に組み込まれてしまっている。
「絶対こういう展開になると思ってたんだよ……だから、広瀬と組んで動くのは嫌なんだ」
「ええ―、でもあの人は俺が呼んだんじゃないよ?」
「お前が自分から怪奇現象の類に首を突っ込んでおいて、何も起きない訳がないだろ、自分の体質を自覚しなよ」
いや、自覚した上でのこれなのか。
異質のモノに惹かれる広瀬と、異質のモノに引かれる茅野の体質。それを分かっていた上でこの二人を毎度コンビとして怪奇現象の現場に送り込む『雇い主』の思考にこそ問題があるのだろう。
「どっちにしたって何とかしないと、この部屋からだって出られないよ」
「そんなのは言われなくても分かってる……ちなみにお前はどうする気?」
こういう時に広瀬という生き物の思考回路を理解しようと思ってはいけない。三年の付き合いの中で、茅野はそれを嫌と言う程に学んでいる。ただし、突然の奇行に走られるぐらいなら、考えの一端ぐらいは把握しておいた方がマシなのだという事も経験として知ってしまっていた。
「まあ、とりあえずは相手の事を知らなくちゃあ、何も出来ないよね……というわけだから、ちょっと行ってきますよっと」
その一言を残して、異質の権化となった鏡の中に、広瀬は迷いなく飛び込んでいった。
「……これだから、俺はお前を理解出来ないんだよ……」
というより絶対に理解などしたくはないのだった。あんな珍獣バカの事は。
広瀬の消えた鏡の向こう側には、広瀬の姿も黒髪の霊の姿ももう見えない。この現象の根源は広瀬が飛び込んだ鏡の奥に在るのだろう。だからと言って、茅野には広瀬の後を追うつもりはない。そもそも追う余裕など無かった。
突如、背後から出現した黒い靄のような何かが茅野に食らいつくようにして飛びかかってくる。それを茅野は懐に潜ませていた呪符付の小刀で切り裂いた。見渡せば多くの異質のモノがこの部屋の中に集まってきてしまっている。姿形がくっきりと見える霊体から曖昧な靄のような念の塊まで。鏡の中が異質の支配する空間ならば、鏡の外であるこの部屋も既に異質が蔓延る空間になっているのだ。
この空間そのものが異質のモノ共の暴走によって壊されないように。嫌でも向き合うしかないというわけだ。逃げようの無いこの状況に追い込まれた事に、茅野はただ深い溜息を吐くしかなかった。
鏡の継承者である依頼人の少女は、この家の家族は……本当に気づいていなかったのだろうか。鏡だけでは無い、この部屋そのものの明らかな異変に。
「……まあ、本当に気づいてなかったなんて事はないんだろうな」
映る異変と映らない異変なら、映る異変の方が目を引くだろう。目に見える異変を種に、目に見えない異変が蔓延っているこの異質の部屋の存在は、この一か月間で生み出されたものだとは到底思えない。
さて……広瀬が彼女と出会ったのは、本当に「たまたま」の出来事だっただろうか。
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