二〇二七年 八月二五日 午後八時四三分

 日本帝国 愛知県 名古屋市


 そこは慣れ親しんだ世界であった。


 何度も繰り返し訪れ続けて、いつしか原風景にまでなった世界。その色も音も臭いも肌触りも、脳裏に浮かぶ彼方の記憶と照らし合わせることができた。


 例えば爆ぜる火の粉の朱さと熱さ。例えば眼と鼻の奥を刺す煙の痛み。


 例えば火の粉が焦がす人型の黒さ。例えば耳朶を揺らす叫び声と砲声。


 十六年前、ボロ雑巾のようになった生体です知覚したその風景を、今度は鋼鉄の躯体と科学技術の粋たる感知器機構センサーシステムで知覚する。


 だがその風景の本質は変わらない。


 破壊と暴力と混沌。天高く築き上げた文明の力で高純度の悲惨を具現したいと希う、人間の捨てられない性。敵と味方とを峻別し、後者のためなら生命を投げ打っても惜しくはないと進軍する人の本性。


 荒谷もまたその全体の中の一部となって、炎に包まれた街を疾駆する。瓦礫の散らばる路面を強靭な脚部で踏み越える。多賀城部隊は三方向から名古屋基地を目指していた。荒谷の随伴する第1中隊が短距離弾道弾で倒壊した高層ビルの残骸を迂回した瞬間、彼らの戦術情報網データリンクに敵部隊の存在が表示された。


『八時の方向、敵機動歩兵二個小隊―― WB―32フリーダムゾーンC!』


 所属部隊のほとんどが日ソ連合軍との決戦で出払った現在、この戦場における敵戦力の中核は在日米軍と帝国海軍名古屋鎮守府の基地守備隊だった。総勢一個機動歩兵連隊程度。東西の戦力は伯仲していた。


『第6小隊は戦列から離脱! 敵の遅滞戦闘に努めて我が侵攻路の側背を死守せよ!』


『了解。聞いたな、同志諸君! 党と人民への忠誠を示すは今ここにおいてである! 鬼畜米帝に目にもの見せよ! 第6小隊、全機散開!』


『『『了解!!』』』


 その瞬間、後方で対地誘導弾ミサイルの着弾音が連鎖した。まだ無傷だったビルが盛大な音を立てて倒壊し、後続部隊の一部が巻き込まれて戦術情報網データリンクから消滅する。四日市方面に逃れた敵の砲兵部隊か、あるいは帝国海軍の琵琶湖艦隊だろう。多少の犠牲を飲み込んだ砲撃だ。敵も最早なりふり構ってはいられない。


 荒谷が位置するのは突撃陣形中央後方という最も安全な位置だ。それは、彼がこの作戦の真の中核だからであり、彼を甲目標へ届けることがこの名古屋攻勢の隠された最終目標だからだ。無論、その事実を知る者は多賀城部隊の中でも限られている。彼らはただ、荒谷一路という正体の分からぬ異物を任務に随伴させているに過ぎない。それは反応兵器に関する極めて機微な情報を保全するため取られた処置だった。


『敵機多数! 出現地点は―――― 陣形中央⁉』


 それゆえ、眼前に突如としてその敵の一群が出現したとき、荒谷が頼ることができたのは己のみだった。


『下水道に潜伏していやがったのか!奴ら死ぬ気だ、畜生!』


『狼狽えるな!! 先頭部隊は速度を落とさず突撃を続行! 第1小隊は反転、第3小隊と共に敵を包囲殲滅! 友軍誤射に注意せよ! 後続部隊は両翼を抜けていけ!』


『『『『『『了解!』』』』』』


 隊員達が一挙に散開し陣形を組み直すのを思考の端に置きつつ、荒谷は背部兵装懸下装置バックガンマウントから震動刀を抜く。前方十二メートル、重機関銃M2を構えた機動歩兵が一体。既に銃口をこちらへ向きつつあるが、この距離であれば振動兵装のほうが速い。


 二歩で肉薄。鍛錬の果てに自動化された逆袈裟の切り上げ。


 だが敵の判断も早かった。間に合わぬと理解した瞬間に後退跳躍バックステップ。手放した機銃を荒谷の震動刀が叩き切る間に己も震動刀を抜き、抜刀の速度を腕部第一関節のトルクで居合いに転化する―――― 。


「!」


 両者の震動刀が真っ向から切り結び、金属質な音が響き渡った。そこで初めて荒谷は、眼前に立つ相手の正体に気付いた。


 水陸両用作戦を想定した防水仕様の機体。WBJ― 4N激浪。敵は帝国海軍陸戦隊だ。


 幾度か切り結んだ後、荒谷は敵の力をいなすようにして側面へ回る。搭載筋肉量が違う以上、真正面から戦っては不利だ。だが敵はその練度でもって鈍重な義体を精妙に操り、アクーラのずば抜けた機動性に防性ながら追随してくる。


「貴様らが―――― 」


 鍔迫り合いの過負荷で切れ味を失った振動刀を両者が捨て、二太刀目を抜いたとき、荒谷の収音感知器センサーを貫く声があった。


「貴様らが十六年前に侵略さえしなければ!』


 憤怒と悲嘆に震えるその声の出所は、眼前の義体化兵のスピーカーだった。溢れんばかりの負の感情。それを込められた斬撃が荒谷の正面装甲を擦過する。


「攻め込む必要はなかったはずだ! そうであれば帝国もここまで狂わずに済んだ! これほどの死体を積み重ねることもなかった! なぜだ⁉ 同じ日本人同士で何故殺し合わねばならない⁉」


「………… 」


 荒谷は帝国人だ。帝国で生まれ育ち、人民軍の攻撃に巻き込まれて故郷を失った。だがその後、四年以上の歳月を人民共和国で過ごす中で男の慟哭の答えを知った。


 帝国が人民共和国を恐れているように、人民共和国もまた帝国を恐れているのだ。


 向こうの日本人達は十六年前の戦争が帝国の先制攻撃で始まったと思っている。それは党の流布したプロパガンダの産物だが、それが人民に受け入れられたのは根強い恐怖心があったからだ。大東亜戦争後、半世紀の分断で凝り固まった相互不信と対立。党がプロパガンダを流してまで戦争に打って出たのも、冷戦というその対立構造の故だった。巨大な社会の複雑さと遠大な歴史の流れの中で、明瞭な責任は因果とともに無限遠の彼方へと後退していく。


 その上でどちらも思っている。同じ日本人同士で何故殺し合わねばならないのか、と。


 そして、荒谷も知っていた。だから応えるしかなかった。


「―― ここはそういう世界だったんだ」


 彼の震動刀が波濤の正面装甲を貫き、防殻シェルをも貫いて脳髄の機能を停止させた。


 震動刀を引き抜くと、力を失った敵の機体が傍らの陥没穴へと落ちていった。破断した水道管が作った水溜から盛大な水飛沫が上がる。濁った水の上で揺れている腕は軍人か、民間人か。腕だけとなっては判別のしようがない。


 戦術情報網データリンク上、敵は殲滅されつつあった。こちらにも多少の損害は出たようだが、部隊は名古屋基地への侵攻を再開している。先頭部隊は既に敵の最終防衛線と衝突したようだ。


 走っても走っても、この破壊と暴力の光景はどこまでも続く。


 ここだけではない。今だけではない。この歴史だけではない。


 人間はあらゆる時代のあらゆる場所で、あらゆる歴史で斯様な存在様式を示し続けてきたのだ。


 多種多様で画一的な風景が荒谷の脳裏へ次々に去来する。異なる歴史を積み重ねて来た街々が全て等しく炎に包まれていく。多様に豪華絢爛な建物が画一的な瓦礫へと還っていく。色取り取りの服に身を包んだ人々が赤黒い肉の塊へと還っていく。


 人間は、変わらない。

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