二〇二七年 八月二五日 午後八時三分

 日本帝国 愛知県 名古屋市 市街地


 市街北東部高空で撃墜された―Il76MMDは高度を下げつつ西進し、大量の破片と搭乗者の残骸を撒き散らしながら港湾部に墜落した。失われた総数は三機、四機……まだ増える。降り注ぐ火の粉が地対空誘導弾パトリオットと共に夜空を朱に彩った。


 それを見上げながら、降下に成功した古閑は各中隊から届く損害報告に耳を傾けていた。


『第1中隊、隷下全小隊降着。損害四、大破三』


『第2中隊、第5小隊輸送機が敵対空誘導弾ロケットの攻撃で墜落。搭乗員の半数が死亡』


 やはりか。作戦計画を遥かに上回る損耗率に、古閑は内心でそう納得する。輸送機の扉が開く以前から、アクーラの高感度な音響感知器センサルは異常を察知していた。即ち、敵対空誘導弾ロケット部隊の一斉攻撃という異常を。


 確かに敵地上部隊の主力は既に名古屋から引き摺り出されていた。日ソ連合軍の第二梯団を迎え撃つためだ。第1空挺師団と多賀城部隊だけでも十二分に渡り合えただろう―― 戦力が十全なら。


 だが、肝心のこちらの空挺部隊が降下前に大損害を受けてしまった。名古屋は留守などではなかったからだ。高射砲や対空誘導弾ロケット、そして迎撃戦闘機から成る日米連合の防空網は、壊滅してなどいなかった。たとえ健在とは言い難くとも、こちらに損害を与えるには十分な程度には機能していたのだ。敵火力の濃密な地点を通過した第1空挺師団左翼の被害は悲惨の一語だった。


「…… 何が敵の防空網は機能していないに等しい、だ」


 そう強く吐き捨てる。三日三晩に渡る砲撃の間、敵は防空戦力の一部を避難させていたのだろう。それ自体は不可解なことではない。問題は、戦略参謀本部がそれを知らなかった、否、恐らく知っていて隠蔽したことだ。


 多少の犠牲は承知の上で、戦略全体の滞りない推移を優先した。


 それゆえ兵士達に事実を伝えないという戦略的判断を下したのだ。


「…… クソが」


 だが怨嗟の向かう先は軍上層部だけではない。その発表を鵜呑みにして部下達に繰り返さざるを得ない、己自身に対してでもあった。


 十六年前、自分は陸軍軍曹として帝国空軍岐阜基地への空挺作戦に従事した。帝国軍は潰走しつつあり抵抗は微弱、極めて容易な任務である。大隊長のそんな言葉は、戦場の現実と一致しない政治的判断の産物だった。結局、第1機動歩兵大隊は任務を達成するために多大な損害を出すことになった。それが古閑の第一次日本戦争だ。当時は反射的に大隊長を恨んだものだが、


 ―― 今はあんたの気持ちがよくわかりますよ、同志少佐。


 命令は絶対であり、抗命は死罪であり、軍を指導する党は無謬だ。個々人に取り得る選択肢は、その原則に規定された空間の中に収まっており、状況次第では愚鈍になるよりマシな選択肢が存在しないこともあるのだ。


 だが、それでも。


『第3中隊、隷下全小隊降着』


『隊長、全部隊揃いました。いつでも行けます』


 傍らの副長の言葉に頷きを返し、古閑は全部隊に共有回線で呼び掛けた。


『傾注。同志諸君、よくぞ生き残った。だが未だ任務は端緒についたばかりだ。これより我々は、米帝占領軍名古屋基地の反応弾研究施設―― 甲目標を占拠する』


 仮に愚鈍になるよりマシな選択肢が存在しなかったとしても、最もマシな愚鈍を目指すべきだ。それが、十六年前に生き残って英雄になってしまった自分に課された責であり罰だと、古閑浄は信じている。


 だから彼は、己が十六年前に抱いたのと同種の疑念や不信を部下達が抱かないよう叫んだ。そうした疑念や不信を忘れるべきでないとしても、今この瞬間だけは生き残ることの妨げになるからだ。


『太平洋と東亜に散った父祖達の恥辱を晴らせ! 東海道に散った同志達の無念を晴らせ! これは日本人民共和国の総力を上げた弔い合戦である―― 人民党万歳!』


 ソ連製の新鋭義体が、名古屋の各地で電動機マトールの駆動音を鳴らした。

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