二〇二七年 八月二五日 午後七時二一分

 日本人民共和国 千葉県 成田市 成田空軍基地


 ジェットエンジンの甲高い轟音が荒谷の収音感知器センサーを塗り潰す。滑走路を次々と飛び立っていく鋼鉄の猛禽達。直線的な印象のSu―24M、頭でっかちで不格好なSu―25Ya、機種のラインが優美なSu―42Ya。この三日間、日本人民空軍が保有する攻撃機は、カビの生えた旧式機から新鋭機まで総出で発進ソーティ数を積み上げ続けていた。その目標はここから西方三〇〇キロの名古屋へ飛び、展開する日米連合軍とその防空網に対し空対地誘導弾ミサイル無誘導爆弾ダムボムの雨を降らせることだ。


 その様子を今、自分は帝国内務省の開発した義体の統合感知器センサーで観測している。数奇な巡り合わせだ。そう荒谷は思う。四年前、自分と共に台湾、インドシナを経由して軍事境界線を超えた月影は、ソ連の設計局でのリバースエンジニアリングと大幅な改良の後、Ne―99アクーラとして日本列島へ戻ってきた。そして再び、今度は北日の輸送機で軍事境界線を越えようとしている。


 黄色い電灯に照らされた格納庫の内部には空挺用大型輸送機Il- 76MDDがずらりと並ぶ。その尾部にぽっかりと空いた口のような後部ハッチにアクーラが次々に吸い込まれていく。多賀城部隊戦闘隊の隊員達だ。総数二六〇機。三個機動歩兵中隊に相当する戦力である。その背部兵装懸下装置バックガンマウントは落下傘を収納した空挺仕様に変更されている。


 軍用義体に個性はない。身長も体格も造作も、全てが機能性の一点に向けて集約され、規格化されている。外部から個人を同定する唯一の根拠は動作に滲み出る癖だが、それもこの数になれば抹消される。戦術情報網データリンクで結ばれた彼らは一個の完成された兵器システムだ。


 荒谷もまた、その群体の一部となって輸送機に乗り込んだ。


 軍用義体としては最小の部類とはいえ、アクーラを着ていると貨物室内部は手狭だ。直立すれば背部兵装懸下装置バックガンマウントが天井を擦りそうになる。生身の歩兵なら一六〇人以上を収容できるその空間に、収まる機動歩兵の数は一個小隊二四名。よって多賀城部隊を輸送するIlー76MDDの総数は十一機である。その五番機に最初に乗り込んだ荒谷は、貨物室の最奥まで進むとハッチ方向へ振り返った。機体後方を向いたまま天井からステンレスの固定金具を引き下ろすと両肩で留め、全身の関節にロックをかけて姿勢を固定する。荒谷の後から乗り込んだ隊員達も同様に姿勢を固定していく。人体のような肉体疲労とは無縁な彼らの身体は、降下に最適な姿勢のまま戦闘車の如く空中を輸送されていくのだ。


 二四名が二列に分かれて乗り込み終わった後、ハッチが閉鎖された。窓もなく閉ざされ非常ランプだけが照らす空間に静寂が満ちる。居並ぶ義体化兵達は微動だにせず、通信回線も静まり返っていた。


 機体が滑走路へ移動を始めた頃、戦闘隊の共有回線を深い男の声が走った。


『多賀城部隊戦闘隊の同志諸君、隊長の古閑少佐だ。出撃の前に諸君らに現在の祖国解放戦争の戦況を伝える。一部に極めて機密度の高い情報も含まれるが、その開示は諸君らの任務の枢要さ、政治的信頼性の高さを踏まえた党からの激励である。一度で頭に叩き込め』


 隊員達の戦術情報網データリンクに関東圏から畿内にかけての地図が表示される。そのかしこに点在する南北日本と米ソの部隊。十一日前のソ連軍の大攻勢とその後の断続的な戦闘で、戦線は列島の南北両方で既に軍事境界線の西側へ押し込まれている。日米連合軍が構築した防衛網に対し、日ソ連合軍が加えている攻撃を表す矢印は大きく三本だ。


『三日間に渡る攻撃準備射撃の後、我が日本人民軍と駐日ソ連軍は、結集した地上軍戦力でもって十四時間前に総攻撃を開始した。戦線は三つ。富山から福井を目指す北陸正面、高山と飯田から岐阜を目指す中部正面、豊橋から名古屋を目指す東海道正面である』


 地図が三河湾と伊勢湾を中心とするものに変わる。日ソ合同臨時前線司令部は地図の右端、浜松に設けられていた。その指揮下に置かれているのは人民陸軍の四個機械化歩兵師団、第3機甲師団、第1、2攻撃回転翼機ヴィルタリョート航空団、第1統合戦術ロケット軍団、そしてソ連の第31戦車軍だ。ソ連軍が主力となっている北陸や中部と違い、この東海道正面には人民陸軍の残存戦力の過半数が集められている。人民軍の機動歩兵部隊はソ連参戦以前の激しい戦闘でほぼ壊滅状態であり、山岳戦の想定される北陸や中部での戦闘は困難と考えられたためだ。


 地図の左方、名古屋市の一角が青く強調され、その手前に二本の円弧が描かれる。


『この東海道正面において、敵は米帝占領軍の拠点となっている名古屋を防護するように二重の防衛線を設けていた。神戸政権軍残存部隊を主力とする岡崎平野外縁部の第一防衛線、米帝占領軍を主力とする知多半島手前の第二防衛線だ。これに対し我が方は、人民軍部隊から成る第一梯団が既に岡崎で敵防衛戦に突破口を啓開、後続部隊によるその拡張に成功した』


 人民軍を表す矢印が開いた小さな穴。それをこじ開けるように、より大きな矢印が豊橋から防衛網へと伸びつつあった。


『このソ連第31戦車軍を主力とする第二梯団が二時間前に出撃、現在、知立で米帝占領軍と交戦している。その目標は第二防衛線の突破並びに名古屋市街地の占領だ』


 二本の矢印を飛び越えるように、東方から伸びた三本目の矢印が名古屋市を直撃した。


『これが我々である。我が部隊は浜松臨時司令部隷下の空挺軍第1空挺師団と共に名古屋市街へ空挺降下―― 第二梯団への前進防御で手薄になった拠点を一挙に叩く』


 そして、己の言葉が浸透するのを待つ数秒間を置いてから、古閑はこの十日間何度も繰り返した作戦目標をもう一度口にした。


『我が部隊は最重要目標である名古屋基地を占拠する。これは三日間続いた一連の大攻勢作戦の総仕上げであり、北陸から東海道までの全戦線で抵抗する米帝占領軍の壊滅を期す戦闘であり、今次戦争の趨勢を決定付ける極めて重要な任務である』


 その言葉を聞いた荒谷の脳裏にかつての光景と感覚が蘇る。


 あの煉獄のような光景こそが、彼が生まれ持った肉体で知覚した最後の世界だ。二〇一一年四月七日の帝国領愛知県名古屋市。彼の人生を不可逆的に変えたあの破壊を、今度は己があの街にもたらす。


 今度は全てを取り戻すために。

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