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 二〇二七年 八月一四日 午前九時七分

 日本人民共和国 千葉県 成田市 成田空軍基地


 成田基地は航空戦の最前線であった。滑走路にはひっきりなしに人民空軍の戦闘機や輸送機、偵察機が着陸し、また虚しいほどに青い空へ飛び立っていく。新鋭戦闘機

Su―47MYaの中には、その特徴的な前進翼から黒煙を上げているものもあった。


 この状況が示しているのは、戦線が既に関東近郊まで迫っているという事実だ。


「…… 十六年前と同じだな」


 基地守備隊隊舎の二階廊下、古閑大尉は窓から身を乗り出して呟いた。その視線は滑走路を超えて西方、都心部の方に向けられている。


 途中で通過した都心部は酷いものだった。どこの駅でも駅舎の前には避難民が列をなし、人民兵団の男達がそれを怒鳴りつけていた。緊張した顔の若い動員兵達を満載した列車を見た。BM―27の車列を見た。混乱が広がらぬよう群衆に睨みを利かす公安の義体化兵を見た。


 全て十六年前を彷彿とさせる光景だった。あの一年続いた戦争の末期、人民軍は帝国軍に押し返され、北では柏崎、南では小田原まで戦線は後退した。この柏崎― 小田原線こそが帝国の主張する軍事境界線の変更案だ。関東山地の半分以上を帝国領にし、関東平野という柔腹を差し出せという要求。無論、人民共和国としては飲めるわけのない案だ。


 しかし、飲もうと飲むまいと、現在の戦況がそれに限りなく近いというのは否定できぬ事実だった。党の発表では帝国軍は富士で食い止められているらしいが、ならば中央軍管区の動きがこれほど慌ただしいわけがない。本当は箱根さえ落ちているのではないか。


 政治的合理性が軍事的合理性を凌駕する。それが、古閑の知る日本人民軍の姿だった。


「…… ああ?」


 そのとき、古閑の意識は視界の端に映った黒煙に惹きつけられた。見上げれば、

Suー47MYaが片方の主翼から煙を出しながら着陸しようとしていた。ただでさえ安定性に欠いた機体がフラフラと頼りなげに揺れる。よく見れば火も出ている。ガクンっと何かに躓いたかのように姿勢を崩し、


「おいおい…… 」


 機首から滑走路に激突して粉々になった。部品を撒き散らしながら何十メートルも横滑りした挙句、爆発して停止する。落下傘は見えなかった。飛行士は脱出できなかったようだ。


 戦況は芳しくないように見える。本当にM 2号作戦とやらは決行できるのか。


「一六年前はソ連がここらで停戦を呼び掛けたんだがな…… 」


 放水車が駆けつけて水を撒き始めるのを尻目に窓に背を向ける。すると、廊下の先で自分と同じように窓の外を見る姿があった。それが誰か分かると、古閑は歩み寄って声を掛けた。


「不安か、同志伍長」


「!」


 古閑に気付いた相手は慌てて姿勢を正すと、どこかぎこちない敬礼をした。


「い、いえっ。戦意満ち溢れるばかりであります、同志大尉殿!」


 保延伍長の声は、まるで全身義体化直後のように酷く音割れしていた。よほど緊張しているのだろう。まだ新米の彼女が突然、戦闘隊長たる大尉に話しかけられたのだから無理もない。古閑は答礼を返しつつ楽にするよう告げ、言った。


「それは結構だが、戦意と不安は両立するものだぞ。むしろ不安なき戦意は無意味な死をもたらす。兵士なら不安を忘れるな」


 保延の表情が驚きと納得、安堵の入り混じったものに変わる。


「はい!」


「それで、不安か」


「…… それは、まあ。初めての実戦ですから」


 今度は正直にそう応えた。爆発炎上する戦闘機を見つめる彼女の横顔には、不安がありありと影を落としていた。だから古閑は彼女に話しかけたのだ。だが、彼女の不安の原因はそれだけではないだろう。


「同志伍長は東京は初めてか」


「はい」


「思っていたのと違っただろう」


「………… 」


 人民党の発表とは全く違う、混乱と悲哀に包まれた首都の姿。敗戦という文字を彷彿とさせるその景色は、初めて北方を出た彼女にとっては二重の意味で衝撃的だったはずだ。東京という街の巨大さに対する国農人民としての衝撃と、人民党の宣伝の空疎さに対する兵士としての衝撃。上京と初実戦が別だった古閑の場合、その衝撃は二回に分けて来たが、彼女は一度でまとめて叩き込まれた。


 図星を突かれて沈黙していた保延は、やがておずおずと応えた。


「なんというか…… その、戦略的判断が働いているのは、理解しています」


「戦略的判断か。言い得て妙だ」


 古閑は窓の外を向く。戦闘機から出ていた火は既に消し止められていた。夏の朝の空気とミンミンゼミの声、水撒きの組み合わせは、ここが戦時下の空軍基地という事実を除けば笑えるほどに牧歌的であった。


「だがな、同志伍長。俺たちの戦場はその戦略的判断とやらの連続だ。それはときとして俺たち個人の判断と衝突を起こす。そこにどう折り合いをつけるかが、人民軍兵士の実戦的な技術であり知恵だ。これは訓練隊や教導学校じゃ教えてくれん。だから、ここを取り違えた奴から死んでいく」


「………… 」


「ま、取り違えずとも死ぬ奴は死ぬが」


 古閑は改めて保延と真正面から向かい合い、この同郷の新兵に話しかけた目的を果たす。


「だから死にたくなければ最低限、それを意識しておくことだ。上官の訓戒というよりは同郷のよしみでの忠告だと思っておいてくれ」


「…… はい!貴重なご忠告、感謝します!」


 頷いた古閑は敬礼し、その場を立ち去ろうとした。もう話すことはない。だが、その背に不意に声がかり、彼の足を止めた。


「あの、同志大尉!」


 古閑が振り返ると、保延は最初と同じような緊張した面持ちであった。


「自分は…… 同志大尉と同郷であります。だから、幼少より報道や社映で同志大尉のことは存じておりまして、その…… 」


「………… 」


「覚えていただいて、光栄であります!」


 そのあまりに純朴な言葉に、古閑はつい笑いそうになってしまった。巧みな操練技量でその感情を義体の動作と切断し、真面目な顔で答える。


「たかだか百人の戦闘隊だ。部下のことを把握するのは隊長の責務だ。優秀な部下であれば、尚更な」


 傍目にも分かる喜びを浮かべ、彼女は背筋を伸ばした。


「同志大尉殿のご期待に応えられるよう、秋田第23国農の誉となれるよう、良き人民軍兵士たれるよう全力を尽くします!」


 そうして二人は別れた。去り行く同郷の部下の背中を一度振り返って見ながら、古閑は一転して陰鬱な口調で呟いた。


「良き人民軍兵士、か」


 古閑と保延が共に徴兵から兵卒になったのは、ある意味偶然ではない。


 北方国農地域は、他の地域と比べて徴兵の割り当てを多く受けている。人民党は公言していないが、軍隊に長くいれば誰でも気づくことだ。前世紀末からの農業機械化の進展で、国農では労働力が余っている。東京や仙台、新潟といった都市部と並んでその受け手になったのが軍隊だった。特に日本戦争以降は酷い。女の徴兵が始まったのは知っていたが、あの歳で全身義体とは。全身義体者は文字通りの意味で親にもなれないのだ。その重さを軍は彼女に、今戦闘隊にいる新兵達に教えたのだろうか。


 だが良き人民軍兵士たること、良き革命戦士たることを圧倒的な善として叩き込まれた戦後世代に、古閑の苛立ちは伝わらないだろう。彼らにとっては今の人民共和国こそが基準なのだ。日本戦争後、人民党の内紛で大嶋雄理のような革新党員が覇権を握り、過激化した今の祖国こそが。


 昔から碌でもない国ではあった。だが、自分が兵士になったばかりの頃は、もう少しマシな国だったはずだ。


「…… 俺も、歳とったかね」


 こんなことで下の世代を批判するとは


 どうにもならぬことだ。二等兵から出世したとはいえ、彼は陸大も出ていない大尉にすぎない。国家の政治や戦略を左右できる立場ではない。だが、それでもここは己の祖国なのだ。ならば、己がそうあるべきと信じる良き人民軍兵士たるために、同郷の後進を一人救うくらいのことは。

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