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 二〇二七年 八月一四日 午前五時二三分

 日本人民共和国 福島県 須賀川市 列島大縦貫鉄道本線上


 列車が揺れるごとに古びた座席のバネが酷く軋む。随分と古い車輌らしい。木の床には油染みが浮き、天井の隅には蜘蛛が巣を張っている。一応、鉄道省ではなく軍事省兵站局管轄の軍用列車らしいが、車輌基地で埃を被っていたものの標識を貼り替えただけなのは明らかだった。


 窓の外を見つめる保延の頭は、しかしそんな寂れた車内とはそぐわぬ情熱に震えていた。彼女に見えている光景は初の実戦と祖国の危機だったからだ。


 自分の五年の軍務と訓練が、否、この二三年の人生が今から試されるのだ。


 無論、憂慮の情も多少はあった。だが高揚が勝っていた。。自分達が駆り出されるのは今から一大攻勢に打って出るためなのだろう。


 大丈夫だ。人民共和国は負けない。そして、自分もその一助に。


「同志伍長、そんなに外の風景が面白いか?」


 保延の思考は前からかけられた声に打ち切られた。向かいの席に座る同小隊の軍曹は、退屈そうに鼻を鳴らして続けた。


「どこまで行っても同じ風景じゃないか。山、森、田んぼ、畑。何がそんな面白いんだい」


「いや、まあ、そうなんですが…… 」


 身も蓋もない指摘に保延は苦笑いする。


 実際、仙台を出てからの景色は極めて単調だった。山間を直走る線路はときどき町に突き当たる。それは大抵国農で、一面の田畑の中に労働者集合住宅ルドニコフカと庁舎が集中している。それを抜ければまた山林に入る。


 北方とはそういう地域であり、例外は仙台と盛岡、郡山の三大都市くらいだ。彼女の育った秋田もまた典型的な北方国農だった。人民党が大東亜戦争後に進めた農業集団化が作り、農業大国としての日本人民共和国を支える食糧生産特区。その光景はどこへ行っても同じだ。国農の寂れた駅を通り過ぎるたび彼女は郷愁を感じる。


 だが彼女が窓外を眺めていたのはもっと単純な理由だった。


「二回目なんです、貫鉄に乗るのは。だから列車が動いているだけで楽しくて……」


 彼女は人生の殆どを秋田県内で過ごしてきた。下士育成課程で仙台教導学校へ行ったのが最初の県外旅行だった。ソ連領クリル自治州から東京までを結ぶ大縦貫鉄道は、そのときに乗ったきりだ。二時間半乗った程度では飽きない。だがそれは本音の半分だった。戦場へ向かう高揚こそがもう半分だったが、いかにも新兵じみたその感情を伝えるのは気が引けた。だが軍曹は、その言葉に却って呆れたように首を回した。


「新米のくせに呑気なもんだ。お前、生き残るよ」


「は、はあ…… ありがとうございます」


「俺もお前くらい呑気ならね。この延々と続くしけた光景でも酒の代わりくらいには―― 」


「輸送作戦中に愚痴とは良いご身分だな、同志軍曹」


 二人が顔を上げると、鷺嶋小隊長が座席の背もたれに肘をかけて軍曹を見下ろしていた。


「そんな貴様は次の駅から寝台列車に移してやろう。目を覚ませば東京だ」


「はっは…… それは、ご勘弁願いたいものですなあ」


 引き攣った表情を浮かべる軍曹の顔を、保延は不思議そうに見つめた。彼女が話を理解していないのに気付いた鷺嶋が、口元に皮肉げな笑みを浮かべたまま言った。


「先の戦争で全身義体者を前線へ高速輸送するために取られた方法だよ。義体から取り外した防殻パーンツィリを外部動力と生命維持装置オー・デージェーに繋いで、丸ごと貨物に詰めて送り出すんだ。一両で四百人が運べる」


「合理的な方法に思えますが…… 」


「ちゃんと予定通り復旧措置がされるなら、な。実際の輸送作戦はそう上手くはいかん。輸送先で替えの義体が見つからない事態や、見つかっても個人指定型式と違う事態が多発した。二十時間以上も自閉状態に置かれて、精神に異常を来す義体化兵まで出たんだ」


「あ、俺知ってますよ、その話」


 少し離れたところに座る伍長が席から身を乗り出して言った。


「寝台列車が弾薬輸送車輌に紛れ込んだせいで行方不明になって、発見されたときには中身が丸ごと死んでたって事件もあったんすよね」


「バカ、そりゃ都市伝説だ。機動歩兵装備が弾薬の貨物と混ざるかよ」


「いや、俺のいた部隊じゃ混ざっていたぞ」


 小隊長の話を皮切りに、車内の隊員達がああだこうだと騒ぎ始める。皆、退屈していたのだ。この中には鷺嶋のような日本戦争経験者もいれば、保延のようにそうでない者もいる。そうなのに自分一人だけはしゃいでいたのかと思うと、彼女は若干恥ずかしくなった。


 そんな彼女の頭をポンポンと叩きつつ、鷺嶋は言った。


「ま、そういうわけだ、同志伍長。だいたい民生用全身義体の予備在庫が大量にあるわけでもないだろう? 大抵後から個人用を送ることになる。防殻パーンツィリの積み替えの分、余計な手間だ。ということで中止になった。また一つ賢くなったな、新入り」


「…… 同志中尉殿は、その寝台列車を経験されたことが?」


 保延がバツの悪さを誤魔化すように尋ねると、鷺嶋は首を振った。


「いや、自分も当時はの歩兵だったからな。今と比べれば義体化保証の取得条件も厳しかった。多賀城部隊の戦闘隊で当時全身義体だったのは、古閑

こが大尉くらいじゃないか?」


 日本戦争後、人民共和国は帝国の再侵攻に備えて軍備拡張に乗り出した。その一環で機動歩兵部隊の増強が行われ、結果、保延は従軍五年目にして永年全身義体保証を受けてここにいる。幸運なことだと彼女は思う。


「だが生体者であれば丁寧に輸送されるというわけでもないぞ? 文字通り鮨詰めだ。私が前線へ向かったのも夏だったが、生身の肌は汗をかく。不快なんてもんじゃない」


「ああ、懐かしいもんです。自分のときは同乗者がクソを漏らしましてな。以来、戦死するまでそいつの渾名は野糞でした」


「良い話だ。今の我々はクソも漏らせぬ身体だからな。本当なら、防殻パーンツィリだけとは言わずとも弾薬並みの扱いでもおかしくないんだぞ。我々は特別待遇なんだ」


 だから、と鷺嶋は、その苛烈な性格を感じさせるキツいまなじりを緩めて言った。


「今のうちに外の風景を目に焼き付けておけ、同志伍長。そろそろ宇都宮だ。退もじきに終わる」


 その言葉と表情の意味は、今の保延にはまだ分からなかった。曖昧に頷いて何気なく窓外に目をやれば、遠方の並行路線を貨物列車が南下していくのが見える。車上にずらずらと並ぶのは防水布を掛けられた歩兵戦闘車ベー・エム・ペーだ。


 それは、保延が今日初めて見た戦争の片鱗だった。

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