8

 二〇二二年 十二月二八日 午後四時四五分

 日本帝国 兵庫府 生田区三宮


 窓外を人工的な光景が流れていく。規則正しく配列された並木と街灯、その背後に屹立する高層ビル。時折差し掛かる十字路に配置された信号機と横断歩道が、各方向から合流した大量の自動車を秩序立てる。ただ、その処理能力はパンク気味だ。


「つまり…… 中尉の認識では、あれは必要最小限度のリスクだった、と?」


 渋滞の一部を構成する軽自動車の狭い車内で、ハンドルを握る羅凪少佐は言った。その瞳はフロントガラスの向こう、遥か先の赤信号まで延々と伸びる車列に向けられている。


「いいえ、課長。そもそも、あれはリスクではありませんでした」


 助手席に座る荒谷は、同じく前方を見つめたまま淡々と答える。その白磁のような肌膚が、ビルの隙間から差した西陽を反射していた。


迅雷じんらいは近代化改修済みといえども鈍重な旧式機であります。月影の敵ではありません。あのときの彼我の距離と両者の体勢から言えば、回避も反撃も一コンマ八秒あれば十分でした。レコーダーの記録をもとに三次元シミュレーションを作成すれば、ご理解いただけるかと」


「リスクではなくコストというわけか。しかし、己の生命維持装置L S Sが機能停止し、防殻シェルが自閉モードに入るような捨て身の攻撃が、反撃かね?」


「許容可能なコストであったと考えます。友軍もすぐ近くにいる以上、乙種自閉モードの生存限界である十時間以内の回収は確実でしたから」


 車列は緩慢にしか進まない。官公庁や大企業の本社が居並ぶ三宮では、平日は渋滞が起きていない時間の方が少なく、冬の日差しが沈む速度の方が遥かに速い。


「確かに結果として対象を生け捕りにすることができた。しかし…… 震動刀が敵の

生命維持装置L S Sではなく、防殻シェル自体を破壊する可能性は考えなかったのか?」


「考えた上で、あり得ないと結論して行動しました」


「そもそも計画では後続の隊員との協働で対象を制圧するはずだったが。遅滞戦術の範囲を超えた行動を取ったことについて、何か弁明は」


「作戦の企図を考慮し、より効率的で確実な行動を取りました」


 淡白ではあっても、否、それゆえの揺るぎなさを感じさせる声だった。装備と己の生命を危険に晒す対応が、あたかも機械的に計算された最適解だったとでも言うかのような。車内をエンジンの振動音だけが満たす。


 やがて、二人の乗った車が車列の先頭に辿り着く。羅凪少佐が口を開いたのはハンドルを切って車を左折させた後だった。


「中尉の主張は理解した。貴様にその主張を裏付けるだけの技量があることも理解している…… だが、それでもその言い分を鵜呑みにすることはできない」


「はい」


 既に覚悟していた宣告に、応える荒谷の口調はあくまで機械的だった。


「許容可能なコストとは言うが、貴様はその額を具体的に計算したのか?大破した月影の修理にどれだけの費用が掛かると思っている? いくら警備四課の予算が潤沢といっても、それは無駄な支出を重ねてよいということを意味しない」


 何より、と、羅凪少佐は強調するように続ける。


「己の自信に満ちた計算がしくじっていたときに支払うコストの大きさを、貴様は正しく認識していない。なるほど破損した装備は修理すれば良かろう。だがその装備の奥に格納された貴様の脳髄は、荒谷一路という存在は、壊れたからといって修理できないのだ」


「…… 」


「帝国が貴様に―― 第3小隊の育成にどれだけの金を注ぎ込んだと思っている。そして貴様らに予備の部品は存在しない。次からはその事実をコストとして考慮することだな」


「はっ、微力を尽くします」


 荒谷が返答したと同時に車が目的地に到着する。居並ぶ高層ビルの中では異質な、古めかしく白いタイル張り外壁の六階建てである。その足元に広がる駐車場の一角、公用車用の駐車スペースへ車を入れると、二人は降車した。


 半分ほどが車で埋まった駐車場を二人は歩く。制服に動作を規定されたような機敏な足取りで、やがてアーチ状に区切られた正面玄関へと辿り着いた。二人と同じ鳶色の制服を着た警備係が挙手敬礼するのに応え、自動ドアを潜り抜ける。


 そこは赤い絨毯と観葉植物で飾られた空間だった。壁に張られた案内図の上部には地上六階地下二階のこの建物の名称が書いてある。―― 内務省庁舎本館。


 懐から取り出した身分証をリーダーにかざして入館すると、二人は真っ直ぐにエレベーターへと向かった。


「報告書は今日中に提出しろ。公式の処分はそれをもとに判断する」


「はっ、了解であります」


「明日以降の二日間は内規に則った自閉後観察期間が与えられる。分かっているとは思うが、自宅で安静にしているように。自己診断記録も忘れるな。まあ実質的には休暇だ。羽を伸ばすといい」


「………… 」


「どうした?」


「いえ」


 エレベーターが到着しドアが開いた。荒谷が己の降りる三階と上司の降りる五階のボタンを押すと、古びたドアがガタガタと音を立てて閉まる。保安総局の装備には潤沢な予算を投下しつつ職員の福祉には無頓着。内務省のそんな歪さを象徴するような音だった。


「月影の修理が終わるのはちょうど三日後の予定だ。当日は登庁より先に技研で受け取って来い。椛谷技官の優秀さと勤勉さに感謝することだな」


「………… 」


「どうした?」


「いえ…… 」


 応えた荒谷は背筋を伸ばして背後の羅凪少佐へ向き直る。狭いエレベーター内ゆえに浅くはなるが、それでも尚格式ばった礼。


「失礼します」


 ドアが音を立てて開く。上司の答礼を受けてエレベーターを降りながら、荒谷は終電に間に合うよう報告書を作成する手順について検討を始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る