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二〇二二年 十二月二八日 午後三時四二分
日本帝国 兵庫府 灘区 科学保安研究所
> System check...
> …
> Life Support System is running normally.
> CNS is running normally.
> PNS is running normally.
> Brain Shell will wake up.
> …
> System, all green.
> Kurenai Standard Ⅹwill restart.
> Hello, Lt. Aratani.
起動した
覚醒した彼は己の現状を確認した。八十度の角度で立てられた冷たい作業台に、腰部のベルトでうつ伏せに固定されている。無影灯の平板な光を背後に感じる。慣れ親しんだ光景だった。留金を外して薄緑色の床に足を下ろす。
「…… っと」
直感を裏切る身体の軽さに彼はよろめいた。だが、これも慣れ親しんだ感覚だ。二〇〇キロの軍用義体から僅か七〇キロの民生用義体へ移れば、どれだけ訓練を積んでいる兵士だってそうなる。
軽く両手の把握運動をしながら、正面の姿見に視線をやる。そこに写るのは若々しい青年の身体だ。だが、文字通りの肉体ではない。いかに高級な素材を使っていようと、近付いて
姿見の中の自分に特段の異常がないことを確認し、彼はハンガーラックに手を伸ばした。
「おはよーさん。よくお眠りで、
背後から彼に声が届く。煙草で焼けた気怠げなアルトだ。姿見に彼の背後で壁にもたれかかる長身の女性が写っている。青年ほどではないものの若者と言って良い年齢だ。粗雑に括った乱れ放題の長髪、鋭い眼光、その下の深いクマ。声と同じく退廃的な印象を与える顔立ちが、地味な白の作業服とチグハグだった。
彼――
「寝ているわけではありません、
「そりゃジゴージトクでしょうが。巻き込まれるあたしの身にもなってみろっつってんの」
椛谷は投げやりに吐き捨てると、手元の書類に目を落とす。
「正面装甲大破、背面装甲中破、左腕大破。両脚はアクチュエーターが全損、
読み上げるごとに彼女の眉間の皺が深まっていく。さらに十秒ほど、彼女は己の眼前で黙々と身なりを整えている青年がもたらした惨事を列挙し、やがて大きな溜息で言葉を切った。
「これでまだ半分ってところよ。まーた派手にぶっ壊してくれちゃってさ。おかげでクマもこの通り」
「それが主任の仕事でしょう。それに、下まぶたの明度、彩度は普段と変わりません。変動があっても誤差の範囲です」
「くたばれ」
背後から飛んできたシャープペンシルを肩越しに手で受け取る。避けて姿見が割れると危険だし、なぜか自分が備品破損の始末書を書くことになる気がした。椛谷は露骨に舌打ちする。
「別に仕事増やすなってだけじゃない。あんたの言う通り、そこまで含めてあたしの仕事だしね。でも、マシンを乱暴に扱うバカは気に食わない」
「兵器とは乱暴に扱われるマシンのことです」
「はっ、それとおんなじことを、外で待ってるあんたの上司にも言ってみたら?」
「…… 」
そこで初めて荒谷は言葉に詰まった。無表情こそ保っているものの、彼の基準ではこれでも充分大きなリアクションだ。三年の付き合いでそれを理解している椛谷は、いい気味だというように鼻を鳴らす。
結局、一言も返さぬまま首元のホックを留めて荒谷は身繕いを終える。姿見に写っている彼は鳶色の詰め襟に身を包んでいた。階級を示す左右の襟章は銀色の二本線。その色合いも彼の体躯にフィットした細身の仕立ても、権威的というよりは冷徹な雰囲気を醸し出していた。保安総局の冬制服である。
振り返ると同時、胸元に分厚い書類の束が叩きつけられた。
「はい、技術報告書」
荒谷の至近距離で荒れた唇がニヤリと歪んだ。彼が今装着している民生用義体・清流の全高は一七五センチだ。椛谷の身長はサンダル履きでもそれと同じくらいある。
「随分と分量が多いようですが」
「あんだけ派手にぶっ壊したんだから。聞かなきゃならないことは山ほどある」
「本音は?」
「憂さ晴らし」
「………… 」
「こっちはあと三日は寝られそうにないのに、あんたは修理が済むまで暇なんでしょ。そんなのあたしが許さない。微に入り細を穿った百問答で苦しみ抜いて、整備屋の気持ちを学びなさい」
公私混同も甚だしい。だが抗議したところで無駄であろう。彼女は技術部の優秀な技官なのだ。専門職ポストなら多少の人格的問題には目を瞑るのが保安総局流だった。
それに、暇だという指摘は正しいし、それを報告書で潰すのはやぶさかではない。余暇を与えられるより
ズシリと重い紙の束を、帽子と一緒に抱える。
「提出は三日後。間に合わなければ、まあ
「自分の仕事は自分でやります」
「…… 可愛くないガキ」
椛谷はうんざりしたように呟いて手を振る。さっさと出ていけということらしい。荒谷は散乱した書類や工具を慎重に避けてドアへ向かった。
「失礼します」
備え付けの小型冷蔵庫を漁っている彼女は、返事することも振り返ることもなかった。
ラボラトリーを出ると狭い廊下である。白色灯の光がリノリウムの床に反射されているが、地下三階で窓がないために空間全体が薄暗い。
戯画的なくらい研究所然としたその廊下の傷んだ長椅子で、荒谷と同じく鳶色の制服に身を包んだ、まだ若い男が待っていた。襟章は金色の一本線だ。荒谷の姿を認めると機敏な動作で立ち上がる。
荒谷は男から三歩離れて姿勢を正すと、上体を十五度折って規則通りの敬礼を行う。男もまた規則通りの答礼を返した。廊下の澱みを規律の冷風が吹き払った。
「荒谷中尉、乙種自閉モードを解除しました。現刻をもって職務に復帰します」
澱みない言葉に、男――
「話は庁舎へ向かう道で聞く」
それだけ言って羅凪少佐は荒谷に背を向けて歩き出した。やはり機敏な動作であった
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