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 二〇二二年 十二月二七日 午後八時二七分

 日本帝国 兵庫府 西神区 郊外


 廃工場の中を複数の巨大な影が疾駆する。


WTホワイトタイガー05、エリア2A3を制圧』


 錆びついた工作機械が放置されたままの工場は、閉鎖後に持ち込まれた不法投棄物で手狭だ。電気は止まっているため光源はなく、手探りでさえ進むのが困難な有様である。


『同エリアで敵兵五名を発見、ゴム弾で無力化』


 そこを走る影たちは、だが決して小回りの効くガタイではない。むしろ人間より遥かに鈍重な巨体を持っている。


 二〇八センチの全高と一九八キロの重量という、自動二輪のようなスケール感。それにもかかわらず、防塵塗装の剥がれた床を音もなく踏み、ときには障害物を自由自在に飛び越えて閉鎖空間を駆ける。黒の都市型迷彩を施された滑らかなアルミニウム合金の表面と、細身で四肢の長いその構造は、死神という形容の似合う不吉さを湛えていた。


『生体者と中度義体者のみ。反体制派と思われる。…… 対象の姿なし』


 椛谷電機もみじやでんき製、一九式強襲用機械化身体・月影つきかげ


 内務省保安総局警備四課―― 帝国最精鋭の一角にして、体制派の虎の子と呼ばれる特殊部隊の専用軍用義体であった。


WTホワイトタイガー06、エリア2B4を制圧』


WTホワイトタイガー04、エリア3A2を制圧』


 目下、反体制派の拠点となっていたこの廃工場を襲撃しているのは第3小隊だ。四課の中でさえ異端視され白虎ホワイトタイガーの名で忌み呼ばれる八機の怪物。彼らによって廃工場の中にいた二〇名近い反体制派は瞬く間に制圧されていく。だが戦いの音響は響かない。サイレンサーを装備した小銃と静寂性に優れた機体のために、彼らの攻撃は無音で終わる。そして襲撃付きさえしない獲物が反撃に出ることはない。


『副隊長!』


 己に呼び掛ける通信に、一機の月影つきかげが足を止める。WTホワイトタイガー02のコールサインを持つ彼女は、第3小隊の副隊長を務めていた。そして極めて変則的な編制を取っている彼らの小隊で、作戦行動中に隊全体の動きを指揮するのは実質的に副隊長の役割だった。


『見つけました、奴のFS2です。まだ暖かい。今ばかりのようです』


『分かった。引き続きフロア2 の制圧にあたって。まあ、普段着がそこにあったってことは、標的はきっと…… 』


 応じながらその資材庫に踏み込んだ瞬間。


 彼女の統合感知器センサー機構システムが異常を捉えた。


「―――― 」


 左斜め後方二四六度の方向。距離一二・三メートル。


 熱源、体温。音源、鼓動と呼吸と震え。臭気、発汗。呼吸が止まり汗ばんだ指が震えながら引き金を引く―――― 疾駆ダッシュ


「!」


 マズルフラッシュが暗闇を照らし、秒速七〇〇メートルの弾雨が横凪に空間を貫いた。フルオートのひと繋がりになった射撃音が響き渡り、弾け飛んだ空薬莢の落下音と二重奏デュエットを奏でた。人間相手であれば過剰の言さえ過小な殺傷。だが、


「なっ」


 反体制派の男は目を見開いた。漏れた驚愕の声に跳弾と射撃音の反響が重る。


 放たれた一七発の弾丸は全て虚空を貫いたのだ。


 初めて触れる小銃の予想外の反動に男は尻もちをつき、銃身を取り落とした。


「うわっ、ク、クソ…… 」


 慌てて伸ばされたその手が銃床に触れるより先にサイレンサーでくぐもった銃声が響いた。一瞬で男の背後へ跳躍していた月影が、彼の背中にゴム弾を撃ち込んだのだ。骨が数本折れる滑稽な音が鳴り、男は息を詰まらせて気絶した。


『ほんと、酷いもんだね』


 敵部隊の練度の低さは予想以上だった。WTホワイトタイガー02は呆れたように首を振り、右手に持った九八式小銃を肩に担ぎ上げる。大の男が反動で取り落とす九八式小銃も、軍用全身義体の手にかかれば合成樹脂プラスチック玩具エアガンのようだ。


WTホワイトタイガー04、エリア3C1を制圧。フロア3 の制圧完了。対象の姿なし』


WTホワイトタイガー05および06、フロア2の制圧完了。同じく対象の姿なし―― 副隊長、こいつらド素人だ』


 仕事を終えた隊員たちが次々に告げる。これで廃工場の地上区画は完全に制圧された。要した時間は二分二三秒。敷地面積と階数、内部構造と敵兵の数を総合的に考慮すればまずまずの結果だろう。WTホワイトタイガー02はそう考えた。


 だが未だに作戦の最優先目標は達成されていない。


『素人なのは最初から分かっていたことでしょ』


 そう、全て想定通りだ。それゆえ彼女は人知れず溜息を吐く―― あるいはそうする自分をイメージする。己の感情に合わせた人間的な動作を忘れないようにすること。それが彼女のやり方だった。


『こちらWTホワイトタイガー02、例のものを確認したよ。標的ターゲットは多分に行った』


 彼女はその空になった真新しいコンテナに背を向ける。それは、月影より二回りは大きな軍用義体がちょうど入る大きさだった。


『頼んだよ、隊長』


『こちらWTホワイトタイガー01。作戦を第三段階へ移行する』

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