02.社長が軽けりゃ、先輩も腰が軽い
株式会社プリズムヴィジョンは業界としては後発の企業になる。今となっては中興の企業と表現されることもあるが、ともかく最初のパイにありつくには遅かった起業であった。
バーチャルUtuberのブルーオーシャンを開拓し始めた最初期の面子がおおよその入口になることが多く、しかもそこでシャットアウトされてしまうので、後発の面々は視聴者を集められず苦労していた。
市場自体、開拓が始まったばかりで小さな一個のパイを取り合う形になり、誰も彼もが息切れしていた。
プリズムヴィジョンの運営が好転した転換点はおよそ三つある。
一つは何者かが不明瞭になりがちな配信者に「アイドル」属性を付与するコンセプトを明確に打ち出し、視聴者にVtuber業界を探索する方位磁針を与えたこと。
「プリズム」というグループに所属するVtuberは軒並みアイドルである。アイドルが観たいなら「プリズム」を観ろ。
そういう導線を引くことに成功したのが大きい。
大海を進むにあたっての海図に小さいながらも港町として記載された。海図に載っている寄港地ならばより多くの人に知られるのが道理だ。
そして二つ目はいずれの業界においてもいつか来る出来事。トップをひた走っていた開拓者たちの引退や活動休止が相次いだこと。つまりは独裁政権の崩壊である。
けして喜ばしいことではないが、しかし現実として、彼女たちが独占していたパイが宙に浮く。
引退や休止は悲しい出来事だが、厳しい言い方をすると絶好のチャンスであり、それを活かせない者は沈んでいくのみ。
プリズムは浮いたパイをうまく食べられた、ということだ。
革命的な人材の参入や世界的な流行病などの要素も複合的に絡み合い、プリズムは確固とした足場を築いた。
全てが順調とは言わないが、現時点では日本におけるVtuber業界ではトップを争う大企業となった。
そんな株式会社プリズムヴィジョンの社長を担うのは、会社の規模に反して酷く若い青年であった。
鷹詰貴郎。弱冠三十二歳の実業家。
社内ではタカローとハンドルネームのように名前を呼ばせている社長は、今日もいつものように社長室の横にあるベッドルームでゴロゴロしながらタブレットをいじっていた。
タブレットの画面に映っているのはプリズムのライバル、あるいは同じ道を行く仲間である『くろにくる』のVtuber『羽鳥ツバサ』。くろにくるの中でもトップクラスのファンを持つ女性で、参考になる部分が大いにある。
なるべく時間を作って色々な配信を見ることはタカローが仕事として、自身に課していることでもある。趣味を兼ねているのは否定しないが。
ツバサは理不尽な初見殺しだらけの覚えゲームをプレイしていた。理不尽な目に合う度に出てくるオーバーなリアクションが笑いを誘う。
『〜〜〜っ! おかしいやろ!? 今の今まで何にもなかったやんか! ここはエスパー養成所か?!』
「あっはっハッハッハ! 正解、っと」
「社長、会議の時間は過ぎているんですけど?」
呆れた声に顔を上げると、秘書が開けたベッドルームの戸をコンコンと叩いていた。
「あれ、もうそんな時間?」
「そんな時間になっても会議室にもチャットにも顔を見せないから様子を伺いに来たのですが」
「ごめんごめん。敵情視察に熱が入っちゃって」
「ものは言いようですね。言い訳してないで早く来てください。己を知る必要だって当然あるわけですから」
「分かってるさ。己を知らずんば愛を知らず、ってな言葉もあるわけだし」
タブレットに充電用コードを刺し、タカローはぐいっと腕を天に伸ばした。全身をほぐして、頭のどこかに転がっていた眠気を放り出す。
秘書は急かすでもなく首を傾げた。
「聞いたことのない言葉。どこの偉人が仰られたのです?」
「愛を探して旅をする、ただの男が言った台詞だよ。今は日本の会社で社長をやってる」
「なるほど。タカロー語録に記載しておきますね」
「胸に刻んでおいて」
部屋の端に蹴っ飛ばされていたルームサンダルに足を通し、タカローは尋ねた。
「ところで今日の議題ってなんだっけ?」
「秋頃に予定しているプリズム5thライブの進捗報告と、各担当マネージャーからの要望吸い上げですね。定例では時間が不足していたので」
社内でもっとも配信者の皆と関わるのはそれぞれのマネージャーになる。
配信業は一見楽そうに見えるかもしれないが、過酷な一面があることもタカローは知っていた。
世の中の余暇時間に合わせて動くことの多い配信者は生活のリズムが崩れがちになるし、家から滅多に出ない運動不足まっしぐらな者も少なくない。
精神的にも疲弊しやすく、また傷を受けやすい仕事だ。個人の資質にも寄るが、心ない言葉に闇を抱え、失意の内に業界を去る話も枚挙に暇がなかった。
一番近いところで彼女たちを陰に日向に支えるマネージャーたちは大事な情報源だ。
もちろん当人たちからのヒアリングも欠かすつもりはないが、第三者の視点も欠かすことは出来ない。
毎週行っている定例の会議で報告を受けていたが、今週は予定の時間内に収まりきらなかったため、改めて時間を取った次第だ。
プリズム所属の人数が増えてきて、仕方のないことではあるが一人一人に掛けられる時間が減ってきている。
タカローとしては全員が全員、大事な守るべき部下であり、また仲間だと思ってはいる。現実は難しい。
「そんな大切な会議、どうしてもっと早く呼んでくれなかったんだい?」
「社長が昨日、朝イチ会議だから会議室に直接来てほしい、と仰られたのでお待ちしていたのですが」
「そうだった……かな?」
「ええ、間違いなく」
「……ハッハッハ! キミがいないとダメな男で悪いね!」
開き直って、だらりとした猫背のまま颯爽と歩きだすタカロー。口を挟ませないようにか、廊下で見掛けた社員に片っ端から挨拶をしていく。
秘書は分かりやすく溜め息を吐いて、斜め後ろを着いていく。
傍目にはこの男がプリズムヴィジョン躍進の原動力だとは思えないだろう。
プリズムには様々な分野で天才と称されるほどの能力を持つ人間が少なからず所属しているが、群を抜いて常人の域を超えているのは間違いなくタカローである。秘書の認識においては。
「いえ、あの人もそうですね……」
常人の域に留まらない、そういう意味ではもう一人。才能に呪われた人間がプリズムにはいる。
遠久野ライカ。
事前に軽く確かめた限りでは、今回の会議も彼女の話題が長引くことは必至だと思われた。
【プリズム8期生 御前かずは デビュー配信】
スリットのすごい和服を扇情的に着こなす、長髪長身の女性が薙刀を模したマイクスタンドを外す。
「エイリ先輩の歌で『cyber ticket』でした! 快くね、使用許可を出してくださったエイリ先輩に感謝!」
『おまえ歌が上手すぎるんだが』
『おみみとけた』
「読み方オマエじゃなくてミサキですからお間違えなく! ね! 御前はですねー、正直、歌よりもダンスの方が得意だと思っているのですよ。歌も得意じゃないとは言いませんが! なので、当面の目標としては、次元的成長できるくらい活躍して、みなさんに御前のダンスを披露したいのですね!」
御前かずはの平面的身体がわちゃわちゃと動いてみせる。今のところはあまりダンスが得意そうには見えなかった。
『ダンス期待』
『そういや、そろそろ先輩ボックス爆撃の時間か』
8期生最初の瑪瑙ラテから始まったデビュー配信に合わせてプレゼントを宅配するのは、その後も続いていた。先輩ボックスの名で呼ばれるようになったそれは、最後の8期生である御前かずはの配信でも期待されているようだ。
しかし、そうは問屋がおろさない。
「はっはっは。心配御無用、今回はミニライブの関係で、御前のお家では配信していないのです。事務所のスタジオにおります。後日、ありがたく開封配信として先輩方のファンを頂戴することにいたします」
『恩を仇で返す悪いヤツだーーーー!!!』
『先輩ボックスが来る前提で話してるけど来なかったらどうすんの』
「えっ……」
御前かずはの身振りがピシリと固まり、次第に眼が上下左右にと錯乱し始める。
「こっ、こここ来なかったら……? 御前だけ送られて来ないなんてことある? あるのか? それってつまりどういうこと? 嫌われてる? きっきき嫌われ……はぁ、はぁハァー……ッ」
ダルマ落としされたかのように足元に崩れ落ちていく御前かずは。
『おいヤバいぞこいつ』
『目のハイライト消えてない?』
『何か聴こえない?』
配信を忘れてしまったかのようなかずはの言動に戸惑いを隠せない視聴者たち。
ただ、その中に遠くから響いてくる微かな歌を聴き取る者もいた。少しずつ近くなる歌声をコメントが拾っていく。
『どっかで聴いたことあるような』
『っつーか、ライカじゃね』
特定するコメントがきっかけ、というワケではないだろうが、かずはの後ろに一人の少女が平面映像で現れた。
曇天を連想するマットな黒色を基調に、鋭い稲妻のような線が白と紫と黄の三色で奔っている。
遠久野ライカは微かな歌声を止めると、視聴者に向かい、口元で指を立てた。静かにしなさい。
未だ地に伏して闇に埋もれているかずはの肩を、ライカはそっと叩いた。
ふっ、と闇から浮き上がって背後を振り返ったかずはだが、夢から覚めたように目をカッ開き、次の瞬間、画面中央から画面端へと絶叫を上げながら高速で移動した。
『ゴキブリみたいな動きしてて草』
『絶叫助かる』
『ライカどんだけ怖い顔してんのさwww』
「心外。すごい笑顔のはずなのに」
「らっララララララララ! ライカ先輩!?!?!? ななななななんでこんなところに!!!!?????」
『裏をかいたつもりがさらに裏をかかれてうろたえる姿ええな』
『新人の素を暴いていく有能』
「どうも。プリズム2期生の近くて遠い、遠くて近い、捉えきれないアイドルVtuber遠久野ライカです。本日はサプライズで後輩のミニライブにお邪魔していまーす」
「えっ!? 本物? 本物のライカさんがいる!?」
『大事な後輩がお前のせいでガチで混乱してるんだが』
『マジのサプライズで草生える』
ラテch『ずるずるずるずる! それはズルいでしょ!?』
サイレch『判決。有罪』
くるくch『ウチも事務所で配信すべきだった!!!!!』
『同期も嫉妬に狂っとるw』
『カオスwww』
配信画面もコメントもまとまりがなく暴走の兆しを見せた。
直後。
――パァンッ!
「あうっ」
『おみみないなった』
『あたまばくはつした』
ライカが大きく広げた両腕で柏手を打った。
雷のような衝撃を脳の髄へと走らせる。
落ち着きを取り戻した配信に、ライカが言葉を投げかける。
「今日は」
座り込んでいたかずはに手を伸ばして立たせると、その肩を抱く。
「!!!?!?!?!??!?」
「彼女のデビューの日。だけど他にも意味のある日。なんだか分かる人いますか?」
突然のスキンシップでカチンコチンに固まっているかずはの顎を指先で持ち上げ、無理やりに視線を合わせた。
「実は、かずはの誕生日。なので、暇人で祝いに来ました」
「いえーい!」
「おめでとー!」
黒いシルエットだけが画面上には表示され、部屋に反響する別人たちの声が電波に乗る。
「誰が来るか分からなかったから、とりあえず配信にお邪魔するのは発起人の自分だけ。でも、他のみんなも色々買ってきてくれたりした」
「えっえっえっ……えっ?」
「誕生日とデビュー、おめでとう。それから、プリズムにようこそ」
「あっはい、えっへへ。ありがとうございまひゅ、うひゅ」
『ドロドロで草』
『ライカの女が増えた日』
『くっ、ライカ殿がまた女を落としておられるぞ!』
かずははもはやライカにしなだれかかっており、登場時の凛々しい姿は影も形も残っていない。
「誕生日のお祝いをしたいと思う。かずは、希望はある?」
「へっ? あ、その……なんでもいいんですか?」
「自分か、あそこにいる面子に可能なコトか、モノであれば」
「えっと……皆さんとそれぞれデュエットさせていただくとか」
「自分は構わない。他の面子も……良いみたい」
ライカがシルエットを振り返ると、数人で一つの大きなマルを作っていた。
『瞬く間にコラボの約束を取り付ける有能』
ラテch『カラオケ大会か〜! 練習しないと!』
くるくch『十八番を披露する!!!!!』
サイレch『予約、した!』
『なんて素早い相乗り、オレじゃなきゃ見逃しちゃうね』
「かずは、ミニライブで歌うのはもう終わり? 終わりなら締めてもらって、あっちでパーティーしよう」
「予定ではそのとお…………いえっ、まだ一曲歌う予定でした! ライカ先輩のお歌なんですけれども!」
『なお終了予定時刻はすでに過ぎている模様』
『おまえ予定勝手に変えるな(いいぞもっとやれ)』
『おまライくるー?』
「そういう話は聞いてないけど……いいか。何を歌うの? せっかくだから一緒に歌おう」
「うへへ……。そ、それじゃ『漁火』を……」
『選曲めっちゃ渋いな』
『名曲』
ラテch『今からでも事務所に向かえばワンチャン間に合うか……?』
『ノーチャンすぎて草』
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