03.遠久野ライカ、引退!?
【遠久野ライカ 10th Anniversary Live『Arrival』】
漂う微睡み 鉤裂いて
奔れ 奔れ 刹那の光
熟れる無関心 取り去って
届け 刻め この嘶きを
最後のサビをロングトーンで歌いきり、音楽の終わりと共に余韻に浸る会場はすっかり静まり返っていた。
余韻の中、唯一動くことを許されている人物が左手に持ったマイクを口元に寄せる。
「遠久野ライカで『ライトソウル』でした」
爆発的な歓声が東京ドームを埋め尽くす。
今やVtuberを代表する一人となった遠久野ライカは、活動十周年記念として東京ドームを貸切ってのリアルイベントを行うまでに成長していた。もちろんオンラインでも全世界に向けて発信している。
ライブ中に遠久野ライカが持つUtubeチャンネルは登録者一億人を記録。
単純に考えて、世界人口のおよそ1%、道行く人間の百人に一人がライカに注目をしていた。
ライカの発した台詞が瞬く間に翻訳され、ドーム内の様々な場所に設置されたサブディスプレイにあらゆる言語でテロップ表示される。配信ならば翻訳された音声を聴くことも出来た。
株式会社プリズムヴィジョンがUtubeに提供する技術である、AIによる高精度翻訳と再現だ。特定の個人に特化したAIを育て、複数の言語をインプットすることで、イントネーションやニュアンスを別言語でも高精度・高速度で反映する。
その動作確認を兼ねた、先駆けとなったのがプリズム所属『遠久野ライカ』であり、その効果は見ての通りだ。
バーチャル世界の住人として最も有名になった少女。
残りわずかなタイムスケジュールを惜しみつつ、彼女の言葉を世界が今か今かと待っていた。
瞬く程度の暗転。
舞台の中央にスポットライトが集められ、暗がりからライカが歩み出る。
ざわめく観衆。
最後の最後で、新衣装を出してきた。
裾が長く華やかなレースをふんだんに使用したドレス。艶やかなヴェールが表情を隠している。
一見、ウェディングドレスのようにも見えたが、それは全てが黒色で、トレードマークの稲妻三色線がどこにも無い。
観客のどよめきには戸惑いが混じっていた。
「ライブの歌は、実はこれで終わり。残りの時間は、私からの話を聞いてほしい」
その瞬間、彼女を見ている誰もが嫌な予感を覚えた。
黒いとはいえライカが纏っているのは花嫁衣裳に近しいもの。もしや寿引退の報告では?
遠久野ライカもすでに十年をアイドルとして過ごしており、人生を次のステージにと考えるには十分な時が経っている。それは致し方ない。
だが、彼女のファンはそんなことを求めていない。
ライカは永遠に男を知らぬアイドルでなければならない。そうであってほしい。
永久に歌を奏で、幻想を踊り、そしてファンのコメントを読み続けていてほしい。
一部に危険な雰囲気を孕みつつある会場の中心で、遠久野ライカは語り始めた。
「察している人もいるみたい。そう、自分がバーチャル世界から消失することについて。それを話す……伝えようと思って」
東京ドームに様々な悲鳴が入り乱れた。もはや内容は聴き取れず、音の波が乱反射する。
サブディスプレイを流れるコメントの勢いは濁流の如く。文字の形が目に留まらないほど次々に流れていく。
『いやだ』『聞きたくない』『nein』『OMG』『えええええええ』『Noooooooo』『なんで』
後に確認されたコメントの大半は、こういったライカの言葉を信じられない、信じたくない声ばかりだった。
「まず、時期について。秋に開催予定のプリズム5thライブ、これには出てほしいと言われたから出るつもり。それで終わり。最後にみんなと遊びたいのもある」
阿鼻叫喚の会場を無視して、遠久野ライカは淡々と言う。
「それから、勘違いをしてほしくないから言うけど、結婚でアイドル卒業とかではない。なので、誰かを責めたりはしないようによろしく。あくまで個人的な事情だから」
「――ならっ! どういう事情なんですか!?」
全世界に発信されるボイスの数が唐突に増える。
ライカが声の発生源を振り返ると、慌てたようにスポットライトが視線を追う。
通路の端、登場口に息を切らせた人物がいた。
プリズム8期生、瑪瑙ラテ。
そして彼女の後ろから次々と現れる人影たち。御前かずは、朝霧サイレ、矢車くるく。
今回のライブにコーラスゲストとして呼ばれていた四人は雪崩を打つようにして、通路を走った。
他にもゲストはいるが、追加で現れる者はいない。
中央に辿り着いた四人は誰もが口を開きたくて仕方がなさそうであった。しかし、一歩前に出た瑪瑙ラテが全員の想いを代表するようにして問う。
「やっとライカ先輩と同じ舞台に立てるようになったのに……! もっと、あなたとお話したいのに! どうして、今なんですか!?」
「それは素直に嬉しい。ありがとう。なぜ今か、と訊かれたら、たまたま今だ、と答えるのが正しいか」
「たまたま、って……!」
「うん、プリズムと合意を取れたのが、たまたまこのタイミングだったというだけ。何年も前から、こういう話はプリズムにしていて、自分が存在を消すことを望んでいるのは他のメンバーも知っている」
瑪瑙ラテはチョコレート色の瞳を歪めた。
開いた口から言葉が出ない。
「自分もプリズムには感謝の気持ちがある。みんなと遊ぶのは楽しかったし。だから、頑張ってきたつもり」
彼女の経歴を見て頑張ってないなどと謗れる者がどれほどいるか。
だが、ライカを肯定する言葉で溢れるサブディスプレイには何の感銘も受けていないようだった。
「理由は、とても単純なことで」
ここがね、とライカは自身の胸を指差した。
「どう頑張っても満たされない。それでも頑張ってみたけど、限界が来てしまった。そういうこと。分かりやすく表現すると、遠久野ライカは最初からずっと病んでいて、ついに終末医療の時期が来た。そう思って?」
「あたしらと違って、急に言われて納得すんのはムズけーだろ」
四方に伸びた通路、8期生とは反対側から声が上がる。
新たに出現したスポットライトが浮かび上がらせるのは、赤いマントをたなびかせる軽鎧姿の少女。
『勇者』の二つ名で呼ばれる、草凪アリアが立っている。
「ライカの事情をあたしは知ってる。ま、デビューの時から二人三脚でやってきて、何だかんだ十年だからな」
プリズムの2期生は二人だけ。
遠久野ライカと草凪アリア。
1期生となった始まりの人はすでにバーチャルの世界から離脱してしまっている。つまりは、今のプリズムという輪郭を作ってきたのはこの二人だと言っても過言ではなかった。
歩いてきたアリアはライカの肩に腕を回す。
「やっぱし十年ってすげー長い時間じゃん? ライカも夢を持ってこの業界に入ってきて、何年も頑張ってそれが叶わないことなんだって分かっちゃったらさ、そりゃ辞めたくなってもおかしくないだろ?」
「あ、アリア先輩はライカ先輩が辞めてもいいのですか!?」
「良かないよ、もちろん。だけど、あたしは結局何の役にも立たなかったしな、ライカが辞めるつって、タカローが了承したなら止めらんねえよ。ライカの未来に幸あれ、って言うしかないし、あとは友達付き合いを続けるくらいか」
「連絡先は全部消すかな」
「おおいっ! さすがにそれはヒドいだろ!?」
「自分はバーチャルの住人ではなくなるわけだから、繋がりは消しておいた方がいい」
「そーかもしれないけど、あたしとライカの絆はそんなもんなのかよ!」
「しょうがないから年賀状を一回は送ってあげる、プリズム宛てに」
「それ、あたしからは送れなくねーか?!」
こんな場面においても二人は変わらない。
いつもの、こんな状況でなければ笑えるやり取りを、息をするように吐き出している。
「ま、アレだ。人間さ、十年も同じ会社に勤めてたら今ドキ長い方だろ? 転職するようなモンだと思って、気持ちよく送り出してやってくれねーか?」
お前らが、と勇者アリアが指を振る。
剣を振れるとは思えないほど細い指先がドームを一周し、サブディスプレイを指したところピッタリ止まる。
「どれほど言葉を重ねたところでライカの心は決まっちまってる。そんなら別の道を行かんとする冒険者に、エールを贈ってやってほしいと思うのはあたしのワガママか?」
会場のテンションは明らかにトーンダウンした。
プリズム・ツートップの説得をファンが受け入れ始めていた。
だが、しかし。
「――イヤ、です……ッ!」
瑪瑙ラテは違った。
瑪瑙ラテはただのファンではなかった。
瑪瑙ラテは、自ら同じVtuberになるほど……魂の奥底から遠久野ライカを渇望しているのだ。
「他人が関与して解決する事なら、私たちにも機会をもらうことは出来ませんか!?」
「ふむ――その台詞が聞きたかったと、あたしは答えてチャンスをやりたいが、全てはライカ次第なんだよな」
アリアはそう呟いて、ライカに目を向ける。
ライカは肩を竦めて「好きにすればいい」と答えた。
「へへ、喜べ、本人から許可が出たぞ」
赤いマントを翻し、草凪アリアは両の手を世界に広げた。
「あたし、勇者アリアから全世界一億人の観測者にクエストを発出する――」
一足飛びに増した規模感に、ラテは疑問を挟む余裕なくゴクリと唾を呑んだ。
「――探せ」
何を?
「それはあたしが……あたしたちが見つけられなかったもの」
「そんな抽象的な」
「しょうがねえだろ、それがどんなものかはあたしも知らねえんだ」
草凪アリアは遠久野ライカを降ろした指先で示す。
「千変万化、七変化――観測者たちがそう呼ぶ女の『本当』を掴まえられることを、遠久野ライカは望んでいる」
ライカは頷いて、一歩前に出た。
「かつて、話したことがある。私が、ここに、バーチャルの世界に来た理由」
今はアーカイブにも残っていない最初の配信を、瑪瑙ラテは思い出した。
「私は、リアルじゃ存在していないも同然の人間。誰も、私を見つけてくれない。バーチャルなら、私ではないもう一人の私なら、誰か私を見つけてくれるかもしれないと思った」
「一億人の観測者じゃ足りないんですか!?」
「数じゃない、ということには大分前から気付いていた」
ラテの切迫した言葉を、あっさりと迎え撃つ。
「そして、もう一つ気付いてしまったことがある。それは我々にとっての禁忌……」
ライカは右手で作った拳銃を自身の頭に当てた。
「遠久野ライカは結局のところ、
その告白に対し、発せる台詞を持つ者は現れない。
バーチャルの身体とリアルの魂。
Vtuberという存在が建前であることは、ここにいる全員が理解している。
だからこそ、その建前を本物だと信じさせてくれる存在に惹かれるのだ。
今、この瞬間まで、確かに遠久野ライカはバーチャルに存在する一人の人物だった。
遠久野ライカの存在を前提から破壊してしまった彼女に「そうではない」と否定の声をかけられる者はいない。
ライカは独白を続ける。
「断言するけど、最初からそうだったというわけじゃない。間違いなく私は遠久野ライカであった。その時期が存在したことは確かで、そこについては信じてもらえると嬉しい」
ラテは動揺しながらも小さく頷いた。そうでなければ、きっとこんなにも深く惹かれることはなかったであろう。
「そして最後まで、私が遠久野ライカであろうとすることを止めはしない。そこだけは約束しておく……だけど、そうしている時点で、もうダメなのは分かって?」
ライカはラテに向かって問いかける姿勢を見せているが、彼女の声を聴いた誰もが質問の答えを探していた。いや、答えてはならない答えを知っていて、違う正答を探している。
遠久野ライカの振りをしている遠久野ライカ。それは似て非なるもの。限りなく本物に近い偽物。
本人の言葉によれば大分以前からそうなっていて、一億人の観測者は全く気付かず胡乱な硝子玉を目にハメていたことになる。
「観測者の数が増えるほど、私と『遠久野ライカ』が離れていくのを感じていた。遠久野ライカはこんなにもたくさんの人に観測され続けているのに、私は未だに孤独のそばにいる」
渇いた声の響き。
達観したような、どこか遠くを見ている瞳は諦めの色を宿していたのだろうか。
「もはや、期待することも、祈ることも止めた。希望を持つとダメだった時が辛いから。でも、アリアの言う通り、私は、私の『本当』を見つけてくれる誰かを望んでいる」
すっかり静まり返った東京ドームに「そういや」と呑気な呟きが跳ねる。
「ライカ、勝手に全世界に布告しちまったが、それは構わんか? 今更だけど」
「今更だけど、別に構わない。どこの誰であろうと、私を捉えられるのなら。それこそ、私が望んだ未来のはずだから」
そう答えたライカに、アリアは満足げに頷いた。
「そんじゃあ、改めて――あたしからの
アリアは腰に佩く剣を抜き、光り輝くその聖剣を左右に軽く払った。
「遠久野ライカを探せ。そして、あいつの『本当』を見つけ出してくれ。ライカがこの世界からいなくなる前に」
期限は――最後だと宣告されたプリズム5thライブが終わるまで。
勇者アリアが聖剣を閃かせる。斜めにズレた空は、そこで聖剣と同じ光を発して留まっている。
遠久野ライカがズレた空に足を踏み入れる。言うべきは言ったと、背後を振り返ることはない。彼女はそのまま、空の間へと滑り込んでしまった。
続けて草凪アリアも半身を進ませたが、ふと思い出したように顔を上げる。
「あァ、そうそう。ちなみに、8期生の乱入からここまで全て
これから始まるゲームについて、と子供に言い聞かせるような風体でアリアはいくつかの断りを並べた。それからニッと笑い、光の中に体を踊らせる。
草凪アリアを呑み込んだ仮想断層は揺らめいて、残光を放ちながら消えていく。
その場に8期生の四人を残したままスポットライトは役割を終え暗転、そして無情なアナウンスが流れ出した。
『これにて遠久野ライカ 10th Anniversary Live『Arrival』は終了となります。ご来場の皆様はお忘れ物に――――』
退場のために会場が明るくなっていく。
中央の舞台には長い夢を見させられていたかのような、感情の残滓が微かに漂っていた。
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