第2話 境内と転移

 それが起こったのは晴れ晴れとした日だった。


 最後の稽古を終え、弁護士とも話をし、そして友とも稽古が終わったことの記念と称して飲み会を行った……その翌週だった。四月の中旬という、実に中途半端な日付だった。一人旅だというのに仰々しい荷物を持って、私は家を出た。

すでに通勤時間も過ぎているので、座ることが出来た電車に揺られて東京へ赴き、そこから新幹線に乗り継いで……宿泊する旅館の最寄り駅へと向かった。ありがたいことに現地も晴れだった。

「実に晴れ晴れとした天気だ」

 それなりに長い時間揺られていた体をほぐしながら、そんなことを呟いていた。幸い中途半端な時間もあって周囲に人はいなかったため、独り言を聞かれることもなかった。

 時刻はすでに正午を超えて午後一時ちょうど。お腹がすいていたが、けっこうな大荷物だったので先に宿泊する旅館へと足を運ぶことにした。

「ようこそおいでくださいました」

 わざわざ挨拶に出向いてくれた女将に礼を言いつつ、チェックインにはまだ早いので、スタッフの目が届くところの集積所に荷物を置いた。一息つきたいのが本音だったが、しかし今はそれよりも食欲が勝っていた。

 というよりも……このまま一息を吐いてしまってはそのまま動かなくなることが目に見えていたので、先に食事を済ませる。旅館近くのご当地グルメを軽く堪能し、少し散歩をしてこの土地の雰囲気を楽しんでから旅館へ戻ってチェックインを行った。その後、旅館自慢の温泉に浸かり、今度こそ一息ついた。

「やはり……四振り持つとそれなりに重いな」

 風呂上がりに煎れたお茶を飲んでしばらくして、私は再度そんな独り言を呟きながら……重い想いをしながら持ってきた手作りの居合刀袋の中から、稽古にいつも使用している木刀と、四振りの刀を取りだした。

 木刀は最高品質の木材を使用して作られた一品で、長年使用している物だ。素振りをするのが日課なので、持ってきたのだ。

 他に持ってきた真剣は、稽古で使っていた古刀と、現代刀。古刀はせっかく剣術をするのならば古の技術の刀を振るいたいという思いで購入した物。そして現代刀は懇意にしてもらっていた刀匠に注文打ちした刀。この二振りはどちらも稽古で使用していたこともあって、刀身にいくつもの傷があった。

 そして最後に、生涯で数多くの刀剣を見て、更にいくつもの刀を購入して所持していたのだが……どうしてももっとも気に入っていた一振りだけは未だ売ることが出来ずに、手元に置いていた。

 手持ちの刀はそのほとんどを売り払ったのだが、思い入れの大きいこいつらだけは、どうしても最後まで手放す気にならず、こうして未だに所持していた。どうして持ってくる必要がない刀を、わざわざ旅行先に持ってきたのかというと、旅行で家を空けることになったので、どうしても空き巣などが気になってしまうからだ。

 刀専用の金庫も購入したのだが……ほとんど手放したことで不必要な物となってしまったので、すでに必要としている人に対して譲っていたので、家においておくのが不安で仕方なかったのだ。

(金庫って安心を買う感じよな)

 そして最後の一振りは、今回の目的である長物だった。刃渡り三尺五寸の古刀の奉納刀と、その奉納刀にあわせて私が自ら職人に注文して制作してもらった、拵えだ。奉納刀ということで、茎に納められた神社の名が彫られており、運が良いというのか……その神社がまだ健在だった。私は刀という存在に感謝するという想いで、この刀をあるべき場所へと進納する。そのために、こうして近くの旅館に泊まることにしたのだ。神主さんとはすでに電話で連絡を取っており、実際にお会いしてすでに奉納することの許可もいただいていた。

 だが数十年にわたって私の手元に在り続けてくれた刀だ。朝早くに起きてばたばたしながら奉納先の神社に向かうのではなく、近くの旅館に泊まって身も心も落ち着けて、ゆっくりと納めたかったので、こうして奉納にあわせて旅行を行った……というのが今回の旅行の趣旨だった。

 もちろん持ってきたのは刀だけではない。納める前日ということもあり、普段以上に手入れをしっかりするつもりで手入れ道具は持ってきていた。といっても刀の手入れ……つまり刀の維持に大した道具は必要なかった。必要なのは鉱油とそれを塗るための布。古い油を拭うためのティッシュとネル。後は目釘が固かったときに抜くための小さな金槌のような形状の目釘抜きだ。ティッシュに至ってはかさばるが、わざわざ良いティッシュを箱ごと旅行先へと持ってきたのだ。

 夜に手入れをするのが基本的な私のルーティーンなのだが、今宵は懐石料理をいただく予定だ。お酒もいただく予定なので、酔った状態で手入れをするわけにはいかない。明日もチェックアウトまでの時間、刀の鑑賞と手入れをするつもりだが、それでも明日に手放すことになる刀だ。家の自室とはまた違う状況で刀を見るのも乙な物だ。そう思い、私は普段以上に丁寧に手入れを行った。

 防錆のために刀身に塗っていた古い油を柔らかいティッシュで拭う。次に拭い残しがないようにネルで再度拭って刀身状態を確認。特に異常が無ければしばらくは刀身の鑑賞を一人でひたすら行う。もしも小さな錆などがあった場合、人によっては打ち粉をする人もいる……時代劇でよくぽんぽん小さな丸い物で刀身を叩くあれである……が、私はそれはしない主義だった。

 そもそも打ち粉は、鎌倉や室町、江戸などの、いわば歴史と言える時代で使用されてきた丁子油を取り除くため、使用されてきた物だ。丁子油とは、昔使われていた植物性の油。椿油を主に使用していた。植物性油は長時間放置しておくと固まってしまうのである。それを取るために、砥石を粉状に砕いた打ち粉で、固まった油を研いで取るような感じの道具なのだ。現代では鉱石から抽出できる鉱油を使用しているため、刀身保護の油が固まる心配がほぼ無い。

 ただし打ち粉を使うことについても、人によるというか店によって意見がわかれて……人や店によっては、小さな錆程度なあらば打ち粉を毎日すればとれるという人も中にはいるし、打ち粉で拭えばそれはそれで手入れとなって綺麗になるという人もいた……いたので、私は使わないようにしていた。単純な話私の場合は……ごまよりも小さな小さな錆が出た場合であっても、速攻で懇意にしている店に相談に行くようにしていた。それが一番間違いがない。

 古刀故かそれとも私の無駄に注いできた愛情故か……奉納刀は今も美しく私の手元に在り続けていた。元和に鍛えられた刀。元和は西暦で言えば1615~1624の期間だ。つまり鍛えられてから実に四百年以上の時間、こうして刀で在り続けているのだ。

 奉納されていたこともあって、多くの人の元を渡り歩いたわけではないだろう。だがそれでも……数百年の時を過ごし、さらには本土が戦場となった第二次世界大戦を超えてなお、当時の姿を限りなく残したその姿。刀剣好きとしては、あまりにも想うところが多すぎた。電灯に照らされたその輝きは……何かを物語っているかのように怪しく光っているようだった。

「……お前とも明日お別れか」

 人はいずれ死ぬ。私が先日売りに出した刀達も、大事にしていた持ち主が誰かに譲るなり売るなりしたからこそ……数百年後の私の手元に来たというのが事実だ。そして当然のことながら……あの世に持って行ける物は何もない。それはわかっているのだが……それを差し引いても……

「淋しいなぁ……」

 ぽつりと……そう小さく呟いていた。数十年間、私の手元で大事にしてきた刀だ。長いものは貴重であるため、見かけることもまれだ。

 お店側からしたら面倒なのだ。長い刀というのは。手入れに手間がかかるし、研ぎに出すにも研ぎ師を選ぶ。研ぎ場が広くなければ、長い刀は研げない。広さが必要なのは、先端を研ぐ場合などは、天井から紐などで茎を吊す必要性があるからだ。何せ重いのだから。故に長物は研げる人が限られるし、手間もかかるため費用もかかる。

 しかしそれらを差し引いても……私は長い刀が好きだった。これほどの長さの刀を鍛えるのに、どれほどの想いが込められたのか? そう想うと感慨深い物があった。何よりもこの奉納刀は軽いのだ。長物が好きなので、他にも三尺を超えた物を所持していた。現代の方が鍛えられた刀を持っていた。長さやら色々違うところがあるために一概に比較するのはおかしいのだが……それを差し引いても軽いのだ。もう驚くくらいに軽い。材料が違うのか技術が違うのか……そう考えるだけでもある意味で胸がときめく思いだった。

 全ての刀を大事にしていた自信はあるのだが……それでもどうしても優劣というか序列は付けてしまう。この奉納刀は間違いなく……四本の指には入る刀だった。ちなみに大概の人は、買った刀を同じ店などで下取りに出して、より高くていい刀と交換するような形で刀をグレードアップしていくのが主流といっていいのだが、私と友人はそれをしなかった。

(気に入ったから買ったのだから、それを手放すのが理解できん)

 そう友人と酒の席のたびに言い合ったものである。ゆえに……私達は刀の数がどんどんと増えていく人間だった。店側からしたら、若いのが来たこと、友人同士できたこと、買った刀を大事にして頻繁に鑑賞するのが好印象だったらしく、よくお世話になったものだった。

(お世話になったお店の方とも、それが理由で親しくさせてもらったのだったな)

 人によっては買ったのに数か月放置する人もいたらしく、刀好きな店員からしたらそれは寂しいらしく、下取り出さずに新しいのを買い、売る気もなく、月に何度も見ていると話したことで気に入ってくれたのを覚えている。

(あの方も、もう亡くなって久しいが……)

 お店の人の懇意でいろいろといい思いをさせてもらった。特に今私が手にしているこの奉納刀も、別のお店で購入させていただいたものだが……なかなか面白い店で、私が長いのを探しているのを知っていて、仕入れた長物を真っ先に見せてくれたものだった。そしてコロナという、歴史に刻まれた災害ともいうべき時期に店に訪れたことで、いきなり二割引きで売ってくれたものだった。

(いやぁ……破天荒というか、気風のいいお店だった……)

 美術品ゆえに、値付けはお店の匙加減次第とはいえ……なかなかすごい店だった。そしてそんなお店の好意があって、それに感銘を受けたこともあってこの奉納刀の拵えを新調したのだ。自ら刀の拵えを作るのに必要な金具をそろえて、購入させてもらったお店にお願いして、拵えを制作してもらったのだ。

 金具とはいくつか種類がある。一番有名なのは鐔だろう。抜くときに親指を当てる丸かったり四角かったりする金属製の鐔。柄に巻かれた柄糸に、巻き込む形で柄に設置する目貫。柄の一番下の頭と、鐔と接するところに付ける縁と呼ばれる金具。これは二つ合わせて縁頭と呼ばれる。そして、鞘の一部に仕込む、小刀の柄の小柄。さらに笄という金具。これらの事を刀装具と呼称する。

 これらの金具だけでも三十万近いお金……ちなみにこの刀装具も高い物は天井知らずで、一千万円の代物なんかがあったりする……を出した。また鞘も長い刀身にあつらえるため通常よりも遙かに費用がかかり、拵え制作に総額百二十万円もの費用がかかった。

 これといって刀剣と稽古以外に趣味がなかったので、お金に関しては困っていなかったのだが……流石に拵えだけで下手な刀を買えるだけの額が必要だったのは、面食らった物である。

 手入れと鑑賞を一通りすませて……私は再度温泉に浸かった。未練がないといえば嘘になるので……あのままでは夕飯の時間まで見続けてしまいそうだったので、未練を断ち切る意味もあって温泉に浸かって気持ちを切り替えた。そして夕餉をいただき、お酒もいただき……気持ちよく就寝することが出来た。




 翌朝。気持ちよく起床した私は朝早く温泉をいただき、再び手入れを終えてチェックアウトをして……今回の旅行の目的地である神社へと足を運んでいた。石階を上がり、長い参道へとたどり着く。少し先になかなか大きな鳥居のある、立派な神社だった。ある意味でそれも当然だろう。何せ数百年前からある由緒正しく神社なのだ。流石に伊勢神宮といったぶっちぎりの神社と比べられるわけではない。

 だが、そもそも神社なので比べるのも失礼な話。私は変なことを考えていた邪念を振り払うように一度頭を振るって……気持ちを引き締めて参道を歩いた。

 ついにお別れの時だ。そう考えた時だった。




「    」




「うん?」

 何かが聞こえた……そう思ったその瞬間に、一瞬だけ意識が飛んだ。飛んだと言っても気がしただけだ。そしていつ目を瞑ったのかも思い出せない状況で目を開けると……




そこは荒野だった。




「は?」

 実に間の抜けた声が、自らの口から漏れた。しかしそれも無理からぬ事だろう。何せちょっとした山の中にある神社の境内へと向かっている最中だったのだ。季節は春。まだ初夏ではないためまだ緑の色は薄いが、それでも葉が生い茂る木々がいくつも植えられた神社にいたのだ。それが……何故か一瞬だけ意識が飛んだと認識して目を開けたら、荒野にいるのだ。変な声が出るのも無理からぬ事だろう。

 時刻は日が真上にあるので、自分が先ほどまで神社にいた時間とずれはない様子だった。そして一口に荒野と言うが……正しくは荒れ地だ。廃墟というか……激しい戦闘で破壊された建造物のただ中にいる状況だった。そしてその破壊された元建造物らしく物に近寄って見れば……明らかに見慣れない感じの建造物だった。

 正直に言えば……どう見ても日本ではない。それどころか……現代でも見ないような建築様式の残骸だった。もっと言えば……何というか未来的な感じがする物だった。

「これは……一体……?」

 何がなにやらという状況だが……とりあえず自分の身体と荷物を確認し、問題がないことを確認した。しかし身体も荷物も問題はないが、状況はあまりにも問題大ありだった。むやみやたらに動き回るのはあまり得策では無いとも思ったが……救助などがくるわけでもないので、私は仕方なくあてどなく辺りを散策することにした。



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