想いを持って面妖を断つ!

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第1話 最後の稽古

「これにて、本日の稽古を終わる」

「「「ありがとうございました」」」

 正座にて師へ、そして正面に飾られた神棚に……稽古終わりの挨拶として頭を下げる。目を閉じ、頭を深々と下げて。稽古は普段と同じように出来たと思った。

 だが……稽古終わりの挨拶は、どうしても感情を抑えることが出来ず声がうわずったかも知れない。他の生徒の声もあるために埋もれてしまっただろうが……何故か自分の耳には届いた気がした。きっと気のせいなのだろう。それでも自分の感情が普段と違うのは致し方ないのだと、思わざるを得なかった。

何せこれが……私の生涯最後の、道場での稽古だったのだから。

「真堂師範。今日はありがとうございました」

「真堂師範……今までありがとうございました」

 周囲にいた生徒達から、次々にねぎらいの言葉を掛けられた。その顔は皆一様に複雑な表情をしていた。今日が私の最後の稽古であることは皆が知っているからだろう。

 ここは日本刀の真剣を用いた剣術道場だ。大した取り柄もない私だったが、それでも数十年稽古にいそしんできたこともあって、ありがたいことにお世話になっている剣術道場で、師範代としてお手伝いをさせてもらっていた。今も自らの愛刀が、腰の帯に差してあった。

 そして最後の稽古になった理由も知っているからこそ……複雑な表情をしているのだろう。

「ありがとう」

 声を掛けてくれた皆に、私はなるべく笑顔でそう返していた。しかし笑顔で返すのが逆に良くなかったのか……何人かの生徒は堪えきれずに涙を眦に浮かべてしまった。

「こらこら、泣くんじゃない。知っているだろう、どうにもならんことだ」

「だけど師範! あなたが……何で」

 特に慕ってくれていた生徒がぼろぼろと涙を流してそう言ってくる。しかし言葉にならないのか……俯いて手で顔を覆ってしまった。そんな可愛い生徒の肩に手を置いて、私は心から朗らかに笑った。

「人はいずれ死ぬものだ。そしてそれは年寄りからというのが正しきことだろう。これからもしっかりと精進していくんだぞ」

 肩に手を置いて、私はそう言った。私の思いが伝わったのかはわからないが……それでも生徒は顔を上げて、力強く頷いた。

「はい!」

 他のみんなにも声を掛けて、私は神棚の下に座っていた師匠であり、恩人でもある鹿島先生の元へと歩み寄って深々と頭を下げた。

「鹿島先生。これまでの35年にも及ぶ稽古。誠にありがとうございました」

「……うむ」

 鹿島一樹。私よりも10歳年上ながらも、未だ現役でこうして道場の師範として稽古を行っている。ご子息もおり、その子は先ほど私に挨拶をしながら涙を流してくれた生徒だった。

「……私よりも10も若いお前が余命幾ばくもないとは。どうしてなのだろうな」

 生者必滅、盛者必衰とは言うが、私の体はすでに病魔に冒されてそう長くないことが、医者に宣告されていた。

「ですが、こうして最後の稽古も無事に終えることが出来ました。また一人の人間として、仕事も勤め上げることが出来ました。それも全て鹿島先生のおかげです」

「先日、定年退職したのだったな」

 私は埼玉の田舎でも都市でもない実に中途半端なところで育った者だ。地元に就職し、お金を貯めて幼少時より好きだった日本刀を購入した。それだけに飽きたらず、実際に物を斬ることに興味を抱き……この道場の門戸を叩いたのだ。それがすでに遠い昔だった。

「本当に良いのか? 稽古は体のことを考えてのことだとは思うが、その……お主は家に一人だろう?」

「お恥ずかしながら、その通りですな」

 人付き合いが苦手ではなかったが……どうしても異性に積極的になれなかった私は、独り身だ。姉はいるが遙か昔に結婚し、夫の仕事の都合で外国籍を得て海外で暮らしている。私を育ててくれた両親もすでに他界しており、両親が遺してくれた家に私は一人で生活していた。

「愚息もお前の事を慕っている。ありがたいことにお前一人を迎え入れることぐらいの家には住んでいる。お前さえよければ、私の家で生活しても構わないのだぞ?」

 長い期間道場に通わせてもらい、剣術の手ほどきを受けたばかりでなく、あまりにもありがたい提案をしてくださっていた。

 だが……私の心はすでに決まっていた。

「本当にありがたい申し出ですが……知っての通り私の病魔はガンです。仮に闘病生活をすれば多大なご迷惑をおかけしてしまいます。それは私としては避けたいのです」

「どうしても治療をせぬつもりか?」

「はい。家族のいない私には当然ながら子もいません。姉も海の向こうです。誰かに迷惑を掛けず……ひっそりと死んでいきたいと思います」

「……そうか」

 姉にも迷惑を掛けると思って、自らの体のことは連絡していなかった。だが、土地やらのことで迷惑を掛けるのは忍びないので、弁護士に私が死んだ後のことはすでにお願いしてあった。要するに終活はすでに整えた後だった。

 しかしそれでも、自らの手で成し遂げなければ成らないことがあった。それは……自らが稼いだ金で買い集めた、自分にとって本当に大切な刀達の整理だった。

 日本刀は現代の扱いは美術品で、お店でお金を払えば誰でも免許等の必要なく購入でき、布の袋に包むなどして直ぐに抜刀できない状況であれば、電車にだって乗ることが出来る物だ。幼少時より好きだった刀は、就職して金銭を得たことで何本も購入したのだ。そうして購入してきた刀達のほとんどは、刀剣趣味の時間と同じ時間だけ付き合いのある、確かな店に売り渡した後だ。

 だがいくつか残された刀については……自分の手でどうしても行いたいことがあった。

「以前にお話ししたのでご存じでしょうが、趣味の刀を売り払ったので懐が温かいのです」

 買った値段で売れることは当然無いわけだが、それでも購入以来大事に大事に手入れしてきた趣味の美術刀剣達は、ほとんど全てが半額以上の値段で売ることが出来た。いくつかは価値が高まったので、半額よりも高値で売れた物もある。そのため、売り払った刀に使った金額の半分以上の額が、手元にあるのだ。

「そのお金で最後に国内を旅行しつつ……私の手元に来てくれた奉納刀を、再度神へと進納したいのです」

 進納と書いて「しんのう」と読み、意味は奉ること。奉納刀とは文字通り、神へと納められた刀の事である。長い刀が好きだった私が生涯を掛けて集めた刀の中に……どこに出しても恥ずかしくない物がいくつかあった。その一つが刃渡り三尺を超える奉納刀だった。

 しかも奉納刀ということもあって、茎からすりあげられていないため生ぶ茎のまま……長い刀は扱いにくいので、柄の方から短くして使いやすくすることが多いので、生ぶ茎というのは貴重といえて、長い刀で生ぶの姿を残しているのはけっこう希……なのだ。時代は刀の茎に「元和」と彫られているため、江戸初期ということになる。他にも奉納された神社の名前の記載もあった。

 鑑定書が附されてない刀だったので公益の財団である日本美術刀剣保存協会に鑑定をお願いすると、古刀の奉納刀であることが判明した。鑑定証というのは、日本刀のプロが数多く在籍している日本美術刀剣保存協会のプロ達に、自身が持っている刀がいつの時代で誰が作った刀なのかを鑑定してもらった結果を記した代物である。

 そして古刀とは、今も解明不明な古の技術で鍛えられた刀の事だ。おおざっぱに分類すれば、江戸時代より以前が古刀で、それ以降は新刀、新々刀。これらは時代刀と言われることもある。

 そして現代に生きる刀匠達が鍛えた物で、すでに故人となってしまっている人が打った物を現代刀、存命の場合は新作刀という風に呼ぶ。新作刀については人によるので一概にこれが正しいわけではないが、私は少なくとも刀の時代については、古刀、新刀、新々刀、現代刀、新作刀と分類している。

 もっと細かく言えば、時代にして江戸に突入した前後は、古刀の鍛造技術があったため、江戸初期にはまだ古刀が鍛造されていたと考えられていたので、新古境(しんこざかい)とも呼ばれている時代でもある。

 話が逸れたが、慶長より江戸が始まり次の元号が元和。そのため元和と彫られたこの奉納刀は新刀だと思っていたのだが、江戸初期に古刀の技術で鍛えられた刀であると鑑定されたのだ。

 江戸初期といえばまだ江戸幕府の支配体制が盤石ではない時期だ。私が手にした刀を納めた方は……果たして何を想い、刀を納めたのだろうか?

 しかし時代が過ぎれば価値も変わると言うべきなのか……今の日本において、日本刀というのは一般的には凶器でしかない。確かに元来人を殺すために生まれた武器ではあるのだが……少しでも勉強すれば、刀に込められた数十、数百の人の想いが込められた素晴らしい物なのだ。しかし、それを興味がない人に強いるのは酷な話だろう。

 そもそもにして何故神に奉納された刀が私の手元にあるのかといえば……当然だが売りに出されたからだ。神社や寺に奉納された刀が売られる理由はいくつかあるが、それはずばり……金銭問題だった。

 神社も寺も、時間と共にあちこちが傷んでくる。それの修繕費などを工面するために、神へ納められた刀を売る……ということはあるらしい。それはまだ神社や寺のためなので致し方ない部分もある。中には嘘か誠かは謎だが、神主の酒代のために売られる……なんてことがあるとか無いとか。

「本当に……お主は刀が好きなのだな」

「はい。刀と友が……今日まで私を生かしてくれました」

 これは本心だった。大学時代に親友となった友人で、一人は私と同じように元から刀が好きな者がおり、もう一人は私たちと一緒に行動するに伴って刀剣を趣味にしてしまった者がいた。刀という趣味があり、そして刀だけでなく他にもいくつも共通の趣味を持っていた友がいたからこそ……仕事で辛かったことも乗り越えることが出来た。そしてその友人達にもすでにある程度の話はすませてあった。

 仕事は定年を迎えて責任を果たした。友人も事情を話して最低限の筋は通した。ならば……最後に私を生かしてくれた刀に、少しでも恩返しが出来ればと、私は自慢の刀を再度奉納することを決意したのだ。

 長い刀はそれだけ貴重だ。故に売りに出せばそれなりの額になるのはわかりきっている。長い刀を買い集めている刀剣屋とも面識があるので、売れば喜んで買ってくれるのは分かっている。しかし独り身の男故に、金を残す相手もいない。ならば今まで生かしてくれた刀に、少しでも恩返しがしたいと愚考したのだった。

「淋しくなるのぅ」 

 先生にそういわれて……深くにも私も涙が潤みそうになってしまった。だがそれでも……今日が今生の別れというわけではない。ならばまだ、涙は流すべきではないだろう。そう想って……再度鹿島先生にお礼を述べて、私は道場を後にした。

「良い月だな」

 見上げれば、そこには綺麗な月が雲にかかることなく浮かんでいた。そんな明るい月に照らされた道を……私は歩いて帰路へと着いた。道場で剣を振るった最後の夜だった。一人になったこともあって……思わず少しだけ泣いてしまった。

 これが私……真堂宗一の最後の剣術稽古帰りの夜だった。

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