第78話 どうして私が!

《side瀬羽ジュリア》


 スミレとユミから、どうしても手が離せない用事ができたから紐田さんのお世話を頼まれた。

 どうして私がという気もするが、これも何かの縁だと思えば仕方ないとも思えた。


 しかし、大人である紐田さんに世話がいるとは思えない。

 二人からは「絶対に世話をしないとダメなの!」「そうだよ! ヨウニイは世話をしないとダメ!」と念押しされてしまった。


 葉月姉さんに問い合わせをしたら……「うん。お世話してあげて欲しいなぁ〜」と言われてしまった。


 これだから瀬羽家の女は世話をする男性を見つけるとおかしくなる。


 私だって、世話をしたくなるような男に会ってみたいと思ったこともある。

(彼氏に興味がないわけじゃない。だけど、私に相応しい男がいないから仕方ないじゃない)


 玄関を開けてリビングに入ると、サンドイッチが置かれていた。


「うん? もう用意してあるじゃない。なら、私はなんのために呼ばれたの?」


 サンドイッチの横に手紙があって、《ヨウイチさんに食べさせてあげてください。》と書かれていた。


 はっ? 意味がわからないんだけど。食べさせる? サンドイッチなんて簡単に食べられるでしょ? 意味がわからないと思って、サンドイッチ持って、紐田さんの部屋に入る。


 そこにはパソコンに向かって何か作業をしている紐田さんがいる。


 うん。普通だよね? むしろ、仕事してるのを邪魔しちゃ悪いまであるんじゃない? 

 

「紐田さん。入るよ」


 私が声をかけても彼は反応すらしない。

 

 あっ、これはあれだ。私をモデルにして観察していた時と同じだ。

 なるほどね。集中状態に入るから、ご飯も食べないで作業をするってことなのね。


 なんとなく事情を察して、ランチ時にご飯をあげるだけでいいと言われたわけがやっとわかった。

 どれだけ呼びかけても、意識を覚醒させないから、食べさせるのか?


「どうして私が!」


 仕方なく、紐田さんの横に座ってサンドイッチをテーブルに置く。

 真剣に何かに取り組む男性の顔というものを、マジマジと見たことはない。


 何をしているのか手元を見てみれば、私が見せた体の動きから絵を描いている。その絵は下書きだとわかっていてもとても綺麗で、私がこれまで見てきた中で一番上手いと思う。


 だけど、別に上手いと思うけど感心するほど私は絵のことがわからない。

 真剣な目で取り組む姿はいいと思うけど……。


 そっとサンドイッチを持ち上げて、彼の口元へ差し出した。


 それは何も考えていない。

 まるで動物園の動物に餌をあげているような気分になる。


 だけど、私が差し出したサンドイッチをパクりと口にする姿はなんだか……可愛い。


 うん。わかっている。


 この人は私よりも年上で、ちゃんと自分のことは自分できる人だ。

 何度も話をしてわかっているのに、こんなにも無防備な姿を晒している。


 こうやって絵を描くことを仕事にしてお金も稼いでいるはずなのに、自然体で人に甘えることをできる人。


 別に誰かを頼りにして生きているわけじゃないのは知っている。


 不思議なのは、凄く美人な私の従姉妹たちに囲まれても、平然としていれられる精神力。


 ううん。


 最初は、緊張したのに今ではあの子達の方が彼に夢中になっている。


 そう、彼が見ている世界に私はいない。


 それってなんだか悔しいな。


 ちょっとだけ、ちょっとだけイタズラをしてみよう。


「ヨウイチ」


 私は彼の名前を呼んだ。


 男性の名前を呼んだことはない。

 彼氏なんて存在、いたことがないのだから……。


 美人って言われてきた。

 かっこいいとも言われてきた。


 だけど、男の人に触れられたことも、触れたこともない。


 どうして私を見ないの? 私綺麗でしょ?

 どうしてあなたはそんなに無防備なの? 私に何かされると思わないの?

 

 名前を呼んでも返事はない。

 なら、今度は彼の肩に触れてみる。


 だけど、彼は動きを止めることなく、パソコンに集中していた。


 私はそっと彼の背後に回って匂いを嗅いでみる。

 男の人の匂い。


 そっと彼に抱きついて頭の匂いを嗅いでしまう。


 どう? これでも気づかないなら、もっと凄いことをしてあげるんだから。


 今まで男性への免疫がない女舐めんじゃないわよ!


「あの〜」

「えっ?!」

「何をしているんですか?」

「わひゃっ!」

「えっ?」

「どっ、どうして今気づくのよ!」

「えっと、いつもスミレさんが、集中しているのを止める時に後ろから抱きついてくるので、あっスミレさんだって思ったらいつもとは違う匂いがして、それで嗅いだことがある匂いが、ジュリアさんだって思って」


 私は一気に自分の体温が上昇していくのがわかる。


 顔も熱い! 心臓もドキドキして止まらない。


「しっ失礼したわね。サンドイッチが置いてあるから食べて頂戴!」

「あっ、はい。ありがとうございます」

「それじゃ! 私はもう仕事に行くから。頑張りなさい!」


 足早に私は今自分がしていたことを誤魔化すように家を飛び出した。


 何をしているんだろう。

 自分が悪いのにヨウイチが悪いみたいに、矢継ぎばやに言葉をかけて、部屋を飛び出してもしばらくの間、ドキドキしている心臓の音が止まらなかった。

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