第12話 仕事をしようと思う

 体調を崩してから、数日が過ぎた。

 すっかり体も良くなってきて、左腕の方も指の感覚以外は随分と楽になってきた。


 包帯が取れるのはもう少し先になるが、それでも体調が落ち着いてきたので、そろそろ仕事を探さなければいけない。


 いくら、貯金に余裕があるといっても、一生食べていけるわけではない。

 それに、いつまでもスミレさんのお世話になっているわけにもいかない。


 年下の美人な女性の大切な時間奪っているだけで、申し訳ない気持ちが優ってしまう。

 それに自分が金を稼いでいないのに、世話だけされている状況がどうにも落ち着かない。


 すぐに動きたくはあるが、引っ越しができる住所が決まるまでは、彼女の家でお世話になる。


 だからこそ、自分の中で絶対に手を出さないと誓いを立てている。


 これは俺なりのケジメのようなものだ。

 

 甲斐性がないままズルズルと甘えてしまって、スミレさんの優しさに漬け込む自分自身を許せない。

 それにこんなオジサンに手を出されて、警察に駆け込まれたら、一生後悔しながら生きることになる。


「そろそろ仕事をしようと思うんだ」

「仕事ですか?」

「ああ、元々漫画家のアシスタントとして働いていたからな。できれば、絵の仕事に戻りたいと思っているんだ」

「ヨウイチさんは毎日パソコンで絵を描いていますもんね」

「ああ、部屋を借りて機材を揃えて、仕事をするスペースを整えようと思う」

「家を借りる?」


 このまま世話になるのも申し訳ないということもあるが、流石にこの部屋の間取りでは集中して仕事が行えない。


 せめて自分の仕事場と呼べる部屋が欲しい。


「この家を出るんですか?!」

「流石にいつまでもお世話になるわけにはいかないからね」


 俺の言葉にスミレさんが物凄く悲しそうな顔をする。

 1DKの間取りは一人暮らしをするのには最適だと思うが、恋人でもない二人で暮らす場所じゃない。

 

 それに仕事をするなら余計に広さが足りない。


 前の職場は数人のアシスタントと伊地知先生が仕事ができるような広い部屋だった。


 俺は漫画が描けるとは思っていない。

 

 だからアシスタントを雇わなくても、自分一人で絵が描ける部屋があればいい。


「イラストレーターとして、大きなパソコンとか資料が置ける部屋が欲しいんだ」

「なるほど、今のこの部屋では狭すぎるということですね」

「そうだな。それにスマホを買って仕事の依頼を取らなければ。そのツールとしてSNSもやろうと思っているんだ」

「SNS?」

「ああ、最近は自分の絵を掲載して、その絵を見て仕事の依頼を出してくれるんだよ。ロゴのデザインをしたり、小説の挿絵とか、ゲームやアニメ、漫画の手伝いとかも、とりあえず仕事を貰えたら頑張りたい」


 五年くらいなら、仕事をしなくても食えるぐらいの貯金はある。そこまで焦らないで気長に募集をかけてもいい。


「わかりました!」

「えっ?」

「一緒にお部屋を探しましょう」

「えっ?! 一緒に?」

「はい!」


 いやいやいや、そんな目をキラキラさせて当然ですみたいな態度を取られても、それはどうなんだろう? どうしてこの子は俺と一緒に引っ越しをしようとするのかわからない。


「完全に左腕は治っていませんよね?」

「うっ、あっああ」


 正直な話をすれば指の感覚は全くない。

 スミレさんには言っていないのに、どうして知っているんだろう?


「私はヨウイチさんの怪我が治るまではお世話をすると誓いました。だから、何でもします。何でも言ってください、どんなことでもしてあげますから!」


 そんなにも真剣な目で見られても困る。

 そのために引っ越しは少し違うと思う。

 せめて、隣の部屋とかが空いていれば、ありがたいんだけど。


「もっ、もしも、甘やかして欲しいとか、私の全てが欲しいとかでも、私はヨウイチさんなら」

「っ……」


 あまりにも衝撃的な言葉に、俺はガツンと頭を殴られたような感じがした。


 言葉の綾だとわかっていても、威力がヤバい。


 年下美女から上目遣いに脳へ直接入り込んでくるような甘い囁き。理性を蝕むような甘さを含んだスミレさんの言葉は、俺を世話する以上の感じがして変な気持ちになってしまう。


 スミレさんは魅力的だ。


 毎日、スミレさんの部屋の中で、スミレさんが使っているシャンプーで、全てがスミレさんの匂いに包まれて、強烈な甘い刺激が脳を揺さぶってくる。


 綺麗なサファイアを思わせる青い輝きを放つ瞳は、上目遣いに俺を捉えて離さない。


 ただ、その瞳は何か俺の体に絡みつくような糸を連想させる。


「こらこら、大人を揶揄うもんじゃないよ。俺はオジサンだからね。こんなオジサンじゃなくて、スミレさんのように魅力的な女性にはたくさんの若くてイケメンの男子が言い寄ってくるよ」


 危ない!


 本当に危なかった。


 もう少しで押し倒していたかもしれない。


「そう……かもしれません。だけど、ヨウイチさんのお世話がしたいんです!」

「うん。それは助かるし、嬉しい。よろしくお願いします」


 ふぅ、なんとか茶化すように誤魔化せたかな?


「ヨウイチさん」

「えっ?」


 名前を呼ばれて振り向くと、スミレさんが立ち上がって俺の頭を抱きしめていた。豊満で柔らかくて良い匂いがする物が顔に当たって……。


 えっ?


「若くてイケメンさんじゃなくても、私はヨウイチさんを甘やかせてあげたいです。だからいつでも言ってくださいね」


 抱きしめられた状態で、甘い囁きが降り注ぐ。


 ヤバいヤバいヤバい!!!


 俺は唾を飲み込んでゆっくりと彼女の腰へ腕を回した。


 あれほど胸は大きいのに腰は細くて、だけど柔らかくて女の子を抱きしめている感触に理性が飛びそうになる。


「ふふ、ヨウイチさん。可愛い」


 そう言って頭を撫でられて、俺は彼女が男女ではなく、世話をするペットのように思っているのではいかと思って気持ちを沈めることができた。


 

 スミレさんとの生活は、甘い何かが流し込まれていくような抗い難い感覚に襲われる。

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