第9話 side編集者 1

《side仲介チュウカイ


「先輩聞いてくださいよ!」

「おやおや、どうしたんだい後輩君」

「先輩から引き継いだ伊地知先生のことですよ」

「あ〜なるほど」


 伊地知先生は、高校生漫画家としてデビューを果たして、今年で十一年目の中堅漫画家さんだ。

 レーベルとしても、稼ぎかしらではあるので色々と便宜を図っている。

 そんな稼ぎかしらな漫画家さんの一人ではあるのだが、何せ気分屋で機嫌をとることが難しい。


 最初は現在の編集長が担当編集をしていた。


 まだ幼い彼女を導き、ベテランのアシスタントをつけることで我儘なお嬢様の高校生活を守りながら漫画を描かせていた。


 二代目として、私も五年ほど担当をした。

 記憶にある伊地知先生は、随分と手を煩わされた。

 そして、今年になって引き継いだのが後輩君だ。


「何? また紐田さんとクビだ〜とか言って喧嘩でもした? 編集長から引き継いだと思うけど、紐田さんだけは絶対に離しちゃダメだからね」


 そう、伊地知先生にとっての生命線。

 実は、紐田さんというアシスタントが要になっている。

 伊地知先生は、コミュ障で人との接することができない残念な先生なのだ。


 編集は代々、先生のコミュ障を理解した上で、アシスタントを選び。

 先生の機嫌を取っていくことが申し送り事項として伝えられている。


「そっ、それが……。あははは、紐田さんが行方不明になりました」

「ハァ!!!!! マジで?!」

「まっ、マジです。あっいや、でもまだ一日だけで」

「一日? 一日ってどれくらいの時間?」

「えっ、えっ? えっと、そろそろ二十四時間経つかと」

「ヤバいじゃん! 先生は?」

「先ほど、休載したいって連絡が」

「マジで! ちょっと出てくる! あんたもついてきな!」

「はっ、はい!」


 私は急いで先生の元へと向かった。


 案の定、アシスタントは誰もいない。


 仕事場になっている部屋の中では、先生が椅子に腰掛けて膝を抱えている。


「先生!」

「ああ、仲介さん。久しぶり」

「お久しぶりです! 大丈夫ですか?」

「えっ? 何が? ああ、休載? ごめんなさい。締め切りに間に合わなくて」

「そっちはいいです。先生はいつも頑張ってくれているので、休んでいただいて結構です。こちらが休んでくださいって言っても本当に急病以外は休まないんで。休むことも大切です」


 この先生はコミュ障で、趣味らしい趣味もないから、仕事以外に全く興味がない。

 いや、色々な流行りには敏感にアンテナを張っている。それは全て漫画のためで、漫画を書き出すとそれだけになってしまう


 天才型の先生は思いつくと止まれない。


「それよりも紐田さん」


 私が紐田というと、先生の肩がビクッと震えた。


「わっ、私がクビって言って、やめるって荷物も、スマホも持って出ていって」


 ああ、やっぱりだ。


 先生は紐田さんに依存していた。


 先生は天才型の漫画家で、紐田さんは努力型の絵描きだった。


 最初は美大で習った技法でしか絵が描けなくて、正直使いモノのならないかもと思っていた。

 だけど、彼は見る見る漫画の絵が上達して、編集長と私が辞めないように、必死に説得するほどのアシスタントに成長していった。


 しかも性格がとてもいい。


 先生が怒鳴っていもケロッとしていて、堂々と次の日も仕事をしてくれる。

 やめろと言われたり、下手だと言われても動じない。

 ただ、淡々と仕事をして、伊地知先生から吸収したことを遂行していく。


 仕事人だ。


 一度、四コマ漫画を描いてもらったことがある。


 伊地知先生は面白くないと突っぱねたが、そんなことはない。

 シュールな面白さがあってウケが良かった。


 キャラたちの特徴をしっかり捉えられた四コマは、連載の最後に載せたいと思うほどだった。

 ただ、そんなことをすれば伊地知先生の機嫌を損ねてしまいそうだったので言えなかった。


「今回は本気ってことですね。わかりました。こちらの方で探しておきますが、しばらくは別のアシスタントを来させます。先生の仕事量は増えてしまいますが、連載よろしくお願いします。無理そうでしたら、休載しながらでも大丈夫です」


 私は編集長に連絡を取って、別のアシスタントを回してもらった。

 新人の編集では難しいが、中堅の私からなら話も通しやすい。


「わっ、私がクビって言ったから」


 他のアシスタントがおらず、最初の頃から顔見知りである私が来たことで先生の心が決壊してしまったようだ。


 いきなり涙を流し始めた。


 二十八歳にもなって好きな男性に告白もできないで、拗らせて追い出してしまう情けない女性なのだ。


「先生、気分転換にショッピングモールに行きましょう。女性の気分転換と言えば買い物です。先生はお金たくさん持っているんですから、こういう時に気晴らしをしないとダメです」


 私は仕事場の隣にある先生の部屋から着替えを見繕って着替えさせる。


 連れてきていた後輩には、明日から至急で来れるアシスタントを探すように指示を出して、私は先生を連れ出した。


 服を買って、美味しい物を食べて、多少は気分が晴れてきたのだろう。


 先生は、人目も考えないで紐田さんのことを話し出した。


「どうしてよ!」 


 しょげていた先生は気分が晴らせたことで、今度は怒りが込み上げてきたようだ。


「伊地知先生、落ち着いてください。先生の気分転換に外の空気を吸いに来たんじゃないですか」

「ふん、落ち着いているわよ。だけど、どうしてあいつは戻ってこないの?」

「それは先生がクビにしたからではありませんか?」

「それでも今までなら戻ってきていたじゃない」


 流石に紐田さんも、良いおじさんなので、見切りをつけたと思うのが私なりの見解だ。

 先生の気性をわかっているからこそ、ここら辺が潮時だと。


「流石に五度目なので、スマホも置いていかれました。もう戻ってこないんじゃないでしょうか? 諦めて別のアシスタトを探しましょう」


 紐田さんが見つからない時のことを考えて宥めておかなければならない。


「アイツの代わりなんているはずないじゃない。私の背景を描けるのはアイツだけなの。他の奴が描いた背景で私が納得できるとでも?」

「それはなんとか納得していただかなければいけません。今週はお休みにしましたが、来週には原稿をいただきたいのです。先生の作品を待っている読者がたくさんいるんですよ」


 それだけ認めているなら、クビになどしないでほしい。


 その後も先生を宥めて気分転換をさせて、なんとか仕事に戻ってもらうことに成功した。


 ドッと疲れたが、もしも紐田さんがイラストレーターや漫画家としてやる気があるなら、私は応援したいと思う。


 彼にはそれだけの才能があるのだから。

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