第8話 side漫画家 1

《side伊地知》


 「なんで、こんな簡単なこともできないのよ!」


 今日も私は怒鳴り声をあげてしまう。


 わかっている。

 

 自分は描いている間にどんどんイメージを変えて、頭の中にあるイメージとはそぐわないと急に変更していることを、自分の頭の中を読める人でもない限り、無理難題を言っている。


 だけど、頭の中で生まれたイメージと出来上がったイメージが違うなら、違うというしかない。


 確かに一分前は、それでいいと思った。

 だけど、今思えばイメージが違うのだ。


「もう無理です。先生。私辞めます」


 今日で何人目だろう。


 いつもそうだ。


 漫画家になってアシスタントが変わるのは。


 いつも長くは続かない。


 最初に始めた頃にいてくれた子はまだよかった。

 年上で色々とできて、私が思った通りのことをしてくれる。

 だけど、私の漫画がどんどん売れるようになって、さらに良い物を作らないといけないと思って、私は力を最大限に発揮し続けた。


 そうすると次第に私の求めるレベルについて来れなくなってきた。


 人物は特にダメ。

 背景もダメ。

 トーンを塗ることしかできないチーフアシスタント。


 多分、彼女はそんな自分が嫌になって辞めてしまった。

 その代わりに残ったのは新人の冴ない美大生だった。


 絵を描くことは上手い。


 だけど、手は遅いし、こちらの要求に答えてくれない。


 アシスタントの新人時代に二度もクビを言い渡したけど、何故か残って、私が気づいた時には彼以外、私の元でアシスタントができる人がいなくなっていた。


 だから、昔の編集は私を宥めて彼を残すように何度も説得した。


 私も漫画を描いていない時は彼に優しくしようと、衣食住の安定と、給与の払いはちゃんとした。

 

 元々コミニュケーション能力が乏しい私にできることはそれぐらいだった。


 編集が変わって、アシスタントが変わっていく中でも、彼だけはずっと私の隣にいてくれた。

 私がイメージする背景を彼だけが描けたから。


 変な人だった。

 

 私よりも三つほど年上で、最初は冴ない人だったけど、だんだん漫画の絵が上手くなって、私に似た描き方をする。

 それはキャラクターや背景を私の思惑通りの絵に仕上げてくれる。


 だけど、圧倒的にセンスがない。


 絵はまだいい。

 だけど、話を考えるボキャブラリーが足りなさすぎる。

 彼は、絵ばかりを描いていて、他のことに興味がない。

 恋愛経験も学生時代にしたきりで、大学を卒業してからはうちで仕事をして、全然刺激を受けていない。


 だから、彼の描いた四コマを読んだ時、とてもつまらなくて、とてもシュールな面白さがあった。


 それは困る。


 彼がいなくなったら、私の仕事ができない。


 今でも忙しく漫画家としての活動ができているのは、全て彼が手伝ってくれているからだと思っている。


 だけど、やってしまった。


 大きな仕事が舞い込んできた。


 扉絵として、私の漫画が使われる。


 だからキャラと背景には細心の注意をかけたい。


 彼も同じように思っていてくれて、背景を何度も私に問いかけてきた。

 私はキャラに集中したくて、彼の問いを聞きながらも、どこかで彼ならば私のイメージに合わせて変えてくれるだろうと勝手に思っていた。


 だけど、出来上がった背景を見て、色をつけた物を見て、明らかに私のイメージと違う。


 わかっている。彼は間違ってはいない。


 私のオーダー通りの仕事をして、私のオーダー通りの色を塗った。


 だけど、いつもの彼なら私のオーダーに一癖を加えて、私以上の作品を提供してくれる。


 そう、背景に関しては彼は私を超えている。

 だから私は彼に託してしまっていた。


 彼なら私のイメージを超えてくると、彼が私のイメージに沿わないと。


 だけど、彼は私のイメージの中に収まる作品を提出した。


 それは私のオーダー通りの背景で、色が塗られていた。


 だから私は言ってしまう。


「あんたなんてクビよ!」


 心に思ってもいない言葉。


 本当はあなたにずっといてほしい。


 だけど、私を超えられないあなたはクビ。それを言わずにはいられない性格が恨めしい。


「いいですか? 締切直前ですよ。俺をクビにしたら、間に合いませんよ」

「うっさいわね! 私の言う通りに描けないあんたが悪いんでしょ! 指定した通りの背景じゃないじゃない! こんなオーダーは出してない!」


 オーダー通りの作品なんて求めてない。


 オーダーを超える作品を、いつもの何気ない時には描いてくれるのに、どうしてこんなにも大事な時に私程度のイメージに収まる背景を描くの? あなたの方がすごいのに。 


「わかりました。やめさせていただきます」


 ペンを置いて、元々少ない荷物を持ち上げる。


「最初からそう言えばいいのよ! 寮の部屋も今日中に出て行ってよね! これでイライラするのも最後だと思うと正々するわ!」

「そうですか、今日までの給料は払ってくださいね。振り込まれてなかったら訴えますよ」


 どうせ、こんな喧嘩をしても彼は戻ってくる。


 今まで四回彼にクビを言い渡した。


 だけど、彼はいつも何気ない顔して、次の日には仕事場の机に座っていたから。


 私も何気ない顔をして仕事に入る。


 これは、長年連れ添ったパートナーとの夫婦喧嘩のような出来事。


 そう思っていたのは私だけだった。


 次の日、彼が戻ってくることはなかった。


 彼の荷物はなくなり、スマホは机に置かれたままで、編集に電話をする。


「締め切りに間に合わないわ。休載します」


 私は仕事を始めてから、初めて休載した。

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