第7話 社畜を思い出す

 彼女が買い物に出てしまっている間に、俺はリュックからパソコンと、イラストを描くためのお絵描きパットを取り出した。


 昨日までは、なんだかんだと絵を描いていた。


 怪我をしようと、風邪を引こうと、ずっと絵だけを描く日々は、いつの間にか修行僧のようで、嫌だと思うようになっていた。


 好きなことでも、仕事にすればしんどくなる。


 まさしくそうだと思う。


 俺は絵を描くことを仕事にして、良い思い出が何一つない。

 就職してすぐにクビを言い渡され、それからも毎日怒られながら、必死に食らいついていく日々だった。


 自分なりにやっと一人前になったと思えたのに、五年はかかった。


 だからこそ一日でも絵を描いていないと不安になる。

 何もしなければ、自分がどんどん絵を描くことが下手になっていくように思うからだ。


 ほとんどの場合は、風景や背景と呼ばれる人物ではない場所を描かされていた。

 だけど、本来人物を描くのが好きだ。


 漫画やアニメ、キャラクターのイキイキした表情を描くのが好きだった。

 美大に入った当初は、画家を目指していたけど。

 途中からは漫画家、もしくはイラストレーターとして一人前になることを夢見るようになっていた。


 それが仕事に追われて、自分の夢を見ることなど忘れて、ただがむしゃらに働いた。


 そのおかげでいくつかいいこともあった。


 衣食住のうち、


 衣装は、だいたいがジャージにエプロンという仕事着姿。

 食は伊地知が食べる際に、一緒に食べるので全て奢り。

 住むに関しては職場と同じフロアのマンションが寮として貸し出されていた。


 だから、ギャンブルをする時間も、アプリゲームをやる時間もない。


 その全てを仕事と休息を取ることだけに費やしてきた。


 それが十年も続けば、貯金は十年分の給料7割程が残っている。

 それに絵を描くことが上手くなったと、自分でも思える。


 数年前に友人と酒を飲みにいく機会があり、そのことを話すと。


「ちょーブラックじゃん! 今時珍しいぐらいにヤバいとこだぞそれ」

「そうか? もう普通になっててわからないよ」


 締め切り前の追い込み時期になると、三日徹夜して仕上げるなんてよくあることだ。

 それ以外にも伊地知の連載が一つではない時は、一週間から十日で、睡眠時間が平均二時間程度というのも経験した。


 人間やればできるのだと思うようになっていた。


 これが凄いのが、伊地知は、俺よりも年下なので体力がある。


 高校生でデビューをして、俺が大学を卒業した頃には二年目の新人気鋭の漫画として有名な人物だった。


「まぁ、ちょっと気が強すぎて、敵を作りまくりだけどな」


 性格がキツすぎて、アシスタントはすぐに辞めていく。

 確かに画力、ストーリー性、キャラの活かし方など、全てが天才と思える人物だ。

 学ぶべきことも多かったが、人格が破綻しているの。

 あの罵声を浴びて耐えることは難しいだろうな。


「ふぅ、絵を描き出すと、どうしても伊地知のことが脳裏に過ぎるな」


 最悪ではあるが、十年も下について絵の勉強をしてきたのだ。画風が似てしまうことは否めない。

 漫画家を目指した時、俺の絵が似てると言われかねない。


 まぁ、漫画家になることは諦めた。

 俺にはストーリーを作る才能が皆無だった。

 四コマ漫画を描いた時、伊地知に言われた。


「こんなつまらないストーリーで、私のキャラを冒涜するな!」


 そう言ってクビを言い渡された時はショックだった。

 読者からは、いつもとは違う観点から見れて面白いとも言われたが、賛否両論で、結局伊地知がいうように面白くなかったのだろう。


 それ以降は編集さんから漫画を描いて欲しいと声をかけられることは無くなった。


「だから、自分なりのオリジナリティーある絵を作り出したい」


 伊地知の模写ではない。


 俺自身の絵を描かなければ、イラストレーターとしても成功することはできない。


 そのためにも動く右腕を鈍らせたくはない。



《side瀬羽菫》


 私はお母さんから教えてもらった秘伝のレシピにつかう材料を買って、家に帰ってきました。

 扉を開けて部屋の中に入っていくと、ヨウイチさんがリビングのテーブルにパソコン画面を広げて、何か真剣な顔をしています。


「ただいま帰りました」


 私が声をかけても、反応がない。


 それほどまでに真剣に取り組む横顔に、私は少しだけ見惚れてしまいました。


 男の人が真剣に何かに取り組む姿勢が、こんなにもカッコいいなどと知らなかったからです。

 同級生の男の子たちが、スポーツなどで活躍する姿を見ても何も思わなかったのに。


 そっと、私はヨウイチさんが何をしているのか覗き込んでみました。


 そこにはとても美しい絵が描かれていて、その絵の中にいる人物は、私に少し似ているように感じます。


 でも、どこか幻想的で神秘的な雰囲気を纏っていて、ヨウイチさんの中で私がこのように見えているのだとしたら嬉しい。


 そんな風に感じてしまうほど、ヨウイチさんの絵は私を魅力的に描いているようでした。


 これは自惚れかもしれませんが、ヨウイチさんは私を美しい女性だと認識してくれているのでしょうか? そうであるならこれほど喜ばしいことはありません。


 私はヨウイチさんの邪魔にならないように、荷物をおいて、冷蔵庫で片付けをしました。


 ヨウイチさんの集中力が切れて、お昼を食べたいと言われてもいいように静かに作れる物を用意します。


 システムキッチンの台所からリビングに座って作業をするヨウイチさんは、とても素敵です。


 できるなら、毎日ヨウイチさんを見ながらお世話してあげられたらいいのに。


 一瞬だけ、ヨウイチさんの左腕が一生治らなければいいのにと思ってしまいました。

 そうしたら、私のそばに一生いてくれるのではないだろうか? そんなことまで考えてしまいます。


「あっ! スミレさん。帰っていたんですね。お帰りなさい」


 邪なことを考えていたのがバレたとのかと思うタイミングで、ヨウイチさんに声をかけられました。


「ヒャッ! たっ、ただいまです」

「すいません。絵を描くのに集中すると、つい周りが見えなくなってしまって、帰っているのに気づけませんでした」

「凄い集中力ですね」

「はは、これが仕事でしたから。それよりもすいません。色々と買ってきてもらってしまって」


 ヨウイチさんはパソコンなどをしまって、私の手伝いをしようと立ち上がる。


「ダメです。お怪我をされているヨウイチさんは、リビング座ってください。買ってきた服のチェックをお願いします」

「ですが、自分のことばかりで申し訳ないといいますか?」

「私がしたいんです。私が、ヨウイチさんのお世話をしたいので、ダメですか?」

「だっ、ダメじゃないです。だけど、甘えすぎなような」

「いいですよ。さぁさぁ、服は問題ないか確認をお願いしますね」

「はい。ありがとうございます」


 ヨウイチさんは申し訳なさそうにしながら戻っていった。

 

 お世話をすることを取らないでほしい。


 もう少しだけこの時間を独り占めしていたい。

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