第11話 そこに、救いなど望みようもないから、嘘を吐くほかになかった。
「極上のお昼寝を味わう覚悟は、よろしくて?」
ルーシーの言葉に「昼寝?」と首を傾げる皇帝を連れて、彼女は馬車を降りた。皇帝の方を向きながら、ルーシーは踊るように歩く。
きらきらと太陽に照らされる森の中を少し進むと、不意にぽっかりと木々が途切れる。森の中にできた、小さな空洞。その中心に、そびえたつ大きな木を指さしながら、振り返ったルーシーの口から感嘆の息がもれる。
「まあ……!」
森の空白を埋めるように、一人きりの大木を包み込むように、色とりどりの花が咲いていた。六枚の花弁の色は様々だけれど、どの花もぽつりと中心が黒く染まっている。一度咲けば、枯れることも、色褪せることもない、魔女の花だ。かつて、ルーシーが暮らしていた小さな家の庭にも、同じ花が咲いていた。
「……花は、好きか」
背後に立った皇帝に低く問いかけられる。
「ええ。美しいものは、みな好きですわ」
触れることは、出来ないけれど。
ルーシーは花々を見つめて目を眇める。
「手を貸せ」
皇帝はそう言うと、ルーシーの手を引いて花畑へと一歩踏み出す。呆気にとられて、その背をぱちくりと見つめていれば、皇帝は不意にしゃがみこむ。一体何をしているのだろう、と視線を落とすルーシーを、怪訝そうな顔で皇帝が見上げた。
「何をしている」
「わたくしの台詞ですわ。急に手を取ったりして……いったい、なんですの?」
ルーシーが眉を寄せて問いかければ、皇帝は視線を彷徨わせる。
「俺、に、ふれていれば、君は、何も殺さずにすむ」
皇帝はたどたどしく言葉を紡いで、ルーシーの問いに答えた。
「人間は、ダメだろうが。鳥や、花くらいなら、枯らさずに触れられる、はずだ、たぶん」
目を逸らして語る皇帝の言葉で、ルーシーが月の女神のうつしみだと彼が気づいていたことを知った。知っていて、あんな風に迷いなく触れたのだとも。「花に、触れたいのだろう?」皇帝が顔をあげる。白い瞳が大きく見開かれて、それでルーシーは自分が泣いていることに気が付く。勢いよく立ち上がった彼は、まっすぐにルーシーの頬に手を伸ばそうとして、けれど途中で指先を握りこんだ。
うまく、息が出来ない。
そんな顔を、しないでほしかった。
(泣いているのはわたくしなのに、あなたの方が痛そう、なんて)
どうして自分が泣いているのかも分からないまま、ルーシーは彼に一歩近づいて、その胸板に額を預ける。憎い男の体温は服越しであっても温かくて、どうしたらいいのか分からなくて、ルーシーは目を閉じた。頬をつたった雫が、青い花弁を静かに揺らす。
それはまるで、月夜におちる、一筋の雨のように。
羽が触れているような力加減で、ルーカスが頭をなでる。
「ずいぶんと遠慮した触れ方ね」
目を閉じたままでそう言えば、ルーカスの低い声が耳朶をくすぐった。
「……泣いているところなど、見られたくないかと思った」
「見られたくないわ、世界の誰にも」
だから、こうして隠れているんでしょう。
細い声で答えると、ルーカスの腕が頭の上に回った。そうすると彼の肩にかかった大きな布がルーシーを太陽からも覆い隠す。優しい影のおちる場所で、ルーシーは声もあげられずに泣いた。
肌が裂けて、覗いた肉ごと全身を抱きしめられているようだった。
痛くて、苦しくて、もうやめてくれと思うのに、待ち望んだ温度を振り払えるほど、ルーシーは強くなかった。思い出してしまった他人の温もりを、もう一度手放して、心に蓋ができるほど、彼女は大人ではなかった。
(どうして)
だれにぶつけたら良いか分からない問いかけが、喉の奥に刺さる。
(どうして、あなたなの)
これがもし、ローガンだったなら、きっと待っているのは幸せな結末だった。
恋をして、越えられない壁とやらにぶつかって、それでも手を離せないと泣いて、二人で幸せを掴むような、ありふれた恋のお話になっただろう。
触れられるのがノアなら。リリィなら。ヒースなら。
(どうしてあなた、あの人を殺したの)
もしも、あの夜が無ければ。
もしも、あの日、オスカーが死ななければ。
あの家を焼いたのが、
彼を殺したのが、
ルーカスではなければ。
(わたくし、きっと、この瞬間に全てを許せたのに)
他の罪であったなら、この温もりがすべて洗い流せたはずなのに。
どうしようもなく、彼の温度に焦がれながら、それでもまだ、ルーシーにとって世界でいちばん憎い男は、ルーカス・リオン・ソレイユのままだった。
ルーカスの指先が髪の間をすべる。
「こんな風に、泣かせるつもりはなかった」
小さく、呟くように言って、彼は背中に腕を回す。はらり、とルーシーを隠していた布が落ちて、太陽が顔を見せる。ルーカスはそのまま、崩れるようにルーシーの肩に額をあずけた。首筋に触れる髪がくすぐったかった。視界の端、かろうじて見える唇が震えているから、彼も泣いているのかと思ったけれど、ルーシーの肩は濡れない。
「…………すまない」
低く、短く、謝罪が落ちる。その言葉が、あんまり静かで、あんまり真剣だから、ルーシーは思わず空を見上げた。大木が大きく広げた枝葉の間から見える空は手を伸ばしても届かないほど、遠く。
こんな二人を嗤うように、青く。
「……べつに、あなたに泣かされたわけではなくてよ」
ルーシーは、そうして、嘘を吐くしかなかった。
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