第12話 どうせ、わたくしの一番はあなたのものよ
「それで、極上の昼寝とはなんだ」
泣きそうに震えていたのが嘘のように、けろりと顔をあげてルーカスは首を傾げた。心なしか、目がいつもより大きく開いている気がする。ルーシーは目元に滲んだままの雫を指先でぬぐってから、地面を覆い尽くす花々に視線を向けた。
「木漏れ日と、川のせせらぎが聞こえる場所でお昼寝をしていただこうと思っていたのだけれど、これではだめね。ベッドを持ってきても、広げられないとは思わなかったわ」
「……もって、きたのか」
「ええ。リアムがよいものをくれたの」
「いつの間に仲良くなったんだ」
「あら。拗ねていらして?」
ルーシーは眉をあげてルーカスの顔を覗き込んだ。彼はすっと表情を消して、そっぽを向いた。「拗ねてない」言う声がはっきり拗ねているから、可笑しくなってルーシーは笑う。
「そんな風に怒らなくても、どうせ、わたくしの一番はあなたのものよ」
四年前から、もうずっと。
囁くように告げる。ルーカスは面食らったのか、目を見開いて、それから手のひらで口もとを覆った。視線を逸らす彼の耳が赤いから、ルーシーは次の言葉を紡げなくて唇の内側を噛んだ。くるりと彼に背を向ける。
大きな木は、ルーシーがまだ魔女の家に住んでいたころと、少しも変わらない。底に空洞ができるように作られている特注の靴で地面を踏んで、ルーシーは木の傍へとよる。
オスカーはこの木が好きだった。
寄り掛かっていると安心すると言って、話の途中でいつも寝てしまう。ルーシーはその寝顔によく唇を尖らせたけれど、彼の穏やかな寝顔につられて最後には一緒に眠っていた。そうして、気が付くとオスカーの背におぶられて、夕暮れの森の中を歩いている。
そんな、幸せな夕暮れをいったい、何度迎えただろう。
「さっき、ベッドが無いから昼寝が出来ないと言ったが」
いつの間にか傍に立っていたルーカスが思い出をかき消すように声をあげた。彼は言いながら地面に座り込んで、木に寄り掛かる。
『「こうすれば、別に眠れる」』
浮かんだ、オスカーの声に、ルーカスの言葉が重なって聞こえた。オスカーの声を、ルーシーはもう、思い出せない。低かったこととか、柔らかだったこととか、好きだったことは覚えている。けれど、もう頭のなかで彼の声を聞くことはできない。
「、どうした」
木の根元に座り込んだルーカスが言葉につまるルーシーを見上げる。その髪は橙色で、その瞳は白い。彼は黒髪で、瞳は青だった。見間違えようもないのに、ときどき、同じことを言うものだから、面影を重ねてしまう。いつだって彼の影を探しているから、なんでもないことを過剰に気に留めてしまう。
「いいえ。なんでもないの」
言えない言葉は、喉の奥にしまいこんでルーシーは口角を上げた。ルーカスは何か言いたそうに口を開いたけれど、なにも言わずに息を吐いて目を伏せる。風が木々を揺らす音が、沈黙を際立たせた。ルーシーは笑みを浮かべ直して顔をあげる。
「わたくし、花冠というものを一度作ってみたかったんですの。触れていても、よろしくて?」
ルーカスの隣にしゃがみこんで、首を傾げる。
「花冠?」
「ええ。お花を編んで作るのでしょう? やってみたいわ」
昔、彼に強請ってつくってもらったのに、頭に乗せて貰ったら途端に枯れてしまって、わんわん泣いて困らせた。
「花冠を作るなら、この辺りの花は茎が短すぎるな」
ルーカスは不意に立ち上がって、木の裏手に向かって数歩進む。と、思ったら急に立ち止まって振り返った。
「おいで」
手を、差し出されて、引き寄せられるように掴んでいた。ぐるりと半周、木の周りを歩くと、反対側にも花が咲いていた。昔は本当に、緑の草しか生えていなかったのに、数年で随分と様変わりしている。
「この辺りの花なら、茎が長くて柔らかいから簡単に編める。冠に飽きたら籠でも作ればいい」
ルーカスが指さしたのは小ぶりの白い花だった。小さな白い花が球場に丸まって、長い茎の上にちょこんとついている。そういえば、見た事のある花冠にはみな、この花がついていたような。
「詳しいのね」
僅かな驚きも含めて言えば、ルーカスは目を伏せた。
「……詳しくなどない」
その声は硬く、表情は暗い。ルーシーはそれ以上追求できずに、話題を切り替える。
「でも、ここじゃ、あなたのお昼寝は無理ね。寄り掛かる場所がないもの」
「問題はない」
ルーカスは花の近くに座るようにとルーシーに促した。よく分からないまま、ルーシーは素直に座り込む。花を殺さないよう、その間も手は繋がれたままだ。ただルーシーが座っただけで、結局昼寝は出来そうもないし、そもそも手を繋いだままでは花を編むことができない。
問題だらけだわ、とルーカスを見上げて文句を言おうとした、ルーシーの言葉は喉の奥でとけた。
地面に座る、ルーシーの膝の上に、ごろり、とルーカスが頭をのせる。
ぱち、ぱち、ぱち。
ルーシーは現実が理解できずに、数秒固まった。
「これで、両手はあくし、俺は眠れる。問題ないだろう?」
平然とのたまって欠伸をするルーカスに言葉が絡まって声にならない。不敬な! は皇帝相手には使えない文句であるし、そもそも、こんな風に誰かが近くにいたことがないものだからどう対処するのが正解かも分からなかった。分からずに混乱している間に、ルーカスは目をとじて、すっかりしっかり眠る体勢だ。
「ま「おやすみ、ルーシー」
その、声があんまり優しいから、言いかけた制止と文句はぜんぶ腹の中で溶けてしまう。結局ルーシーは「おやすみなさい、ルーカス」と小さな声で答えて、深くため息を吐いた。
それから、黙々と花冠を編み続けて、数刻。最初は歪な三角にしかならなかった花冠も、ようやく頭が入るくらいの綺麗な丸になった。
(これは、なかなか上手なのではなくて?)
ルーシーは出来上がった花冠を顔の前に掲げて、得意げな笑みを浮かべる。誰かに自慢したいところだけれど、今傍にいる人間は穏やかな顔ですっかり夢の中だ。
「まったく……わたくしを枕にして眠るなんて……必要なときにも起きないし」
眠っているのに、深く刻まれたままの眉間の皺をぐりぐりと指でおしても、唸り声さえあげない。伝わってくる体温がなければ、死体と見まがうほどの静かな寝姿だ。ルーシーは膝にのせられた端正な顔をじっくりと見つめた。
目にかかる前髪を手でよせれば、丸い額が顔を出す。鼻筋はすっと通っていて、僅かにひらいている唇には色がない。
――唇。
ルーシーはハッと気が付いて、ルーカスの様子を確かめる。こんなに長々見つめていても、ぐりぐりと眉間を押しても、彼が起きる気配はない。
これならば、キスくらい簡単にできるのでは――?
(どうして今の今まで気づかなかったのかしら。花冠に夢中になりすぎたわ)
力作をそっと地面において、ルーシーはもう一度ルーカスの顔をじっと見つめる。やはり、起きる気配はない。ノアの
愛などなくとも、口づけは交わせるのだから。
(いえ、むしろ、この口づけに、愛なんて無い方がいいわ)
交わした瞬間に、相手が死ぬ口付けに、愛があっても悲しいだけだ。
ルーシーはぎゅっと唇を引き結んだ。膝に乗っている頭は重たくて、温かい。血の気のない頬に、そっと手を添える。彼はまだ、目を開けない。ゆっくりと背中を曲げる。はらりと背中から落ちた髪が彼の顔に濃く、影を落とす。
静かに、ルーシーは彼に口づけようとして――。
寸前で、ルーカスが目を開いた。
二人の視線が至近距離で交差する。
白い瞳に吸い込まれるように、世界から音が消えた。息をすることすら忘れて、二人はただ見つめ合った。それは二人の意志であり、彼らに宿る神の意志でもあった。
太陽と月は、表裏一体。
一人の人間の胸を表とするならば、そちら側に体を持つのが太陽で、背中側に顔を持つのが月だった。互いの存在は知っている。声を聞いたことも、言葉を交わしたこともある。一つの体から生えた二対の腕で、手を繋いだことも。
けれど彼らは、互いの顔は知らなかった。
見つめ合う幸福だけは、知らなかった。
世界でたった一人の、愛すべき片割れの顔に、人の子を通して、神々は見惚れた。
その意志に突き動かされるように、ルーカスは彼女に手を伸ばして。
ルーシーは静かに目を閉じた。
細い髪の間に手を差し込んで、頭を引き寄せる。小さな耳をなぞって、頬に触れた。頭を持ち上げて近づけば、二人の間で吐息が混ざる。
そのまま、ゆっくりと、
ぽつり、とルーカスの頬に一粒水滴が落ちて、二人の世界が静かに割れる。我に返ったルーカスはあとほんの少し動けば唇が触れる距離にルーシーが居ることに気が付いて、勢いよくその細い肩を押しやった。本当は立ち上がって走り去りたいところだが、肩から手を離せばルーシーの周りの花が枯れてしまう。
彼女はそれを、悲しむだろうから。
「……すまない。今のは、なんというか、俺じゃない」
沸騰する頭で、どうにか絞り出した言葉はまるで浮気を恋人に見られて必死に言い訳をする男のようで。ルーカスの背をだらだらと冷や汗が伝った。ルーカスがなんと言葉を続けようか、ぐるぐると思考を巡らせていると、いつの間にか重たく曇っていた空から膜が破れたように一気に雨粒が降ってくる。
「あら。さっきまで晴れていたのに、今度は雨なんて。今日のお空はご機嫌斜めね」
ルーシーは呑気に空を見上げて顔をしかめた。
「このままでは風邪をひいてしまうわ。この近くに小さな小屋がありますの。一先ず、そこで雨宿りをするのはどうかしら」
先ほどのことなど、まったく気にも留めていない様子で、ルーシーは森の奥を指さした。そちらは王国の領土の方だったが、戦時であっても人が踏み入ることのなかった森の中で王国人と出くわすことはないだろう。ルーカスはどうにか平静を装って頷くと、立ち上がって彼女の手を引いた。
立ち上がれば、彼女はルーカスの手を放して一人で歩き始める。その足元で草が枯れていないのを見るに、靴に何か仕掛けがあるのだろう。
毅然とした足取りで進む彼女をおって、ルーカスも森の奥へと踏み出した。
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