第9話 彼が明かした些細な秘密であったように思えたから

 ルーシーは四年ぶりに自分で身支度を整えて部屋を出る。昼寝と木漏れ日と川のせせらぎ。川に近い場所にある大きな木はすぐに思い当ったけれど、問題は皇帝にどうやって外で昼寝をさせるかと、どんな理由で彼を外に連れ出すかだった。

 夜通し考えて、理由の方はまあ、完璧とは言えないけれど、どうにかなりそうな目途はたったのだが――皇帝に外で昼寝をしてもらう方法はどれだけ考えても良い案が浮かばない。まさか、現人神として崇められている皇帝陛下を地面に寝かせるわけにもいかないだろう。

「どうしたものかしら」

 とにもかくにも、皇帝を誘わないことには昼寝のしようもないからと、彼がいるだろう玉座の間に向かって歩を進めながら、ルーシーはぐるぐると思考を続ける。

(いっそベッドを持っていく? いえ、そんなことをしたら、一体外で何をするんだと他の人から不審がられてしまうわ。ここは王国ではないのだから、もっと慎重に動かないと)

 大きな布を持ち出してそれに寝ころんでもらう? それなら、人目につく問題は解決するけれど、土の冷たさや硬さはそのまま伝わるだろう。想像しただけでも寝心地が悪くて、とてもじゃないけれどのんびり昼寝ができそうもない。

(彼なら、平気で眠るでしょうけど)

 朝、顔を思い出してしまったからか、オスカーのことが頭をよぎる。オスカーは本当にいつでもどこでも、太陽が当たっているから温かいと言って、すぐに体を丸めて眠る人だった。眠ると、いつもは大体怒った形で固まっている眉が柔らかく下がって、幼く見える。

 その顔を見るのが好きだった。

 まるで、彼の内側に入ることを許されているような気持ちになるから。

「……だめね。眠れなかったから、ぜんぜん集中できてないわ」

「なら、ボクがすっきりするお茶を淹れてあげようか?」

「――――、あら。おはよう、リアム」

 心臓が縮むほど驚いたけれど、そんなことはおくびにも出さずルーシーは微笑んだ。

 昨日の皇帝といい、魔法使いと言い、帝国の人はどうしてこうも気配がないのだろう。王国にいたころは、声をかけられる前に足音に気づけたのに、帝国に来てからの一日と少しの間にもう二度も驚かされている。

「おはよう、ルーシー。ボクは君の味方で、君はボクの恩人だ。だから、何を望まれても力になるよ。君、いま困ってるんだろう?」

 跳ねあがった心拍を気づかれないように落ち着けて、ルーシーはリアムの問いかけに笑みを返した。

「いいえ、あなたの手を煩わせるようなことではなくてよ。心遣いだけ受け取るわ」

 ありがとう、と言葉を続けるルーシーの瞳をリアムはじっと深く覗き込む。薄い青色の視線から逃れるようにルーシーは曖昧な笑顔を作った。言葉数の多い人だと思っていたから、こんな風に静かに見つめられると、余計に戸惑う。

「ふぅん、そう、そうか。ははっ、なんだか分からないけど愉快だね」

 リアムは唐突に深く頷いてから、ごそごそと服のポケットを探った。唸りながら彼が引っ張り出したのは、黄色の糸で何かの文様が刺繍された濃紺の布だった。大きさは広げた手とだいたい同じくらいだろうか。

「そんな君にはこの魔法をあげよう。この布は際限なくどこまでも伸びて、包んだものを手のひらサイズに小さくまとめてくれる優れものさ。どうかな、役に立つかな」

 濃紺の布をルーシーに差し出して、リアムは首を傾げた。

「包んだものが手のひらサイズになる?」

「そう。例えばティーセットを包めば手のひらサイズにして持ち運べるし、もっと大きな……そうだね、ベッドを包めば、ベッドだって鞄に入れて持って歩ける。これで、どこでも気軽に昼寝がし放題だね? まあ、昼寝なんて話に出すだけで、勤勉なルーカスに怒られてしまうから、ボクは持ち運んだところで使いようもないけれど」

「え? ですけれど昨日、」

 皇帝陛下はお昼寝が好きとおっしゃっていたわ。

 肩をすくめるリアムにそう教えようとして、ルーシーは直前で思いとどまった。明確に言葉に出来る理由があったわけではない。

 ただ、なんとなく。

 あれは、彼がルーシーだけに明かした些細な秘密であったように思えたから、ルーシーは「いえ、なんでもないの」と微笑みを返した。

「そう?」

 今度は大人しく引き下がって、リアムは前に視線を戻す。目的地の玉座の間は、もう目と鼻の先だった。


「皇帝陛下」

 扉の外からルーシーが呼びかける。中から入室を許す低い声が聞こえてきて、ルーシーは静かに扉を開けた。権力を誇示するつくりになっているくせに、扉をあけるメイドを雇うことはしないらしい。

「おはようございます、皇帝陛下」

「ほれ。次が来たろうが。下がれ、愚民」

 入室を許可したわりに先客がいたようで、中にいた『愚民』が忌々し気に顔を歪めた。ルーシーを睨みつける度胸はあるのに、皇帝に一言文句をつける勇気はないようで、彼は角ばった仕草で礼をしてから素直に皇座から離れた。彼が扉を乱暴に開いて部屋から出るのを温度を失くした目で追って、ルーシーを静かにひとつ、息を吐く。

(わたくしは許可を得て入っただけなのに、逆恨みも甚だしいわ)

 それもこれも、まだ人がいるのに入室を許可した誰かのせいだが。

「それで、朝から何の用だ、娘」

 皇座から冷ややかな視線がルーシーに向く。やはり、昨日の夜中庭であった人とは別人のように思える変わりようだ。ルーシーは昨晩知った皇帝の子供のような一面を思い出さぬよう――思い出しても笑わぬよう――どうにか真面目な表情をつくって口を開いた。

「恐れながら申し上げます。皇帝陛下」

 まっすぐに皇帝の白い目を見つめて、ルーシーは満を持して、一晩考えた口説き文句を唇にのせた。

「――――陛下は、市井の様子についてあまりに無知であると見受けられます」

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