悲鳴が聞こえる
三鹿ショート
悲鳴が聞こえる
その悲鳴が聞こえるときは、決まっていた。
それは、私が特定の女性と親しくなり、さらに踏み込んだ関係に進もうかと考えたときである。
耳を塞ぎたくなるような声だったが、相手の女性が平然としている様子を見ると、どうやら私にだけ聞こえるものらしい。
一度聞こえてしまうと、相手の女性の声を掻き消すかのように悲鳴が響くために、私は辟易してしまう。
相手の女性と言葉を交わすことができなくなってしまうことを考えると、諦めた方が精神的には良いということなのだろう。
だが、諦めた途端、相手の声が普通に聞こえるようになることが、不思議でならなかった。
そのような経験を何度もしているうちに、その悲鳴が何かしらの警告なのではないかと思うようになった。
その切っ掛けは、もしも相手の女性と交際を開始することができた際に向かうことを決めていた旅行先で、事件が発生したことである。
宿泊する場所の候補としていた旅館にて、不倫関係にあった男女が喧嘩を開始し、興奮した男性が女性を撲殺した後、火を放ったのだ。
その火は旅館を包み込み、何人もの死者を出した。
もしも私が相手の女性を諦めていなければ、宿泊していた私はその火事に巻き込まれ、この世を去っていた可能性が存在するのである。
それから、悲鳴を聞くことになった女性たちの動向を調べていくと、他の男性とも関係を持っている浮気者や、弱みを握って金銭を要求するような悪女など、良いと言うことができない人間ばかりだった。
交際していれば、徒では済まなかっただろう。
ゆえに、その悲鳴は、私に対する警告なのだと考えるようになったのである。
そう思うと、その悲鳴の主は私に対して、母親のように親切な存在だということになる。
何者かは不明だが、良い存在だということなのだろう。
しかし、どのような女性とも深い関係に至ることができないということは、私の運が悪いということなのではないだろうか。
***
落ち込んでいる中で、私は彼女と知り合った。
深い関係に至ろうと決心した際に悲鳴が聞こえてしまった場合における落胆を少しでも和らげるために、彼女のことを調べていく。
その結果、彼女には特段の問題も無かった。
これならば、悲鳴が聞こえることもないのではないか。
そのような期待を胸に、彼女に愛の告白をしようと決心したところ、悲鳴が聞こえてくることはなかった。
そのときの私の喜びは、ついぞ経験したことがないようなものだった。
***
やがて我々は結婚し、娘も誕生した。
それなりに不幸は味わったが、人生を諦めたくなるようなものではない。
このまま大きな問題も無く過ごすことができれば良いと考えたが、そのときは突然訪れた。
帰宅した私を迎えた娘が、刃物を手に笑みを浮かべていたのである。
料理の最中だったのだろうかと考えたが、娘から数歩ほど離れた場所に彼女が倒れていたために、ただごとではないのだと気が付いた。
どういうつもりかと問うと、娘は表情を変えることなく、
「私が何者であるのかを、思い出したのです」
「何を言っている」
その言葉に、娘は自身の胸に手を当てると、
「私は、あなたの母親です。この身体で生まれ変わることが分かっていたからこそ、私はこれまで、あなたの恋路を邪魔してきたのです」
即座に理解することは出来ないが、其処で私は、あることに気が付いた。
改めて考えてみれば、あの悲鳴は、かつて母親が発していたものと同じだった。
***
私の母親は、私の父親から虐げられていた。
父親は母親を殴る様子を私に見せながら、笑みを浮かべていた。
母親は助けを求めるような目を私に向けてきたが、子どもである私には、どうすることもできなかった。
悲鳴をあげる母親を救うこともできず、私は震えながら、その時間が終了することを待つしかなかった。
やがて、母親は暴力に耐えることができず、自らの意志でこの世を去った。
己の行動が原因であるというにも関わらず、父親は悲しみ、母親の跡を追った。
私は、今でも後悔しているが、どうしようもなかったという事実は、変わることがなかった。
***
何故、生まれ変わってまで母親が私の前に姿を現したのか。
それを問うと、娘の姿をした母親は、途端に険しい表情と化した。
「あなたが、私を助けてくれなかったからに決まっているでしょう。救うことができた母親を救うことなく、自分だけが幸福になろうとするその姿が、気に入らなかったのです。だからこそ、この娘として誕生し、報復するために、あなたの邪魔をしていたのです」
「恨むのならば、父親の方だろう。私は、子どもだった。どうすることもできなかったのだ」
私がそう告げると、母親は首を横に振った。
「既に解放されたとはいえ、未だにあの人のことは、恐ろしく思っているのです。それでも、不満は残ったままです。だからこそ、私を救ってくれなかったあなたに報復することで、少しは気が晴れると考えたのです」
なんという理屈だろうか。
体格差を考えれば、私が母親を圧倒することは可能であるはずだが、あまりの驚きと恐怖に、身体を動かすことができなかった。
その隙に、母親は刃物を私の肉体に突き刺していく。
私が倒れても遠慮することなく、母親は追撃を加えていった。
そのとき、母親は笑い声を出していた。
悲鳴よりも良いはずだが、私にとってその笑い声は、耳障りだった。
悲鳴が聞こえる 三鹿ショート @mijikashort
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