後悔すれどもう遅い

思い出も 浮つく煙に 消えていく

後に残るは 後悔の味のみ


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 バチン!という痛快な音が夜の街に響く。

 道行く人々が何事かとその足を止めていく中、怒り心頭な彼女は涙目になりながら、

「さようなら」

と震える声で吐き捨て、スタスタとその場を去っていった。


 そのひと言が心の奥底に深く突き刺さる。正直、右頬に食らった重い一発より何倍も痛い。


 離れていく彼女を追いかけるでもなく、俺はベージュのコートに包まれたその背中をただ見送ることしかできなかった。俺にはもはや、彼女にとやかく言って引き留める権利などない。


 ああ、どうして浮気なんてしてしまったのだろう。


 後悔の念は尽きることを知らず、萎縮する胸をあっという間に包み込んでいく。こんなに素敵な人がそばにいたにも関わらず、魔が差して手を出してしまった昔の自分をぶん殴ってやりたかった。

 だが、正面に立ち塞がる現実の前では、そんな戯れ言を口にすることすらはばかられる。

 俺が犯した罪だ。全て俺が悪いことくらい、分かっている。


 周囲に集まった野次馬の目線やスマホのカメラから逃げるように、彼女とは真逆の方向へと歩き出した。面白がって声をかけてきたり、スマホ片手についてきたりする奴もいたが、それらに応えるほどの気力など当に残っていない。しばし黙りこくっていると、興味が失せたのか、ひとり、またひとりとそばから離れていった。


 そうして交差点に差し掛かるころにはつきまとう人もすっかりいなくなっていた。ようやく解放された俺は一服しに喫煙所へと向かった。


 壁で仕切られただけで天井のない簡易的な喫煙所だが、中はタバコの匂いで充満していた。一服に興じる大人たちの合間を縫って、空いている壁に寄りかかる。

 電子タバコを咥え、いつもより深く吸った煙をため息交じりに吐き出す。口の中に広がる甘苦い風味が全身に染み渡り、後悔の念をゆっくり撫でていく。


 気温の下がった夜のビル風が頬に残る痛みを執拗に押しつけてきた。ごまかすように夜空を仰ぎ見るも、都会の空は星ひとつとして映さない。代わりに、その真っ黒な特大スクリーンには彼女との思い出が次々に投影されていった。それらを掴もうと思わず手を伸ばすも、すぐに煙の中へと消えていく。


 空っぽの手を降ろし、電子タバコの煙をぷかぷかと浮かべる。浮気をしたという自責だけが重く体にのしかかってくる。

 電子タバコの中身が切れてもなお、その場からしばらく動くことができなかった。


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思い出も 浮つく煙に 消えていく

後に残るは 後悔の味のみ

(詠み手:一時の愚行で全てを失った愛煙家)

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詠み人知らずの詩歌物語【'23秋】 杉野みくや @yakumi_maru

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