第17話

「先輩!先輩!」

俺を呼ぶ聞き慣れた声がする。

意識が覚醒する。


「患者が意識を回復しました。」


まだ半覚醒状態でぼやけた視界の中で周囲を確認する。

どうやらここは救急車の中の様だ。

救急隊員と璃々が俺の周りにいる。

璃々は涙目の顔を俺に近づける。


「先輩・・・、近くの病院が受け入れ可能みたいです。もうすぐ着きますからね。」

「近くの病院・・・。ここから近いって言うと種産総合病院か?」

「えっ?そうですけど・・・」


そこは魅李のバイトしているカフェからも近かった。

いや、俺は何を考えているんだ。

あっちは純一に任せると決めたはずだ。


しかし、実際刺された傷が大したことないというのは強がりではないと自己診断ながら間違っていないと思う。

深く刺された感じではなかった。

意識を失ったのは今日はずっと動き回って体力を使い果たした上に愛陰会始め殴る蹴るの暴行を多く受けていた事も原因だろう。


上体を起こす。

刺された腹部には包帯が巻かれており血が流れている感覚はない。

全身が怠いが無理すればいけるか?


「先輩!動かないでください!」


起き上がった俺を見て慌てて璃々が優しく俺の身体を倒す。


そうだ。こんな身体で行って何になる。

魅李はすでに寝取られておりもしかしたらその行動自体が無意味かもしれないのに。

璃々の言う通り大人しくしておこう。


「璃々・・・、俺は愛陰会に魅李ちゃんの情報を収集させていたはずだ。なのになんでバイトを始めたなんて情報すら俺は知らなかったんだ?」


手持ち無沙汰だった俺は璃々に疑問をぶつける。

2か月前に始めたバイトについて愛陰会が情報を掴めないほど奴らは無能ではないはずだ。


「それは・・・。璃々が黙っている様に皆にお願いしてたんです。」

「そうか・・・」


何となくそうじゃないかと思っていた。

魅李に対し複雑な感情を持っており俺に依存している璃々が個人的な感情から彼女の情報を得ようとする俺の邪魔をするのは合点がいく。


「何も聞かないんですか?」


ばつの悪い顔をした璃々が遠慮がちに問いかけてくる。


てめぇの所為で俺が死んじまうんだよぉ~!


と泣きわめいても良かったが冷静に考えれば同級生にストーカー行為を指示している俺の方が異常者である。

理由が伝えられるはずもないとはいえ真に目的を共有出来ない俺がこのゲームを完璧に攻略するなど最初から無理筋だったのだ。


「なんで黙ってたんだ?」


理由は察しが付いていたが一応尋ねる。


「魅李先輩に先輩には黙っている様にお願いされたんです。」

「えっ?」


璃々が語った理由は予想外の理由だった。


「たまたま喫茶店に行ったら魅李先輩が働いていて・・・。先輩も魅李に気付いてそこで口止めされました。縁助先輩には言わないでって。心配されるからって。」

「・・・そうだったのか。」


勝手に璃々の嫉妬心によるものだと思っていたが全然違った。

恥ずかしさと彼女に対する申し訳なさで顔が赤くなる。


「魅李先輩は・・・、あの事を乗り越えようとしてました。それを言い訳にしている私とは全然違う・・・。」


璃々は璃々で色々あって精神的に不安定になっている為か勝手にバッド入っていた。


項垂れる璃々を無言で眺める。


しかし、そうか。

もし俺が死んだらこの可愛い後輩も置いていく事になるんだよな。

しかも俺がこの後すぐに死んだら自分を助けるために負った傷の所為だと気に病んで後を追ってしまうかもしれない。


俺は今まで依存気味の彼女を突き放すようなことはしてこなかったし厳しい言葉もかけてこなかった。

彼女が自己肯定感を回復するまで付き合うつもりだった。

しかし俺は死んでしまうかもしれない。

遺言ではないが何か伝えておかなければいけないだろう。


「璃々。」

「はい。何ですか?」

「俺お前の事ちゃんと好きだからな。」

「へ、へえあ?」


急に告白をした俺に璃々が素っ頓狂な声を出す。


「きゅ、急に何言ってるんですか先輩。ひ、人もいるのに…」

「いや、一応言っとこうかと思ってな。…璃々、お前があの日の事を気に病んでんのは分かる。今の俺たちの関係の事も。確かに健全な関係ではない。」


照れている様子の璃々だったが続く俺の話に黙り込む。


「正直俺も男だからなお前とちゅっちゅっするのは楽しいよ。」

「ちゅっちゅって…」

「でもこの関係はいずれ破綻すると思ってたよ。」

「…それは、そうですよ。分かってますよ私も。私は…ただ先輩の、優しい先輩の罪悪感につけ込んだ卑怯者で」

「言葉の意味を勘違いするなって。だから最初に言っただろ。俺はお前の事ちゃんと好きだって。」


俺はまた鬱が入って落ち込む璃々の額にデコピンする。


「いたっ」

「俺はこの関係は正直そんなに長く続くとは思ってなかった。…だから逆だよ璃々。」

「えっ?」

「俺がお前が精神的に苦しんでるのを利用してお前とこの関係を結んでるんだよ。」

「いや、何言ってるんですか先輩。この関係を始めたのは私…」

「だってお前めちゃめちゃ可愛いじゃん。」

「ふえあ」


また不思議な鳴き声をあげて顔を赤くする璃々。


「は、話の途中でへ、変な冗談入れないで下さい。」

「冗談じゃねぇよ。…俺はな、璃々。この関係はお前が自己肯定感を持つ。自分に自信を持つまでの関係だと思ってたんだよ。普通の女だったら俺の事なんか絶対好きにならないぜ?だからお前がいなかったら多分俺は一生童貞だったな。がっはは。」


わざとらしく大口を開けて笑う。


「だからお前が立ち直ったら寂しいけど俺から離れてくんだろうなって思ってたよ。」

「…」

「でもお前はいつまでたっても自信を持たなかったな。あんなに愛陰会の連中にチヤホヤされてんのに。」

「そ、それは…」

「何でか分からなかった。俺がお前みたいに可愛ければそれはもう自信満々に好き放題やってたぜ。」

キャバクラで男を破産させる程稼いで分散投資でFIREするとかな。


分からないと言ったが推察は出来る。

親に愛されなかった事、大好きな魅李と自分を比べて劣等感を持っている事。

それが大きな原因だろう。


しかし親に愛されなかったからと言って全人類に愛されないという訳ではない。ただ何十億といる人類の中でただ2人と波長が合わなかっただけだ。

人と比べて劣等感を持つのが人間だ。

だが誰かと比べて自分が劣ってるからといって人に愛されないわけじゃない。


「でも今何となく分かったよ。璃々、お前自分が立ち直っちゃいけないって思ってるんじゃないか?」

「えっ?どういう、事、ですか?」

「先輩を助けられなかった。先輩を恨んでしまう。俺と無理矢理関係を持っている………」


あのカス野郎に身体を汚された。


「そんな自分が今更善人面して生きていける訳ない…とかな。」

「そんな事…!」

「まあ、これは確かにかなり俺の妄想入った話だけどさ。さっき魅李に比べて自分は…とか言ってただろ?自分を変えたいと思わない人間にそんな言葉は吐けねぇよ。」

「…」

「良いんだよ、変わって。お前は凄い良いやつで、可愛い奴って事を俺は知ってる。そんな奴がいつまでも俺の事や過去の事で止まってるなんて勿体ねぇよ。無理に露悪的になる必要なんて一つもない。」


璃々は無言で下を見つめだす。

俺は少し話の内容を間違ったのではないかと思った。

別に俺は彼女に説教をしたかったわけじゃない。


「あー。ごめん、璃々。こんな事言いたかった訳じゃないんだ。俺が言いたかったのは、あれだ。」


また上体を起こして璃々の頭を撫でる。


「璃々、お前めちゃくちゃ可愛いんだからさ。もっと自信を持てよ。柴崎と丸山、あのクソ幹部達はじめに100人超の人間が少なくともお前の事大好きなんだからさ。」

「せ、先輩。」

「そんでさ、めちゃくちゃ可愛いお前はきっと俺らの事なんか直ぐに置いて行っちゃうかもしれないけどさ。記憶の片隅にでも俺らがいた事を覚えていてくれよ。お前の魅力すら分からない馬鹿どもの事を覚えてるくらいならさ。」


俺は涙を流し始めた彼女に微笑む。


「俺らが、俺がお前の事大好きだって事の方を覚えていてくれよ。俺が言いたいのはそれだ。」

「ひっぐ、うぐ。」


俺は彼女を胸に抱きしめる。


俺の胸元で啜り泣く彼女を見つめる。


かなり突然に強引に話を持って行ったが俺の気持ちは彼女に伝わっただろうか。

もっと早くいうべきだったかもしれない。

しかし彼女がどういう反応をするのか怖かった。

俺にはもう後がないと思った今でしか言えなかっただろう。


暫く彼女に胸を貸した後俺はまた大人しく寝っ転がった。


なんだが救急車内に甘酸っぱい空気が流れている。

俺も璃々も顔を薄ら赤く染める。


仕方がないとは言え人がいる前でかなり小っ恥ずかしい青春模様を繰り広げてしまった。


さて、俺は俺のやれる事をした。

向こうの事は後は純一に任せよう。


純一、魅李、璃々。

俺がいなくてもしっかりやってくれよ。


俺はいつ頃死ぬのだろうか。

せめて家族と会う時間ぐらいは欲しいものだ。


「先輩、もうすぐ着くみたいです。」


隣にいる璃々が穏やかな顔でそう伝えてくれた。

軽傷とはいえ刺し傷だ、縫うんだろうな。

刺されたのは初めての経験だ。

麻酔しての手術になるんだろうか。


俺が今後に思いを巡らせつつそう言えばと思った。

俺からすればここに至っては何でもない疑問でただ会話の種でしかなかった事だ。


「そういえば魅李ちゃんがバイトしてるのを口止めしてたって事は璃々が1番先にバイト先に偶然行ったのか。凄い偶然だな。はっは」

「え、ああ違いますよ先輩。私が行った時には既に皆結構いましたよ。」

「ん?既に?いた?」

「シバちゃんやマルくんとか、10人くらいかな?私が魅李先輩のバイト先行った時に既に常連みたいな感じで座ってました。私が口止めしたのは全体にしたって事です。」

「………えーっとどういう事?」

「えーっとつまり、私より先に魅李先輩のバイト先の事知った構成員の皆は自主的に先輩に黙ってたみたいです。あんな破廉恥な格好で働いてるのが過保護な先輩にバレたら安住の地が壊されるとかなんとか。」


ん?

璃々の話を聞くと魅李が行く前に既に愛陰会の構成員の10何人が彼女のバイト先を知って俺に隠して通ってたという事らしい。


「ていうか酷くないですか?皆、普段私の事を好き好き言ってるのにちょっと先輩が肌晒したら馬鹿みたいに毎日通っちゃって。まあ私は安売りなんかしないから安心してくださいね!」


調子を取り戻した、いや普段より快活になった璃々は冗談めかして言う。


そんな璃々を他所に俺は思考を巡らす。


確かあの店のゲームでのイベントは常連の客からのセクハラと店長からのセクハラの両方だ。


しかし店内には愛陰会の連中がいたんだ。

あいつらがそれを見逃すか?

どうせ店に入ったら魅李の事しか見てないだろう。


僅かに希望が湧いてくる。


じゃあ魅李は寝取られてない?

今すぐ辞めさせれば問題ないのではないか。


そして俺はその場所に今純一が向かっている事を思い出す。


ちょっと待てよ?

今魅李が奇跡的な偶然で寝取られてないにしても今その寝取られシチュエーションの場に向かってるのは名寝取られシーン製造機の我らが主人公の純一だ。


寝取られゲーの主人公。ヒロイン。間男が揃ったらもうそれは大当たりである。

寝取られが起きない方が奇跡だ。


くそ!あの野郎!折角希望が見えてきたのに余計なことしやがって!


そこに向かわせたのは誰なのかを無視して俺は内心純一に悪態をつく。


俺はこのまま大人しく病院に行こうとしていたがまだ希望があるのなら話は別だ。

というか俺は何を純一に任せようとしてたんだ。

正気の沙汰ではない。


「先輩?」

「り、璃々!俺のカバンをよこせ。」


急に黙り込む俺に話しかけてくる璃々に鞄を要求する。

顔に疑問符を浮かべながら言われた通りに鞄を渡してくる璃々。

鞄の中身を漁る。


今、俺の体は出血は止まっているとはいえ満身創痍といって差し支えない。

満足に動けないだろう。

何もしなければ。


鞄からいつか薬蔵から掻っ払った錠剤を取り出す。

一つ手にとって勇気を出して飲み込む。


「せ、先輩?何を…」

「んほおおおおおおおおおおおおおおお♡♡♡」


か、体の感覚が冴え渡るのを感じる。

五感が今までの人生で感じたことがないほどに鋭敏になる。

痛みが消えて快楽以外の情報がシャットアウトされているみたいだ。


そしてそれは俺の体が動ける事を伝えてくれた。


俺の野太いオホ声により先程まで車内に流れていた甘酸っぱい空気が霧散し腐臭のするある意味ピンク色の空気が流れる。


救急隊員も璃々もドン引きした様子で俺を眺めていた。


そんな中でも職務を全うして運転を続けていた運転手が車を停まらせ病院に着いた事を車内の人間に伝えた。


車両後部の扉が開かられると同時にストレッチャーから立ち上がり外へと飛び出す。


「傷が開きます!大人しくしてください!」

「せ、先輩!何してるんですか!」


水を得た魚。覚○剤を得たシャブ中の様にハッスルする俺を止めようとする璃々と救急隊員達。


俺はそれを振り切って魅李のバイトするカフェへと走る。


後ろを振り返り璃々に一応声をかけておく。


「行くぞおおおお、愛陰会!レディ・ファックだ!」

「先輩!そんな掛け声私知りませぇん!」


希望はまだあった!

だがギリギリの状態だ。

そんなギリギリの状態を純一に任せるなど義務教育2周目完了の俺には出来ない判断だ!


俺は薬でハイになった高揚感を胸に寝取られゲーのメインキャストが揃うカフェへと駆けていった

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る