琴柱1

増田朋美

琴柱1

その日も暑い日で、また何処かの県では、35度を越してしまったそうだ。全く、いつまで暑さが続くんだという不満の声が、アチラコチラで続いている。それもいい方に解釈すればまた変わってくるのかもしれないが、それでも、この暑さ、異常だと言う人のほうが圧倒的に多いだろう。

杉ちゃんと、ジョチさんは、製鉄所の利用者のご主人が所属しているというマンドリンクラブのコンサートに行った。大物のマンドリン奏者をゲストに呼んだりして、とても楽しいコンサートであった。それにしても、このマンドリンクラブは、良く知られているおなじみの曲ではなくて、いわゆるいたおりと呼ばれている、イタリアなどでマンドリンオーケストラのために描かれたオリジナル曲のみを演奏していた。ボッタキアーリの「交響的前奏曲」とか、藤掛廣幸の「パストラルファンタジー」などがその代表選手であるが、ほとんどの人は、それらの曲をまともに聞いたことは無いと思う。それでも感動できると司会者は話していたが、でも、正直な所、何をやっているのかわからないという感想が出てしまっても仕方ないというのが、当たり前のような気がした。

「あーあ、せっかくさ、丁寧に解説入れてくれて、少しでも曲に親しんでもらおうとしていたけどねえ。でも、なんか物足りなかったな。最後に一曲、皆さんの知っている曲でお別れしますとか、そういうふうにしてくれればいいのに。」

杉ちゃんがジョチさんにそう言うと、

「そうですね。動画サイトが普及してくれて、皆さんマンドリン音楽に親しんでくれているのかもしれませんが、やはり、一曲くらいは、みんなが知っている曲をやってもらいたかったですね。」

ジョチさんも同じように言った。

「それで、来年は是非そうしてくれって、アンケートには書いてくれたんだろうな?僕、かけないけど。」

杉ちゃんはジョチさんに言った。

「まあ、もう来年の事を言うんですかって、笑われると思うけど、一応書いておきましたよ。」

ジョチさんはしたり顔で答えた。

「ぜひ、書いておくれなあ。ちゃんと客にも考慮してもらわないと、ただマンドリンクラブの自己本位で楽しく演奏というだけでは、困りますねえ。」

「そうですねえ。まあ、客を喜ばせるのが、興行主でもありますからなあ。」

杉ちゃんとジョチさんがそう言い合っていると、

「ほらあ、もう帰るわよ。いつまでもここで考え込んでいたら、ホールの人だって困るわよ。」

と女性がそう言っているのが聞こえてくる。

「そうだねえ。」

今度は男性がぼやぼやした声でそう言っているのが見えた。

「あれ、なんか聞き覚えのある声だぞ。」

杉ちゃんがそう言うと、右腕を肩に付けた男性が、ホールの中を歩いているのが見えた。その男性は左腕がなく、着物の左袖が、ぶらぶらと動いていた。

「よう!フック船長じゃないか!」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「ああ、杉ちゃんですか。いくら親しくても、フック船長はやめてください。あんな悪役と一緒にしてもらいたくありません。僕は、海賊船の船長ではなくて、ちゃんと植松淳という名前があるんですから。」

杉ちゃんの声に、フックこと、植松淳さんは言った。

「まあ、そういうことでもあるな。でもお前さんは、片腕なんだし、片腕の有名なキャラクターと言えば、フック船長でしょう。それより、何でお前さんがここに来てるんだよ。誰かマンドリンクラブに知り合いでもいたのか?」

と、杉ちゃんがそう言うと妻の植松聡美さんが、

「違うんですよ。この人、あるバンドから作曲を頼まれてね。その参考のために今日は聞きに来たのよ。」

とにこやかに笑っていった。

「あるバンド。それはロックバンドとか、そういうものでしょうか?」

ジョチさんがそうきくと、

「違います。ポピュラー音楽ではありません。」

と、フックさんは言った。

「じゃあ何だ?アマチュアの合唱団とか、吹奏楽とか?」

杉ちゃんがすぐに口を挟む。

「ええとですねえ。それだったらまだ書きやすいと思うんですけどね。」

「それでは、お前さんの長年書きたいと思っていた交響曲か?おお、それはいいね。ぜひショスタコーヴィチに負けないくらいの大交響曲を書いてよ。」

と、杉ちゃんがでかい声でそう言うが、

「違いますよ。杉ちゃんすぐそうやって話を膨らませようとする。そうじゃないんです。アマチュアの邦楽合奏団から頼まれたんですよ。編成は琴と、十七絃、そして、尺八の全部で25人編成のバンドです。」

フックさんは、すぐに言った。

「はあ、随分結滞なところから頼まれたんだな。それでことの交響曲でも書いてくれと言われたのか?」

杉ちゃんがそう言うと、

「交響曲ではありませんが、それと同じくらいの長さの組曲を作ってくれとお願いがあったんです。その時に、すごい条件があって。それでマンドリンではどんな楽器の扱いをしているのか、それを勉強しにこさせてもらったんですよ。」

と、フックさんは、すぐに言った。

「すごい条件ね。そのすごい条件とはどういうことですかな?」

杉ちゃんという人は一度質問を始めると、答えが出るまでやめないくせがあった。だからこういう事は迷惑ということもあるのだろうけど、杉ちゃんはそんなこと一切気にしないで質問を続けてしまうのだった。

「な、どういうことなんだ?支えていること吐き出しちまえよ。そうしてな、頭を空っぽにして、いい考えが浮かんでくるのを待つのも大事だぜ。」

「ここでは、話しにくいでしょうから、それでは、カフェなどで話しましょう。」

とジョチさんに言われて、杉ちゃんたちは、カフェに行った。ホール近くに小さなカフェがあって、良くコンサートが終わったあとに食事を死に来る人が居るということだが、杉ちゃんたちが入ると客は数人しかいなかった。多分、マンドリンコンサートはつまらないので、みんな帰ってしまったのだと杉ちゃんは言った。とりあえず、杉ちゃんとジョチさん、フックさんと聡美さんは、一番奥の席に座った。そして出されたコーヒーを飲みながら、

「それで先程話してくれた、すごい条件とはどういうものなのかな?」

と杉ちゃんは言った。

「ええ、実は、生田流に主旋律をもたせることと、ソリストは生田流の人にやらせることが第一条件なのです。」

フックさんは、申し訳無さそうに言った。

「生田流。ああお琴の流派ですね。」

とジョチさんが言うと、

「ええ。それで、何でも邦楽の世界では生田流のほうが先に現れたのですが、生田流の琴は音程が低くて、新参者の山田流のほうが楽器が小さく音程が高いのです。だから、山田流を第一バイオリンの代わり、生田流を第二バイオリンのつもりで書いたのですが、そうしたら、バンドの人達が、それを逆にしてくれと苦情を言ってきて。低いほうが、旋律を受け持つなんて。合唱団でも、アルトが旋律を受け持つケースは非常に少ないです。ベートーベンの第九だって、高音楽器が旋律を担当していますよね。だからどうしても生田流を主旋律にして、高音の山田流を副旋律にするということは、できませんよ。だからもしかしたら、お願いを断らなければならないのではないかと思いまして、、、。」

フックさんは、悩んでいることを正直に言った。

「そうですねえ。それはしょうがないというか、洋楽の感覚で描くとそうなってしまいますよね。他の楽曲でも、そうなっているんじゃありませんか?」

とジョチさんが言うと、

「それが、山田流の下に生田流が立つのは、どうしても許せないという人が、非常に多いものですから。」

とフックさんは言った。

「それはバンドメンバーの方がそう言っていらっしゃるんですか?」

ジョチさんが聞くと、

「いいえ違います。バンドのメンバーさんたちはもう流派などどうでも良いと言っている人達なので、山田流の下に生田流が立つ曲もたくさんやっていらっしゃるそうです。ですが、許せないと言ってくるのは、その、バンドの演奏を見に来た評論家の方々や、偉い邦楽家の方々で。」

フックさんは、正直に答えた。

「はあ、そういうことなら、偉いやつの言うことなんて無視しちまえばいいじゃないか。」

と杉ちゃんが言うと、

「それがそうも行かないんです。偉い人たちですから、そのバンドに演奏会をさせないように刺客を出してきて、バンドの活動を妨害することはいくらでもできます。」

とフックさんは言った。

「なるほどねえ。山田流の人に生田流が立つのはどうしても許せないか。それを、さんざんほざいているのは、おそらく澤井とか、宮城とか、そういう人達だろ。まあねえ確かに生田流と山田流では、100年近く差があるというから、そう言われてしまっても仕方ないんだけどねえ。気にしないで、山田流に旋律をもたせたらどうだ?もう昭和の時代は終わったんだ、昔の古い伝統に縛られる必要はないって、お前さんも主張したらどう?」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「ええ、ですが、主宰の尺八の先生が、あまりにも苦情が多すぎるせいで、お倒れになってしまいまして。尺八も結局同じなんです。都山流の下に琴古流が立つのは許せないと。」

フックさんは、そういったのであった。

「その尺八の先生っていうのは誰だ?もしかしたら、何処かの有名人か?有名な奏者なら、山号を使って黙らせることだってできるはずだ。」

「そういうことではありません。一度、都山流尺八学会を退会されています。なんでも、都山流尺八学会に居ると、自由な活動ができないらしいので、やめてしまったらしいんです。名前は、申し上げますと、酒井希望さんと言う方だそうですが、10年前に、都山流尺八学会から、除名されているようで。」

フックさんの説明に、杉ちゃんたちは、顔を見合わせた。

「酒井希望。女か?」

「性別も、知名度もない名前ですね。除名処分となれば、他の尺八奏者に話を聞くことも難しいでしょう。」

杉ちゃんとジョチさんは大きなため息を付いた。

「その酒井希望さんという尺八奏者が、なぜ、今になって、流派にこだわらないバンドを作ろうと思ったのか。その理由は聞かされていますか?」

ジョチさんがそうきくと、

「はい、何でも中国で、中国の民族楽器を使って、ロックやホップミュージックを演奏するバンドがデビューして、日本でもこういうバンドを作れるのではないかと思ったそうです。」

フックさんは答えた。

「なるほどねえ。中国の楽器はあまり流派がうるさくないが、日本の楽器は、うるさいというところに気が付かなかったんだね。その、酒井希望さんは。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「ですが、僕はとてもいい発想だと思ったんですよ。なかなか日本の伝統楽器って、理解されるのも難しいでしょうし、演奏を聞く機会も無いですし、習いたいという子供さんも少ないですからね。その緒になるような、良く知られている音楽を演奏するバンドというのがあっても良いんじゃないかと思います。できれば僕としてはもっと活動してもらいたいんですけど、でも、やっぱり、難しいんですかね。日本では。」

「そうですね。そういうことなら、誰か有力な人物に推薦の言葉をもらったらどうでしょう。」

ジョチさんは、そういうフックさんに提案した。

「そうだねえ。花村さんなんかに聞いてみると良いかもしれないね。」

杉ちゃんもすぐ口をはさむ。

「じゃあ、僕たちもお手伝いするから、とりあえず、フック船長は、お前さんの自然な発想で、曲を作って提出しろ。無理して、生田流に旋律をもたせる必要はない。もし、それで文句が出るんだったら、その、何だっけ、酒井希望とかいう無名の尺八奏者と話せば良い。」

「ありがとうございます。杉ちゃんが助言してくれなかったら、この人いつまで経っても決断できない様子でしたから良かったわ。」

植松聡美さんが、にこやかに言った。

「そういうわけだから、流派にこだわらないで、曲を作ってあげればいいのよ。希望さんだって、あなたの感性で作ってくれと言っていたんだから。そんな変な評論家の話なんて、聞かなくていいわ。」

「でも、そんな、面白い動きが邦楽にあるなんて、ほんとに面白いね。なんか邦楽って、師匠縛りと、流派縛りが本当に酷い世界だから、ちょっと身を引こうかなとか考えちゃう人が多いじゃない?それをぶっ壊して、新参者の山田流の下に、伝統のある生田流がつくなんてさ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうですね。おそらくそのようなバンドは、日本でも数例しか無いでしょう。ぜひ、僕たちもそのバンドの活躍を応援していると、主宰の方にお伝え下さい。」

「ありがとうございます。」

ジョチさんがそう言うと、フックさんは嬉しそうに言った。

それから数日後。製鉄所に、一人の男性を連れて、フックさんがやってきた。

「あの、理事長さんはいらっしゃいますか?」

フックさんは、応答した杉ちゃんに言った。

「その前にこいつは誰なんだ?尋ねるのは僕だよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「こちらの方は、尺八奏者の、酒井希望さんです。」

とフックさんは紹介した。隣にいる男性は、男としてみたら小柄な男で、スーツ姿にメガネを掛けていた。

「お前さんが尺八?どう見ても、ただのサラリーマンにしか見えないんだけど、、、。」

と杉ちゃんがそう言うと、

「今日はちょっと相談がありまして、理事長さんにもお話を伺いに来ました。」

と酒井希望さんは言った。

「まあいい、入り給え。」

杉ちゃんは二人を応接室へ入れた。なんだか、希望さんよりも、着物を着ているジョチさんのほうが、和楽器奏者のように見えた。

「えーと酒井希望さん。都山流尺八準師範。ああ、一応、その称号は捨てていないんですね。」

ジョチさんは、酒井希望と描かれた名刺を読んで言った。

「でも、都山流尺八学会にはほとんど顔を出していません。」

希望さんは、そういった。

「そうなんですね。それで今日は何のご相談でしょうか?」

ジョチさんがそう言うと、

「実は、一応植松さんに、曲を書いてもらったのですが、やはり山田流が旋律を受け持つようになっていました。だから、これを発表するのは、ちょっと無理ではないかと、いったんですが、植松さんは、そんな事を気にしないで上演すればいいと言うのです。私が、不安だと言った所、植松さんは、誰かの公認が得られればまた変わると言ったものですから、、、。」

と、酒井希望さんは言った。それと同時にお茶が入りましたと言って、二人に冷茶を持ってきてくれた水穂さんが、

「あれ、あなたは酒井真山さんではありませんでしたか?」

酒井希望さんを見て、そういった。

「人違いではありませんか?」

フックさんがそう言うが、

「いえ、一度あなたが、舞台で吹いていたのを拝見しました。貴男は一度、国立劇場で、牧野由多可さんのカプリチオとか吹いてましたね。」

と、水穂さんが言った。その顔は確信しているような顔であった。酒井希望さんは、それを聞いて、ガックリと肩を落とした。

「ええ、そうなのです。それをしたせいで、」

「ああ、言わなくて結構です。あの曲は、ショスタコーヴィチより酷いと僕も思います。いやいやながらやらされて、それで結局本部から追放となっても仕方ありません。」

希望さんがいいかけると、水穂さんはすぐに言った。

「今の邦楽は、そういう曲ばかりで困るよな。一応、西洋のクラシック音楽の歴史は、ショスタコーヴィチで止まっているという人も居るけどさ、日本の邦楽は、それより酷い曲がわんさかありすぎて困っちゃうよ。古典筝曲は何処へ言ったって怒鳴ってやりたいくらい。そのうち、日本の音楽は、ショスタコーヴィチより酷いものが、主役になっちまうぞ。」

「ええ。そうなのです。だから植松さんに、曲を書いてもらおうと思ったのですが、、、。」

「そうなんだねえ。まあねえ、でも、伝統を守りたいとか、そういう奴らの言うことばっかり聞いてたら、日本の音楽自体が消滅しちまうこともまた確かだよな。今の邦楽は、西洋音楽をただ邦楽の楽器で弾いているだけというバンドが多すぎるからな。それで、日本独自の音楽を作ろうというバンドはまだ現れてないよな。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。

「そういうことだから、新しい形式のバンドを作ってみたいと思うようになったわけですか。まあ、邦楽も、変な方向へ行ってしまわないで欲しいものですけどね。」

ジョチさんは大きなため息を付いた。

「それで、お願いなんですけど、理事長さんに、推薦の言葉を書いていただきたいんです。どんな小さなことでも結構ですから、一度演奏を聞いていただいて、ご感想でも書いていただけないかと、、、。」

酒井希望さんがそう言うと、

「わかりました。植松さんの頼みでもありますし、一度、演奏を聞かせて頂きましょう。」

とジョチさんは言った。

「本当ですか!それは嬉しいです。これから、メンバー一同、がんばって練習しますので、どうぞよろしくお願いします。」

酒井希望さんはとてもうれしそうな顔をした。

「だけど、邦楽の関係者に頼むわけにはいかんのかな?」

杉ちゃんが言うと、

「いや、それは無理でしょう。邦楽の関係者が、もし、希望さんのバンドを支持するようになったら、本人の立場も危なくなるのが邦楽ですからね。」

と、水穂さんが言った。

「もちろん前例も無いでしょうし、演奏曲はすべて、ポピュラー音楽か、植松さんのような人に作ってもらうしか無いのでしょう。文字通り、味方は邦楽関係にはだれもいない。四面楚歌状態ですね。」

「ええ、そういうことになりますね。でも私は、人間は集団でなにかする生き物であることと、邦楽をもっと気軽に聞いていただくためには、今までの形では、いけないのではないかと思っているんですよ。」

水穂さんがそう言うと、希望さんはきっぱりと言った。

「なるほど、すごい所付いてるな。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。

「じゃあ、そういうことならジョチさんに感想でも書いてもらえ。」

「ありがとうございます。」

希望さんは、とてもうれしそうに言った。

なんだか、また季節が変わっていくのだろうか。空はきれいな青空で、もう夏の入道雲など何処にもなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

琴柱1 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る