第49話 頑固

 

「カナコさん、本当にすみませんでした!」

 デニスが土下座しそうな――いや、地面に膝をつき、ほとんど土下座する勢いで頭を下げた。

 

 彼は、バニスペヨーテの森で気を失ったあと、巡察隊に抱えられて怪我人がいる村の顔役の家で静養していたと言う。どうも、お婆さんやヴィンセントたちが配慮してくれたのか、加菜子と鉢合うこともなくデニスは夜明けとともに町へ下りたらしい。

 

 正直、加菜子は今この瞬間、彼の顔を見るまですっかり忘れていた。それどころではない大変な問題に次々と揉まれていたし、生死に関わる事態でもあったのだ。

 だから、彼が正気に戻ったあと、ずっと罪悪感に苛まれていたと聞いて、申し訳ないような気持ちになった。

 

「こっちもすまん!」

 その隣では、町の大工の棟梁が幼馴染である宿屋の亭主の頭を引っ掴んで、デニスと同じく土下座をしていた。

「てめぇみたいなどデカい肉饅頭が若ぇ女に迫ったら通報ものだぞ!」

「してねえって!」

「結果的にそうなってんだろうが!」

 加菜子は苦笑した。


 宿屋の亭主に引っ付かれ進退極まった加菜子が「誰か……!」と、助けを求めたところ、ちょうどやって来たデニスと大工の棟梁に発見されて今に至る、というわけだった。

 

「もっと頭を付けろ! 腹の肉がデカ過ぎてついてねえじゃねえか、削げ!」

「無茶苦茶言うな!」

「あの、もういいですから、頭を上げてください」

 加菜子は止めるように言った。


 2人の掛け合いは派手だが、互いを理解しているので楽しく安心して見ていられるのだけれど、いかんせん土下座されているのは居心地が悪い。

 

 それよりもと、加菜子はさらに彼らの隣を見て、首を傾げた。誰よりも綺麗な土下座がある。

「あの、フーゴさんは本当に何故?」

「なんとなく!」

「なんとなくで土下座しないで下さい……」

 

 加菜子は勘弁してくれと白旗をあげた。

 

 なんとか4人を立たせ、場所を黒猫堂に移した。

 あの宿屋の亭主が作り上げた大量の食べ物を見るだけで、胃が重たくなりそうだったからだ。


「僕は、時計職人になる為、王都で修行をしていました。ですが、人間関係に悩んで途中で投げ出したんです」

 デニスは重々しい口調で語った。

「それが自分の中でも消化できないまま、時間が解決してくれる筈だと目を逸らし続けて、あんな……全く関係のない加菜子さんに、八つ当たりをしてしまうなんて。……本当に申し訳ありませんでした」

 彼は再び、深々と頭を下げた。

 カウンター席に座る加菜子は、思わず両手を顔の前で横に振ってやめてくれとジェスチャーで表した。

「いえ、あの時のデ……マスターは、変な薬草の影響で普通じゃなかったんですよ。わたしもそうでしたから。だから、もう気に病まないでください」

 そう言って場を和ませようとした。

 しかし、デニスは静かに首を振る。

「そうは言いますが、僕にはちゃんと記憶があるんです。自分より弱い者に強く出るなんてそんな愚かしさが自分の中にあったなんて、信じたくなかった。でも、あの時の僕は、そうでした。何よりも嫌う卑劣な手を選んだことが僕は許せないんです」

 マスターはもう一度、頭を下げた。今度は加菜子が直接止めてくれと言うと、頭は上げたものの、彼の顔は晴れなかった。うすうす感じていたが、マスターは局所的に頑固であった。

「……ううん」

 どうしたらいいのだろうと、加菜子は唸ってしまった。

 

「……おい」

 背後から、加菜子には聞き覚えのありすぎる不機嫌そうな声がしたかと思うと、隣の椅子が吹っ飛んだ。

「え、は……え?」

 事態が飲み込めない彼女は、唖然と口を開けたままフリーズした。

「何をしている」

 気付くと、フランがいつもより低い声を出し、加菜子の隣の椅子を踏み台にカウンターへ乗り上げてデニスの胸ぐらを掴んでいた。それを理解した加菜子は、ぱくぱくと口を開閉させた。

「な、な、何やってんの、あんた……!」

 あまりにびっくりして声が裏返ってしった。

 

 しかもデニスは自分に言い返す権利はない、殴られても構わない、というように口を引き結んでいる。店の扉からはフランの後に続いてヴィンセントが入って来たところだったが、明らかに楽しむ気満々の顔をしている。

 

(絶対、止める気ない人だ)

 

 加菜子は振り返って大工の棟梁を見た。しかし、職人気質で曲がったことの嫌いな彼は腕を組み、仕方なしと首を振っている。その隣の宿屋の亭主に至っては「無理!」と、太い腕でばってんを作っていた。ならば、と、デニスの相棒であるフーゴを加菜子は見たが、彼は「3発くらいなら」と勝手に上限を決めていた。

「ま、まともな人がいない!」

 動揺した加菜子は、改めて顔を正面に戻してどうすべきか悩んだ。

 

 挙句、デニスの返答を待たずに今にも殴り掛かりそうなフランを引き剥がそうと、彼の腕やら肩やらを引っ張った。

 

「話せば、話せば分かるよ! 暴力は良くない!」

「それって加菜子が言うことじゃないよね」

「どういう意味!?」

 やや呆れたように突っ込んだヴィンセントを睨んだ。「手伝ってよ」と泣きそうな加菜子を見て、彼はカウンターに肘をついた。

「仕方ないなあ。……ほらほら、フランも1回落ち着いて。主役……加菜子が自分の役割、見失っちゃってるから」

 ヴィンセントがそう言うと、フランはデニスの胸ぐらからパッと手を離した。デニスは後ろの棚にぶつかった。

 師匠に言われてすぐに手を離すあたり、フランらしいと加菜子は思った。

 

 なのに、ちらりと振り返ったフランがたいへん馬鹿にした顔でため息を吐いたので、加菜子は思い切り睨み返した。

 

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