第50話 素直に


 ヴィンセントに「1回さあ、2人で話してきたら?」と促されて、加菜子とフランは店の外へ出た。

 

 加菜子は振り返ってさっそくフランに文句を付けた。

「もうホント、何やってんの」

「それはこっちのセリフ」

 しかし、フランは加菜子を見下ろしてすぐさま反撃した。

「わざわざ、『自分を襲ってきた相手に近づくな』と、言って聞かせなければ分からないほど、めでたい頭なのか?」

 面と向かって嘲られた加菜子は思わず顎を引いた。

 

 そうだ。こちらが一言文句を言えば、10倍以上の罵詈雑言で以って迎え撃つのがフラン・ユナヴァという男だった。

 

 加菜子は彼から目を逸らして、ぼそぼそと反論した。

「……不可抗力な事情があったのよ」

 フランの清廉でどこか厳かな雰囲気にあてられると、何を言ってもこちらが陳腐な言い訳を並べ立てたように聞こえてしまう。

「だったら僕を呼べばいい、何の為に式紙を渡したと思ってるんだ」

 彼は当然のようにそう返した。

「特に何かされたわけでもないのに、使えるわけないでしょ」

 むっと加菜子がフランを睨むように見上げると、白緑色の瞳と目が合う。

「襲われても使わなかっただろ、あんたは」

「……っ」

 加菜子はいよいよ言葉に詰まった。

 フランの視線が彼女を突き刺す。

「何故、自分を軽視する? 危機感がないお花畑ってわけでもないのに、肝心なとこであんたは自分を投げ出す。一緒にいるこちらからすると、はっきり言って迷惑だよ」

 フランは容赦無く加菜子の欠点を突いた。黙り込む加菜子に、彼は続けた。

「あんた、あの男をどうするつもりだ。また笑って簡単に許すつもりか? そうして無駄な自己犠牲で自分を慰めれば満足なのか」

「そんな……ことはない、けど」

 彼の痛烈な批判に加菜子は口篭った。彼女にそんな自覚はないが、たしかに適当に済ませようとはしていた。

「……正直、どうしていいか自分でも分からない。怒る気持ちっていうのが、よく分からない。し、デニスさんに、もやもやする気持ちはあるけど、それが何かもよく分からないの」

 視線を彷徨わせて加菜子がゆっくり言葉を吐いた。

「はあ? 自分がどう思ってるかも分からないのか。あんた一体、いくつだよ」

 眉を顰めたフランが心底、呆れ返った声で言った。

 自分より年下の彼にそう言われて、悔しくないわけではないけれど、加菜子には言い返す文句も浮かばなかった。

 

 加菜子は、この世界に来て自分の未熟さを痛感した。流れに身を任せてなんとなく、なんて甘いことでは生きていけないのだと。

 

 唇をぎゅっと噛み締めてぐずぐず悩み始めた加菜子を見下ろし、フランはため息を吐いた。

 そして、視線を他所に投げると、おもむろに口を開いた。

 

「……別に、許さなくていいだろ」

「え、」

 

 頭上から降ってきた言葉に、加菜子は顔を上げた。

 

「怒らないことと、許すことは同じじゃない」

 

 フランがそう言って、視線だけ一瞬加菜子へ寄越した。驚いたままの彼女はその横顔をただ見つめた。

 

 そんなことを考えたこともなかった。

 たしかに、加菜子はデニスに怒ってない。これは優しいとか、心が広いとかというよりも、どうでもいいという無関心に近かった。もう過ぎたことで彼にはどうしようもなかったし、怒ったところで、意味がないと加菜子は思う。

 

 でも、怖かった。

 デニスは職人らしく細身だけれど、それでも加菜子よりは体格が大きい。それが目の前で怒鳴り声を上げて、全力でのし掛かって圧迫された時。ただでさえ動けない加菜子には、恐ろしくて堪らなかった。

 

(そっか、許さなくてもいいんだ)


 そう思うと、胸の奥のこんがらがって宙ぶらりんになっていた感情が解けた気がした。

 フランの言葉は、自分の為に怒れと言われるより、よほど加菜子の胸にすとんと落ちた。

 

「……うん」

 かなり時間を置いて加菜子が頷くと、フランはふんと答えのような音を発した。まるで、遅いと言いたげな、それとも、もう興味をなくしたような返しだった。


 でも、たいへん分かりにくいが、フランは彼なりに加菜子を心配し、励ましてくれたようだった。好意的に解釈しておこう、だなんて素直じゃない気持ちで加菜子は収めたけれども。

 

 要件は済んだとばかりに、さっさと店の中に戻ろうとするフランの背中へ加菜子は思わず声を掛けた。

「……あ、ねぇ!」

「何?」

 振り向いたフランが端的に聞き返した。

 

 加菜子は内心どうしようと焦った。気付けば口から音が出て、考えなしにフランを引き止めてしまった。

 

 結局。加菜子は、悩んで、躊躇して、一度やめかけて。それでも思い迷って、やっぱりためらって――それから、勇気を振り絞って、言葉を紡いだ。

 

「……あの時、助けてくれて、ありがとう」

 

 その声は情けないほど小さくて、尻すぼみになっていった。しかも、あの時っていつだよ、なんて内心自分で突っ込んでしまう。


「あと、今のも……一応、言っとく」

 

 必要な言葉は出てこないのに、いらない言葉を足してしまう自分に加菜子は腹が立った。

 

 フランは静かに加菜子を見つめていた。いつも澄ました顔か不機嫌そうに眉を顰めているか、しか加菜子は見たことがないので、彼が今どんな気持ちなのか分からなかった。

 

「……ふん」

 結局、フランはそれだけ残して身を翻してしまった。加菜子もその背に続く。

 面倒な言い回しに気分を害しただろうかと加菜子は少しだけ反省した。

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