第48話 懇願


 泥のように眠って、昼頃に加菜子は目覚めた。

 

 昨夜、疫鬼および厄神をクロの中へ封じ込めることに成功したヴィンセントたち。

 巡察隊は夜明けを待って街に残した仲間と連絡を取り、応援を要請した。騒がしくなるだろう村から離れ、加菜子たち一行は休息を取る為に転移ポータルで宿へ一度戻った。

 

 しかし、ヴィンセントとフランは事件の後処理を手伝う為に朝から再び村へ行って来ると、残されたメモで加菜子は知った。


 あくびを堪えつつ、加菜子は常設されたコーヒーを貰いに階下へ降りた。


 折り悪く空になったポットを見て、加菜子は厨房に新しいのと交換してもらおうと手を伸ばした。

 すると、宿屋の亭主が大きな躰に見合わぬ機敏さで、スススと彼女に近付いた。


 宿屋の亭主に対する加菜子の印象は、端的に言って熊だ。大柄だが、やや神経質で少々短気。彼はいつも忙しなく厨房から頻繁に顔を出しては料理が遅れていないか確認している。でも、繊細な味わいの料理をパパッと作り出す腕はたしかだ。

 

 そんな彼は今、加菜子の目の前で、滞在中一度たりとも目にしたことのないニコニコと擬音が付きそうな笑みを浮かべ、加菜子に話し掛けた。

「コーヒー?」

「はい……」

「どーぞ、どうぞ」

 彼は素早く背に隠していた新しいものと入れ替えた。

「……ありがとうございます」

「いーえいえ」

 手際が良すぎる。それに、仕事を終えても加菜子の側を離れようとしない。加菜子は思いっきり訝しんだ。宿屋の亭主は話し掛けて欲しそうに笑みを浮かべたままこちらを見ている。というより、笑みをみなぎらせている。

 

 加菜子は怪訝さを隠さず、無言で距離を取った。

 彼は笑顔で近付いた。

 

「……な、なんでしょう?」

 その顔面圧に、ついに加菜子は負けた。仕方ないので加菜子が尋ねると宿屋の亭主は、にぱっと笑みを咲かせて口を開いた。

「事件解決、おめでとう! いやあ、うちも無関係ではないからこれでも結構、感謝しとるんだよ!」

 捲し立てるような口調で彼が握手を求めたので、おそるおそる加菜子も差し出す。

 

 すると、彼は加菜子が差し出してない方の手もまとめて肉厚の両手で包み、ぶんぶんと上下に振り回した。

「は、はあ、特に、わたしは、何も」

 声が跳ねる。

 早く離してほしいと加菜子は思った。

「いーや! そんな事はない! 断じてない!」

 宿屋の亭主は何故か力強く否定した。

「あんたの尽力があってこそ、……のはず! それ以外考えられん!」

「いや、違いますけど」

 やっと両手が解放されたので加菜子は距離を取り、きっぱりと否定した。

「そのお礼に、いーっぱい弁当と土産を用意したんだ!」

「話、聞いてます?」

 だが、宿屋の亭主は加菜子の反応をすべてスルーして、カウンターのかけ布を取った。

 そこにあったのは、多種多様のオードブルだった。

「どうだね!」

 宿屋の亭主が自信満々な顔で料理を示した。彩豊かで美しい料理の数々だ。その手でなんとも器用な仕事をする。

 だが、加菜子は軽く10人前を越えそうな料理を前に圧倒された。昼間にパーティーでもするのだろうか。

「す、すごいですね」

 素直な感想を述べただけだが、彼はウンウンと満足げに頷き、そしてホッと胸を撫で下ろしたかのように額の汗を拭った。

「そうだろう! これみーんな、あんたたちの分だぞ!」

「……は?」

 語尾にハートが付きそうな宿屋の亭主のセリフを、加菜子は聞き間違いかと思った。いや、あって欲しい。

 しかし、彼はにっこりと笑って言い直した。

「だから、これ全部あんたたちにやるってんだ。事件を解決してくれた、ほ、ん、の、お礼だよ!」

「多いです!」

 加菜子は首を激しく横に振って拒否した。

「帰りの道中、万が一でも腹が空く暇なんて絶対ないようにした! さあ、遠慮なく貰ってくれ!」

「いらないですって!」

 確かに帰りも行きと同様、館へ戻るのに数日掛かるとはいえ、ぱっと見ただけでも日持ちしない料理が多すぎる。

 

 加菜子は特別食べる量が少ないという訳ではないが、それでも普通の成人女性の1人前の量で精一杯だ。一方でヴィンセントたちは男性だし、細身ながら鍛えているので割と食べる方ではあるものの、とはいえ物には限度というものがある。腹をはち切れさせる気か。

 3人で10数人前なんて、明らかに無謀、腐らせる未来が見える。というか、これを持ってまず駅まで辿り着けない。

 

 そういえば、昔見たサスペンス映画の冒頭で、大量の料理を無理やり食べさせられて死んだ男の話があった。主人公たちは腐った食べ物の中に顔を埋めた死体をまず見るのだ。


 それを思い出した加菜子は、現実感を帯びた恐ろしさに後退りする。

 すると、途端に宿屋の亭主は笑顔を崩した。太い眉毛を八の字にして、泣き出しそうな顔で加菜子の両肩に縋り付いた。

 

「頼むよぅ! 貰ってくれよ! そんで、おじさんの頼みを聞いてぇ! 俺の心の安定の為なんだよ!」

「は、はあ?」

 謎の懇願に加菜子は思いっきり声を上げ、肩に掛かる肉厚ローストビーフのような手を外そうともがく。

 しかし、宿屋の亭主はおいおい泣き出した。

「あそこでランチセットを作るのが俺の楽しみなの! 見た目なんてどうでもいい、食えりゃいいんだってバカ職人の野郎どもじゃなくて、綺麗で可愛い料理を作って喜んでもらいたいし、褒められたい! 俺の楽しみを奪おうってのかー!?」

「本当に何の話!?」

 

 加菜子には彼の話す言葉の半分も意味が分からず、ただ混乱で叫んだ。

 

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