第47話 封印


 その瞬間、1人の少女が祭壇の後ろに躍り出た。

 

「こっちにおいで、おチビちゃん!」

「……リリア!」

 村長は声だけで正確に娘を言い当てた。

 彼女は、少女の腕には少しあまる大きな白い成猫を抱えて、震えながら祭壇に近付いた。

「何をっ、おい、お前ら止めろ!」

 魔法陣から出られないオリバーが外にいた巡察隊へ向かって檄を飛ばした。

「無理です、隊長!」

 しかし、もともと少数で来た巡察隊は様子のおかしい村人たちを止めるのに精一杯だった。

 オリバーは怒鳴った。

「ええい、この軟弱者どもが!」

「止めないで!」

 魔法陣の中にいる――子どもたちの中で一番年長の少年が声を上げた。大人たちが彼を振り返った。

「みんなで決めたんだ、クロをお母さんに会わせようって」

 少年は強い瞳で見返した。

 

 加菜子がリリアを見ると、彼女の後を追う子ども達の姿があった。彼らは怯えながらも手を繋いで互いに鼓舞し合い、リリアを邪魔させないように周りを警戒している。その輪の中には、あの商人の子どももいた。

 

 もう一度、少年を見た。覚悟を決めた彼は、清々しい顔をしている。

 加菜子は顔を顰めた。

 

(あまりに、幼い)

 

 正義を信じ込ませ、純粋無垢な心を求めた挙句、厄神の影響とはいえ――彼らを突き放した大人たちの言動が、その振る舞いで以って、子どもたちに危険な行動を決起させてしまった。

 

 静観を決め込んだ自分たちにも責任の一端はあると、加菜子は後悔した。

 

 

 儀式の中心者たるフランは動けず、リリアたちを見て険しい顔をした。厄神と対峙するヴィンセントも然り、目を細めて子どもたちを見ていた。

 

 そして魔法陣の中ではお婆さんが、混乱する村人を巡察隊が、けっしてその場から動かないよう押し留めていた。

 

 リリアは恐怖で震えながら、それでも強い意志を目に宿して黒い影――厄神と対峙した。

 

「……みんな、帰ろう。もういやだよ、こんなのおかしいよ」

 

 その声はおそらく恐怖にではなく、耐え難い悲しみに打ち震えているようだった。白い猫が心配そうにリリアを見上げる。彼女は勇気をもらうように、猫を抱く腕を強めた。

 

「おばあちゃんたちは悪い魔女なんかじゃない、おじさんも悪い人じゃない。外の人も……誰も、いらない人なんていないんだよって、おかあさんが言ってたもん」

 

 リリアの目から次々と涙が溢れ、美しい白猫の毛皮に染み込んだ。

 

「……クロだって、まだ仔猫なんだよ」

 

 娘の言葉に村長が「ああ、リリア……」と声をわななかせた。

 リリアを見た少年も頬を拭いながら続けた。

「昼間、クロが黒い霧に呑まれた時、泣いてたんだ。たぶん、お母さん助けてって言ってたんだよ」

 

 風がうなる。叫ぶように、ざわつくように、広場を駆け抜けた。

 

「……そうか、お前たちは善を背負っているんだったな」

 何かに気付いたヴィンセントが囁きを溢す。

 

 

「帰ろうよ、おチビちゃん。ママはこっちだよ」

「ミャーオ」

 リリアの腕の中でまるで白猫がそうだと言うように鳴いた。

 

 フランが魔術を口にした。

「〈選べ、応え、その器に残るものを〉」

 

 そして、ヴィンセントが語り掛けるように言った。

「疫鬼厄神よ。どうせ消える命なら、最後に、お前が正しいと思う方を選べばいい」

 

 一陣の突風が炎をさらって、暗闇となった。

 

 魔法陣の中では、オリバーや顔役たちが姿勢を低くするように言って、人々の頭を押さえた。

 加菜子も風に攫われるように脚を滑らせたが、気付いたオリバーが彼女の肩を押さえつけるように地面に膝をつき、なんとか堪えた。


 子どもたちは、無事なのだろうか。加菜子はそれだけが気懸りだった。

 しばしの静寂が長く感じた。

 

「〈光を〉」

 フランが指を鳴らした。

 再び、松明に火が灯っていく。子どもたちは祭壇の裏で身を屈めて、無事だったようだ。

 

 露わになる祭壇。

 おそろしい影があった場所には、果たして――小さな黒猫がいた。

 その幼気な瞳が不思議そうに辺りを見回した。

 

「……ミャ!」

 その黒猫がリリアの方へ駆け寄るのと、加菜子が動くのはほとんど同時だった。

 

「ミャア!」

 加菜子がリリアを抱き上げる。

 黒猫はリリアを下せと抗議するように、加菜子の脚に爪を立てた。

「イタタ、痛い痛い!」

 

「ナアオ」

 リリアの腕の中から白猫が地面へ飛び降りた。そうして白猫はごろんと横になって、もう一度「ナアオ」と鳴いた。まるで、おいでと呼ぶ優しい声だった。黒猫――小さな黒い仔猫は、母親に顔をくっ付けて、再会を喜んだ。白猫は、自分の子供を思う存分舐め回し、大変な思いをしてきた仔猫はすっかり嬉しそうに喉を鳴らし始めた。

 そこへ、ミヒテに殺されかけた白い仔猫も加わった。仔猫たちは互いを労うように、つたない仕草で舐め合って、母に甘えた。

 

「おかえり、おチビちゃん」

 

 加菜子の腕の中で、リリアが久しぶりに嬉しそうにな笑顔を浮かべてそう言った。


 駆け寄ってきた村長にリリアを預けると、彼らは強く抱き合った。

 加菜子は途端に躰の力が抜けた気分になってへたり込む。

 オリバーが巡察隊に指示を飛ばす中、村の人々も抱き合い、口々に互いの生存を喜んでいた。

 でもその顔は少しぎこちなく、わだかまりがあるようにも見える。

 離れた所でフランが1人、安堵したように目を閉じていた。ヴィンセントは黒猫の様子を観察しようと手を伸ばして引っ掻かれている。

 


 夜明けは間もなくやって来るだろう。まだ、こんなに暗い夜半の空を、加菜子の遠い先祖たちは暁と呼んだのだ。


 ◇

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