第44話 黒幕


 夜半の刻。

 加菜子の知っている言葉でこれを、丑三つ時と呼ぶ。

 

 草木も眠る真夜中だというのに、魔女の村では広場の大きな焚き火を皮切りに松明が点在し、全ての通りに灯りが入っていた。

 

 ついにフランは、寺院に遺されていた欠けた召喚魔法の魔法構築を組み立てることに成功し、仮作成を作り終えた。

 村人たちも商人たちも巡察隊も、誰もがみな、緊張の面持ちで儀式を待つ村の広場で、フランが魔法陣を写している頃。

 

 広場から少し離れた、森へ続く入り口の前に置かれた焚き火の前へ、1人正体不明の人物が闇夜に紛れ気配を殺して近付いていた。

 

 懐から何かを取り出すと、ゆらめく炎へ掲げた。

 

 それは、白い仔猫だった。

 大きな瞳は、人間を警戒することを知らないような様子で、無邪気に自分を掴む人物を見上げた。

 しかし、すぐ近くの熱気を感じた仔猫は、火の中へ落とされまいともがきはじめた。

 

 その手が仔猫を手放すかという直前に、声が掛かった。

 

「そろそろ動くと思ったよ」

 背後から掛かったヴィンセントの声に、その人物はぴたりと動きを止めた。ゆっくりと振り返りながら言葉を返す。

「……おや、いつからお気づきでしたか?」

 強い光を背に受けたせいで顔も何も、人物の特徴を表すものは見えなかった。まるでハサミで人形ひとがたに切り取った抜け穴のようだ、と加菜子は思った。

 

 ヴィンセントがそうだな、と考える素振りを見せた。

 

「最初に違和感を持ったのは、オリバー君が出鱈目な報告書を渡した時かな。僕が改ざんを指摘した時、彼は確かに怒りもしたけれど、嘲笑したんだよ。僕の指摘がまるで見当違いかのようにね。でも、君がオリバー君を庇うと、何かに気が付いた顔をして黙り込んだ。オリバー君は非常に短気だけれど、怒ると口から罵詈雑言が止まらなくなるタイプなのは最初のやり取りで把握した。それらを総合して、ああ、これを書いたのは君だったんだと分かったんだよ。――巡察隊副隊長ミヒテ・カペルマン君」

 

 ヴィンセントに名前を告げられたミヒテの瞳が弧を描いた。

 

「次におかしいと確信したのは、加菜子から薬を染み込ませたハンカチについて相談を受けた時だ。君、あれをオリバー君の持ち物と偽って渡したろう?」

「薬を使うのは少しかわいそうでしたかね」

 ヴィンセントの質問を交わしたミヒテは、その背後にいる加菜子へ向けて申し訳なさそうな顔を作った。

「でも、無知でいさせることもまた罪ではないのですか?」

 そう言ったミヒテは目を眇めてヴィンセントを見た。

「あなたはあれを悪性と名付けましたか。厄神の封印が解かれたのは、貴女が寺院に入ったからですよ」

 そして再び加菜子へ視線を戻した。無知な子どもを見るような、愚かしさを受け入れるような慈愛に満ちた表情だった。

 動揺した加菜子はヴィンセントの横顔を見た。

「……ヴィンセント?」

 正確には斜め後ろにいる加菜子には、その表情は見えなかったけれど、彼は少しの間、何も言わなかった。そのヴィンセントがやっと口を開いた。

「それは、」

「それは違う」

 

 ヴィンセントの言葉を遮ってはっきりと、オリバーが否定した。


「お前が彼女に薬を使い、受容器を開かせなければ、空の器に呼び寄せられて力を増した厄神の封印が解かれることもなかっただろう。全く、責任転嫁も甚だしい!」

 

 オリバーの強い言葉に、ミヒテは薄く微笑みを返すだけだった。

 やや呆気に取られた様子のヴィンセントは、ほんの少し頬で笑った。


 それから調子を取り戻したように続けた。

「巡察隊の中で、君の経歴だけがとても簡素で抜けがなかった。完璧に揃ったんだ」

 ヴィンセントが首を振った。

「おかしいんだよ、普通どんな人間でも表に出ない情報の2つや3つ出てくるものだろう? それが苦労なくまるっと手に入った。これじゃまるで、最初から用意されていたとすぐに気付くさ」

 

 一度言葉を区切ったヴィンセントは、ミヒテを見据えた。


「――エレオノーレ・ミヒテ・フォン・カルペルマン・ベルク。キルベニア王国最後の王朝エルヴィーユ家の傍系で、その昔は摂政政治といえばカルペルマン家と言われるほどの家柄だ。君は、カルペルマン家の長女で、大戦後『狂気の魔術師』と恐れられたエドガー・ニコラス・フォン・フラメルの姪御だね」

 

 すると、巡察隊の白装束を身に纏ったミヒテは、美しい淑女の礼を加菜子たちに向けてみせた。

 

 ヴィンセントはやや首を傾ける。

「エレオノーレ嬢と呼んだ方が良いかな?」

「どうぞ、そのままで。こちらの名前の方が長いのですよ」

 

 2人はまるで空々しいやり取りを交わして笑い合う。


「探偵の真似事は、楽しかったですか?」

「案外ね」

「良い筋書きだったでしょう」

「いや、詰めが甘いよ」

 

 ミヒテが真顔になった。


「……何故、魔術師などになったのですか? あなたほどの力があれば、――神の堕とし子である、あなたならば、稀代の魔法使いと成れたでしょうに」

 軽快に答えていたヴィンセントは、ミヒテの真剣な質問に肩をすくめた。

「僕って天才すぎてね。少しばかり制約のある方が燃えるんだ」

 

 ミヒテは何の前触れもなく動いた。あまりに唐突に、そちらを見遣ることすらなく仔猫を炎に投げ入れたのだ。

 

 加菜子は叫び出しそうになるのを堪えた。


 だが、夜天に火柱は上がらない。見えない結界が仔猫を弾いたのだ。

 救われた小さな命は、地面に着地すると、そのまま何処かへ走り去った。

 

 ミヒテは冷たい視線でそれを辿った。

 ヴィンセントが目を細める。

 

「仔猫で試そうとしても無駄だ。既にここは閉じられた結界の中、39人目の贄を放ることは出来ない。全ては術者のフランに委ねられている」

 

 ミヒテは視線をヴィンセントに戻した。

 

「言っただろ、僕の一番弟子は優秀なんだ」

 ヴィンセントはそう言って挑発的に笑みを浮かべた。

 ミヒテが鼻で笑い飛ばした。

「お笑い種ですね。世が世なら、あなたたちは師弟関係など結べる間柄では、到底なかったでしょうに」

「さあ、どうかな。僕って割と型破りなこと大好きだから」

 

 ミヒテはそこで、はじめて表情を崩した。

 

「……嗚呼、口惜しい」

 錆びた歯車がゆっくり回るような、キリキリと傷むような声だった。

 

「何が目的だ?」

 色んな感情を押し込めたような険しい表情で、オリバーが尋ねる。

「叔父様の名誉の為」

 ミヒテは薄く笑ってそう答えた。

 

「嘘だね」

 それを、すかさずヴィンセントが突っぱねた。

 

「エドガーの第一魔術理論は大戦の火種となり、第二魔術理論が大陸中に数多くの悲劇を齎した。彼は晩年、地方の田舎町で監視されながらその生涯を終えたと言われている。そしてエドガーの研究のお陰でモンブソンはキルベニアに勝利した。敗北したキルベニア王国は大戦、内乱と続いてついには王朝を閉じた。瓦解の最後の一手を投じたのは身内だったわけだ。モンブソンでは英雄でもキルベニアでは悪名高き魔術師がエドガーだ。そんな彼の名誉を回復する意味がカルペルマン家にはない」

 

 ヴィンセントが論破すると、ミヒテは一段階表情を変え、真剣な顔で頷いた。

 

「ええ。ですから、我が家の再興を悲願にしておりますの」

「はい、それも嘘」

 ヴィンセントが言葉で切った。

 ピクリとミヒテの眉が動く。

「君は血筋にも爵位にも名誉にも、一分の興味すらないだろう」

 

 ここまで来て、ミヒテの顔からスッと表情が抜けた。


 加菜子は背筋がゾッとした。全てのペルソナを無感動で落としたような彼女に怖さを覚える。

 先ほどまでの複雑な感情の機微を移したミヒテの変化は、まるで出来の良いアンドロイドが人間の見様見真似で振る舞っておいただけなのだと思い至った。


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