第43話 背中
「あの人たちが怪我をしたのは、おれたちのせいみたいなもんでしょ」
そんな醜いところへ、ある少年の声が待ったを掛けた。
加菜子が声の方へ振り向くと、リリアのいる家から一番の年長と思われる少年が出て来て静かに言った。
「おれたちのせいで怪我をした人たちを囮にするなんて、ダメにきまってる」
村の大人たちより、よほど冷静に、そして堂々と彼は言った。それから、少年はうずくまったままの男――自分の父親へ宣言した。
「父さん、俺、志願するよ」
うずくまっていた男は、息子の言葉を聞いて弾かれたように顔を上げた。
「なっ、何を言ってるんだ! ダメに決まってるだろ!」
息子の肩を掴んで、頭ごなしに押さえつけようと必死で止める父親。
「だって、母さんなら」
その手に触れた少年は、顎を引いて臆さず言った。
「母さんなら、絶対にそうする」
父親は、大きく目を見開いた。
そして崩れるように再び地面に座り込んで声を漏らした。
「そんな……俺は、どうしたら……お、お前がいなくなったら、俺は、弟たちは……っ」
すっかり動揺して動けない父親の背中に手を当て、少年はそれに、と続けた。
「不安でたまらないのは大人だけじゃないよ。チビたちも、もう限界なんだ」
そう言って彼は2階を見上げた。加菜子も倣って目を向ければ、その窓から不安そうにこちらを見つめる子どもたちの侘しげな姿があった。
「だから、大丈夫だって。村のことは俺たちで守ったんだって、あいつらに見せてやらないと」
少年は背筋を伸ばしてまっすぐに言った。彼の言葉に何を言える大人たちはいなかった。
「そうだ」
その少年の肩に、背後から村長が手を置いた。
「私も、娘に誇れるような父親でいなければならないね」
彼はそう言って少年に優しく微笑んだ。
先ほど、お婆さんたちの前で吐露した不安そうな表情をすっかり消し去っていた。村長は、加菜子と目が合うと、ほんのり笑みを浮かべた。まるで泰然とした態度だった。
それからヴィンセントに向き合って村長が頭を下げた。
「娘が大変失礼をしました。あとで必ず謝らせます」
「うん、待っ――」
「いや、こいつが全面的に悪い」
オリバーがヴィンセントを遮り断言した。
だが、村長は首を振る。
「これから、自分と考えが違う人間に出会った時、暴力で解決するような大人になってほしくないのです。……ですが、あの子に言って聞かせるのはあとにしましょう。今、私たち大人がそれを行動で示さなければ、なんの説得力もありませんから」
村長はそう言って、リリアに手をあげようとした女を一瞥した。穏やかな彼は女を睨んだり、凄んだりするようなことはなかった。
だが、女の方が勝手に気まずそうな様子で顔を背けた。
一連の騒ぎに気付いたお婆さんたちがちょうど外に出て来た。
「そんな、マーカス。アンタまで……」
声を震わせた彼女たちに、今度は村長が首を振ってみせた。そして、子どもたちのいる窓を見上げて言った。
「確かにリリアはまだ幼いですが、私より芯の強い、賢い子です。それに、人をよく見ている。この子の言う通りですよ。貴女たちが悪い魔女だから囮になるのではない、村人全員で立ち上がったのだと示さなければ……私は大人として、親としてこの先、あの子に信じてもらえないでしょう」
一度は親を想って泣き、今度は泣いた子を想う親の自覚をもった村長の覚悟は揺らがないようだった。
すると、先ほど籤を提案した顔役が立ち上がった。
「……分かりました、私も志願しましょう」
そう言って彼は、村長の背に手を置いた。
やがて、釣られるように、次々と決意した顔で村人たちが立ち上がりはじめた。
流れが変わった様子を見て、ヴィンセントは意外そうに片眉を動かした。
「へえ、今度は死にたがりの英雄ごっこか」
その呟きにギョッとした顔の村人が恐る恐るヴィンセントへ尋ねた。
「し、死なないんだよな?」
すると、ヴィンセントはわざとらしく綺麗な笑みを浮かべて答えた。
「もちろん、出来ることはするよ」
その答えを聞いた村人たちは一度安堵に息を吐いて、それから彼の発言の不確かさに思い至ったように、不安そうな顔を見合わせた。
「ああ、生贄には僕も入るから。これも言い忘れてたけど」
ヴィンセントは全く気にした様子もなく、自分勝手にそう言った。
加菜子が首を傾げる。
「どうして?」
だって、とヴィンセントは続けた。
「厄神と戦える人間がいないと、本当に生贄になったら困るだろう?」
平然と答えたヴィンセントに、村人たちが是非そうしてくれと何度も首を縦に振った。
「加菜子も、僕と一緒に心中してみる?」
彼は楽しそうに笑みを作って加菜子を見た。
加菜子は見つめ返したまま、意味ありげなヴィンセントの言葉の真意を探っていたが、瞬きひとつで諦めた。
「する気は全くないけど、わたしも頭数に入れて」
結局、志願しても良いという大人たちが少年の説得を試みたものの、彼の強い意志によって変わることはなかった。
「ええと……今のところ魔女が5人に、村長、少年、村人が2人、僕と加菜子と……」
ヴィンセントが指折り数えはじめて、ちらと、オリバーを見た。
「……あ?」
彼と目の合ったオリバーは、不機嫌そうに睨み返した。
すると、ヴィンセントはとびきりの笑顔を浮かべてオリバーに近付いた。そのオリバーは嫌な予感がしたように顔を引き攣らせ、すぐに逃げの姿勢を取った。
だが、コンパスの長さが仇となり、オリバーはたちまち捕まってしまった。
「断る!」
「まだ何も言ってないじゃない」
首根っこを掴まれたままのオリバーが先手必勝とばかりに、断固拒否の意向を示した。
しかし、ヴィンセントはやれやれと軽くいなすだけ。「顔に書いてあるぞ!」と言いたげにオリバーは彼を睨んでるが、加菜子もそう思う。
けれど、ヴィンセント・バーリという男はこうなったら――自分が良いことを思いついたと、確信してしまうと、他人にはどうしようもない。ということを、今回、無理やり連れて来られた加菜子はよく知っているので、心底オリバーに同情した。
徹底的に抗議しやる――と思ってるか加菜子には定かではないが――と、口を開いたオリバーは、いちおう声のトーンを落として言った。
「だいたいお前、昨日の恩を忘れたのか!?」
「恩? 何のこと?」
ヴィンセントが首を傾げると、オリバーは信じられないと言うように目を丸くした。
「夜中に突然、俺を呼び付けてたかと思えば、凶器を持った女の尋問なんぞやらせたろうが!」
「ああ、あったねぇ」
ヴィンセントは気軽にウンウンと頷いた。
加菜子が呆れるほどの温度差なのだが、何かを思い出したらしいオリバーにとってそれどころではないようだ。
「なんだ、あの物騒な女! 顔と舌の裏工作だけかと思ったら、愛する男のい……とにかく、俺はあんなの二度と見たくない!」
そう言って彼は躰を震わせた。
昨日のヴィンセントの火遊びは仕事だったのかと加菜子は驚いた。それにオリバーが付き合わされたらしいことも判明した。その代償が彼の色濃い隈なのだろう。後半の下りはよく分からず首を傾げたが。
ヴィンセントは、たいへん感心したような顔で頷いて言った。
「人の世の無常を嘆く口で、ずいぶん若い愛人を囲っていたんだから、隅におけないよねえ、あの司教も」
「そんなことではないわ! いいから離せ! 徹夜で迷惑を掛けたんだから、俺を頭数に入れるな!」
するとヴィンセントは意外そうに眉を上げた。
「迷惑だって? おいおい、遺体損壊は立派な犯罪じゃないか。巡察隊隊長ともあろう人が法律も忘れたのかい? 市民が犯罪の摘発に貢献したんだ、むしろ僕に感謝してほしいくらいだよ」
「くそが!」
あははとヴィンセントは声を立てて笑い、オリバーは暴れた。背後から、巡察隊副隊長のミヒテが彼を慰めた。
「隊長、私も行きますから」
「余計に、い、や、だ!」
全身全力で抵抗するオリバー。
だが、哀しいかな。彼はヴィンセントより小柄だったので、ごく普通に首根っこを持ったまま引き摺られて連行された。
◇
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