第42話 誰かを守りたいきもち

 

 その後、改めて儀式に必要な囮をどう選出するかの話し合いの場が設けられた。

 

 だが、村人たちの間では当然ながら意見が割れた。

 

「婆さんたちに非があると言うなら、あの魔術師さんを殺して隠すことを良しとした私たちにも同じだけ罪があるよ」

 そう言った村人がいた。とっさの場では、すぐに声をあげられる者の意見が多数のように感じてしまうが、そんな一辺倒に割り切れないのもまた人間なのだろう。

 

 しかし、魔女を囮にするべきという賛成派で「責任を果たせ」と詰め寄っていた男が怒鳴った。

 

「じゃあ、お前が囮になれば良い!」

「どうしてそう声を荒げるんだ、頼むから落ち着いてくれ」

 

 囮は話し合いで解決すべきという中立派の村人がなんとか宥めようとした。

 

 だが、賛成派の男にはそれすら怒りを煽る材料になってしまったようで、彼は再び怒鳴り声を上げた。

 

「落ち着けだって!? 俺に指図するな! さっさと自分が志願して、老い先短いババアの代わりになって来い!」

「なんてことを言うんだ」

 

 男は感情的にそう叫んだ後、口をきつく閉じて、その場で左右に3歩ずつ行ったり来たりを繰り返した。息を吐き出して、なんとか感情を抑えようとしているみたいだった。


 やがて彼は、つとめて冷静を装うように静かな口調で話しはじめた。

 

「――去年、女房が死んだ」

 彼は一度俯いて、唇を舐めてから続けた。

 

「臨月って時に、どデカい仕事が舞い込んだ。俺は迷って、一度は断った。でも、あいつは、そんな弱気な俺のケツを叩いて『5人目なんだから何の心配もない、一息で出てきちまうよ。子どもが増えるんだから、亭主は稼いでこそだろ!』って、笑い飛ばすような女だった」

 彼は少し笑って、それから堪え切れないように表情を崩した。中立派の村人は痛ましい顔で項垂れた。

「……ああ、知ってる。強くて優しい女性だった」

「だから俺は、まだ死ねない……死ぬわけにはいかないんだよ!」

 顔を上げた男は目を真っ赤にして言った。

「人でなしと言われようがいい、俺は女房との約束を果たす。その後だったら、いくらでもこの命を差し出してやる。だから、頼むから……っ」

 

 彼は小さくなって、地面に頭を擦り付けるようにうずくまった。

 


 加菜子は苦しくなって、目を閉じた。


 誰の主張も善悪で片付けられない。考えなしに、利己的に、自分だけは犠牲になりたくないと叫ぶ者ばかりではない。むしろ絶対に守りたいものがあるから、声を荒げているのだ。いろんな形の責任と覚悟が人間を縛っている。平素ならそれが心の拠り所となり、生きる活力となって支えてきた。

 

 しかし、その足元に恐怖という炎が灯った時、人は否が応でも取捨選択を差し迫られる。


 こんな時、一体どうするのが正解なのか。大人になっても、矛盾の答えは持てないまま。加菜子は立ち尽くした。

 

 

 適当な家の低い石塀に腰掛けたヴィンセントは頬杖をつき、目に映るすべてを興味深そうに見ていた。

 

 そこへ困り顔の顔役が近付いて尋ねた。

「具体的に、何人の生贄が必要なのでしょうか?」

 

 唐突に現実へ引き戻されたような様子のヴィンセントは、顔役を見たまま何度か目を瞬かせる。そうして、「あ、言い忘れてた」と小さな声を漏らした。

 まるで思わずといった響きだったが、危険を察知した群衆が一斉にヴィンセントを振り返る。

 

 彼は「いやあ、うっかりしてた」なんて枕を付けてから話した。

「実は魔女たちだけじゃ、ぜーんぜん足りないんだ生贄……じゃなくて囮」

「……は?」

 顔役がぽかんと聞き返した。その背後の村人たちも全く同じ表情を浮かべてヴィンセントを注視している。

「ごめんごめん、うっかりしてたよ」

 ヴィンセントはあっけらかんとした口調で笑った。まるでデートに遅れた気障な男の口から無料で出てくる謝罪のような軽さだった。

 村人はいきなりのことにどう反応していいのか分からず固まったままだ。

 よいしょ、とヴィンセントは立ち上がって続けた。

「あの寺院で贄に捧げられた人数は39人だろう? だから、本来なら同じ数だけ用意しなきゃいけないんだよね」

 

 その言葉に、加菜子を含めて全員が唖然とした顔で広場は一瞬静まり返った。

 

 やがて意味を理解すると、一転して動揺した群衆は、ごうごうと騒ぎはじめた。

 

「そ、そんな!」

 誰かの声を皮切りに、口々に不安や失望を言い募って収拾がつかなくなった。

 正気を取り戻したオリバーが怒鳴る。

「この村の成人ほぼ全員だろうが!」

 それに対しヴィンセントは「本当だね」と気軽に答えて付け加えた。

「でもさ、今回は餌に使うだけから……まァ、特別に、最低限の人数にまけてあげよう」

 

 ゴクリと村人が息を呑んで尋ねた。

「な、何人だ?」

 

 彼らは生死の掛かった状況でそれどころではないのだろうが、これは完全に悪徳商法の手段だと気付いていない。

 加菜子はヴィンセントの白々しい振る舞いを疑いはじめた。


 彼は、にんまり笑みを浮かべて提示した。

「13人分」

「じゅ……」

 言葉を失う村人たち。

「だいぶ少ないよ、良かったねぇ」

 ヴィンセントは浮かべていた笑みを、慈悲深いものへ変えてそう言った。ついに群衆は意気消沈したように黙り込んだ。

 

 オリバーが「悪魔め」と毒づいたが、今回ばかりは加菜子も頷きを以って同意した。

 

 顔役が疲れた様子でふらふらと2、3歩後退り、それから片手を頭に当て、沈黙を破るように重たい口を開いた。

「これは、もう、籤で決めるより他ないな……」

 話し合いで13人分も選出する時間がないとみたようだ。

 

 すると、先ほどリリアに向かって迷惑そうなセリフを残した小柄な男が、まるで注目されないよう人影に隠れながら震える声で言葉を投げた。

 

「婆さん共で足りないなら、あ、あの商人どもを使えばいい!」

「……そうだ、それなら村人が犠牲になる必要はない。早速、縛り上げちまおう!」

「何を、言って……」

 

 愕然とした表情で顔役がつぶやきを漏らした。

 しかし、今度は彼の後ろからそれに賛同する声が上がった。

 

「……金儲けしてるようなうす汚い連中なんだから、構いやしないよ」

 ねぇ、と同意を求める声。

「そうよ、子どものくせに上等な服着てるなんて、罰当たりだわ」

 そうだそうだと、共感する人々。

「俺たちの村を守って何が悪い!」

 仲間を得た自分たちには、それだけの正当性があるはずだと声高に叫んだ。


 商人を、魔女を、他人を生贄にしろと、賛同する彼らは、まるでそれが当然の権利かのように主張した。

 あまりのことに、加菜子やオリバーたちは言葉を失った。


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