第41話 子どもと大人

 

「――で? 結局、答えは変わらない?」

「ああ」

 あらためて尋ねたヴィンセントに、お婆さんたちは頷きを返した。

 彼は片眉を上げて「ふーん?」と疑わしそうに溢すと、彼女たちの背後にいる村人たちを見た。その目が弧を描く。

 

「じゃあ、この村の人間は、悪い魔女たちを生贄に差し出すことで決定したわけだ?」

 ヴィンセントは嫌味たっぷりにそう言った。


 村人たちはきまり悪そうに顔を背け、険悪な雰囲気は一層酷くなった。

 

 後ろからヴィンセントの肩を掴んだオリバーが「馬鹿が!」と小声で怒鳴った。

「状況を見ろ、火に油をぶっ込んでどうする!」

 対するヴィンセントは心外だとでも言いたげに首を引いた。

「ちゃんと見た上で言ってるのに?」

「なおさら始末に負えん!」

 2人の言い合い――オリバーの一方的なお説教が全くヴィンセントに響いていない中、どんっと何かがヴィンセントへぶつかった。

「ん?」

「……なんだ?」

 オリバーとヴィンセント双方の視線が下の方へ注がれた。ヴィンセントの腰に抱き着いている子供のつむじを発見した。

 

 その子供が顔を上げた。

「おばあちゃんたちは、悪い魔女なんかじゃない!」

 そう断言したのはリリアだった。

「リリアの優しいおばあちゃんだもん!」

 大きな目で、ただヴィンセントを睨むように強くじっと見つめていた。

「小さな勇者だ」

 ヴィンセントは楽しそうに口笛を吹いた。

「おばあちゃんたちに、ごめんなさいして!」

「そのおばあちゃん、いないけど」


 実は、お婆さんたちは、リリアが飛び込んでくる前に怪我人の様子を見る為、顔役の家へと行ってしまったのだ。

 そのことを指摘されたリリアがハッと顔を起こし、お婆さんを探す。当然ながら見当たらない。

「ほらね?」

 ヴィンセントが得意げに言うと、再び彼を見たリリアはムッと口を尖らせた。

 すっかり敵認定した悪者に笑われ、揚げ足を取られ、つまり煽られ慣れてない少女の怒りは大きくなってしまった。しまいには一生懸命殴り付けはじめた。

「あだだだだだ」

 ヴィンセントがわざとらしく痛がるのを加菜子は呆れた顔で見ていた。


 リリアが飛び込んできた時だって、気配に聡いヴィンセントならやろうと思えば突き飛ばせたはずなのに、彼は無理に引き剥がそうとせず、今も彼女の攻撃を甘んじて受けいれた。

 

 しかし、あまりに棒読みな演技に察しの良い少女が気付かないわけもなく、全く攻撃が効いていないと分かったリリアは見切りをつけ、さっさとヴィンセントから離れた。

 

 今度は群衆――村の大人たちを見渡して、リリアは訴え掛けるように言った。

「おチビちゃん、がんばって生きてたんだよ。リリアたちでたすけてあげなきゃ!」

「……」

 後ろめたい思いのある彼らは、純粋な少女の目から逃れるように顔を背け、ただ沈黙した。


 「もし、まちで黒い仔猫の……死体があったら、おはかを作ってくれる?」

 リリアは加菜子と出会った日、こう言った。

 

 嵐の夜、リリアだけが死にかけの仔猫を心配し、生存を祝い、その仔猫が行方不明になってからはずっとひとりで探していたはずなのに。幼い瞳に大人がドキッとするような甘さのない現実を見据えていた。

 だからこそ、彼女はデニスの元で黒い仔猫が生き延びていたと知って、誰よりも喜んだのだ。

 

 リリアは悔しそうに唇を噛み締めて、それでも少し考えるような表情を浮かべてから、また口を開いた。

「みんなも、ほんとうはおかしいって思ってるでしょ? だって、いつもリリアたちには『びょうどうにきめなくちゃダメ』って言ってるじゃない」

 すると、子を持つ村人が呻くように言った。

「……そんな簡単な話じゃないんだよ」

「じゃあ、なにがちがうの?」

 リリアは間髪入れずに聞き返したが、返答はない。それどころか、少女の真剣な目を直視しないようにその村人は俯いてしまった。

「どうして、だれも目を合わせないの? お話ししてくれないの?」

 リリアは、村の大人たち1人1人の交差しない目を見て言った。

 

 そのうち小柄な男が耐えきれないように声を上げた。

「話し合いでどうこうなるもんじゃないんだって……」

 嫌々仕方なく言ってるんだと言いたげな、そして非常に迷惑そうな口ぶりだった。

 

 隣の柔和な顔をした女がそれをフォローするように「子どもとは違うのよ、戻ってなさい」と優しい口調で付け足した。

 

 リリアは静かに2人を見た。

 

「リリアたちがおやつを分けたり、ブランコのじゅんばんをきめたりすることよりも、とってもだいじなことだから、みんなでたくさん話し合わないといけないんじゃないの?」

 

 少女の声はただ冷静に「これこそあなたたち大人が教えた世界の約束だったはずだ」と確かめるように、尋ねただけだった。

 少なくとも、加菜子にはそう感じた。

 

 しかし、後ろ暗い思いを抱える村人たちは、純粋すぎる目を向けられてもう聞きたくないと言うように顔を歪めた。

 

 スッと先ほどの柔和な顔をした女がリリアの前に進み出た。柔らかな顔立ちに苛立ちを滲ませた冷たい目でリリアを見下ろした。

「……子どもが大人の話に口を出しちゃいけないって、お母さんに教わらなかったの?」

 彼女は小さく嘲笑するように笑った。

 その言い方には何か嫌な含みを感じて、加菜子は眉を顰めた。とても子どもへ向けるべきではない悪感情が見え隠れしているようだった。

 

 だが、リリアは表情を変えず瞬きした。

「大人になったら、悪いことをしても怒られないの? 子どもだから、悪いことをしていないのに怒られるの?」

 すると、女が無言で素早く右手を振りかぶった。

 リリアはそれを静かに見つめていた。

 

 またダメだったかと言うように、幼い瞳は影を落としたように暗くなった。真っ新なキャンバスに絶望という名の深い雫が落ちてしまったかのようだった。

 

 ヴィンセントがそっとリリアの小さな顔を手で覆った。柔らかなものを守るように、大人の醜さを見せないように、優しく振り向かせた。

 一方でオリバーが女の腕を掴んで止めた。オリバーと女の2人は無言で睨み合ったが、彼は強引に女を下がらせた。

 

 リリアが不思議そうにヴィンセントを見上げた。彼は穏やかに口を開いた。

 

「人はさ、痛いと泣くし、怖いと怒るんだよ」

「……大人になっても?」

 リリアがぱちりと目を瞬かせて聞いた。ヴィンセントは頷く。

「大人になっても。……でも、大人はズルイからさ、大人の顔して、さも正しいことを言ってないと立ってられないんだ」

 そう言われたリリアは俯き、唇を突き出した。

「そんなの、へんだよ」

「そうだね」

 跳ね飛ばされると思った文句が肯定されたことに、少女は少し目を開いた。それから彼女は躰の脇におろした両手をそれぞれ握りしめた。

「……おチビちゃんの方がもっといたいし、こわいと思う」

 嘘のないヴィンセントの言葉がリリアの本音を引き出した。

 

 たぶん、リリアが村の大人たちへ本当に伝えたかった、共有したかった言葉は、このことだったのだろう。

 

 加菜子は哀れに思った。少女は今はじめて世界の矛盾を知ってしまった。

 

「そうかもね」

 リリアにとって悪者のヴィンセントがそう返すと、彼女はしばらく黙った。堪えるように、逡巡するような表情で俯いていた。

 突然、踵を返してリリアは駆け出した。それが子どもたちを預かっている家の中だったから誰も追い掛けなかった。

 

 しかし、一度は引いたはずの柔和な顔の女がリリアを追い掛けるように動いたので、オリバーが立ちはだかった。

「何をするつもりだ?」

 聞かれてその女は明らかに迷惑がった。

「これはうちの村の問題です」

 オリバーが静かに女を観察した。それから再度、質問を繰り返した。

「だから、何をするつもりだ」

 

 すると、女の目は揺れはじめ、徐々に翳りを見せた。

 

「ちゃんと、大人が叱ってやらないといけないでしょう……? 村長の娘だからって調子づいて、大人に楯突くようなこと……片親だからって、子どもだからって許されないわ……!」

 

 勝手な言い分に加菜子は顔を顰めた。それを聞いたオリバーの三白眼も鋭さを増した。


「だから……殴って、痛めつけて、それで……それで……?」

 女は譫言のようにそんな言葉を溢した。

 

「もういい、下がれ!」

 ついにオリバーが怒鳴り声を上げた。

 他の村の人間たちも不気味そうに女を見る。女は動揺し、「だから、あれ? だから……」と繰り返した。

「 わたし……なんで、こんなこと……」

「ちょいと、アンタっ」

 鋭い声を浴びせられて、柔和な顔の女はハッと顔を上げた。

 1人の恰幅の良い女が前に立ちはだかった。

「アンタ、うちが子どもたちを預かってるんだよ」

 分かってるのかと女に指を突き付けて警告した。

「近付くんじゃない、アンタの子どもにもだ。これが終わったら、洗いざらい話を聞かせてもらおうじゃないの。それまで、何があったって、あたしが指1本触れさせないからね」

 

 彼女に凄まれて、女は悔しそうな、催眠が解けて混乱した様子で戻って行った。

 

 子どもを守ると言った恰幅の良い女がホッとしたように胸を撫で下ろし、加菜子にやれやれと笑いかけた。

「あの女、やたらリリアを構いたがると思ったら裏ではあんなこと思ってたのかね」

 しかし、不安そうにこう続けた。

「でも、あの女だけじゃない。なんだかこの村のみんな、おかしくなっちまってるみたいだよ」

 

 加菜子が最初に引っかかった違和感は、彼らも薄々、感じはじめているようだった。

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