第40話 誰かを愛するということ
一度広場から離れ、お婆さんたちは村長の家に移った。
殴られて一時的に鼻血が出た村長だったが、心配する彼女たちに大丈夫だと言って手当を断った。
「らしくないよ、アンタ」
家に入るなりどこか落ち着かない様子の村長を見て、お婆さんたちは彼を強引に座らせようとした。
しかし、村長は首を振ってそれも断った。
それから何かを話そうとしたが、加菜子を気にする素ぶりを見せた。
だから加菜子は外に出ていようと扉口へ引き返したが、そんな彼女の肩をお婆さんが引き寄せた。
「カナコはもう、アタシらの弟子なんだよ」
朗らかにお婆さんたちが笑った。
まだ受容器の開閉も出来るようにはなっていないし、そもそも弟子だなんて大層なものではないのに、なんて言い訳はいくつも浮かんだけれど。結局、加菜子はなんだか照れくさいような気持ちで俯いただけだった。
村長は「うん、分かった」とだけ返すと、いつもより口早に話し始めた。
「合図したら、母さんたちはリリアを連れて裏口から逃げてくれ。あとは残った私たちでなんとかする。町に下りたら、大通りを正門の方へまっすぐ歩いて2つ目の四つ角にあるパン屋を訪ねなさい。そこに大変頼りなる御隠居がいらっしゃるから、その人を頼りに出来るだけ遠くへ離れるんだ」
「……マーカス」
呆気に取られた顔で聞いていたお婆さんたち。話を聞き終わると、「何を馬鹿なことを」と彼の名前を呼んだ。
だが、その反応を受け入れ難いというように村長は首を振った。
「ダメだ、貴女たちを囮にするなんて、そんなこと絶対させない」
村長の口調には少しも感情の乱れがなく、しかし、その目は真剣そのものだった。
お婆さんたちはため息を吐いた。
「いいかい、あの2人の魔術師は優秀だよ。早寝の婆が船を漕いでる間にすぐ片付けてくれるさ。囮と言ったって、本当に喰われたりなんかするもんかね」
「だったら、」
村長は声を震わせた。
「だったら私でもいい、村人の誰だっていいはずだ」
それを聞いてお婆さんたちは顔を顰めて彼を咎めた。
「何言ってるんだ、村の長がそんなことを口にしちゃいけないよ。……だいたいアンタには、リリアがいるだろう? 他の人間もそう、まだ親の養い手がいる年の子ばかりだ」
すると、村長はお婆さんの肩に両手を付いて「なおさら」と、声を絞り出した。
「危険な目に遭うのが分かっていながら、どうして貴女たちなんだ……!」
村長の静かな、それでいて胸を掻きむしるような悲しみと痛みを感じ、加菜子は目を伏せた。
「……どうして、そんな人間に優しいんだ」
村長が震える声で言った。
「戦争が貴女たちから全てを奪った。次は、国が戦争孤児を押し付けて貴女たちをこの地に縛った。今度は、村人が貴女たちの苦労も知らずに迫害している! それなのに……!」
しかし、お婆さんの1人が突然くつくつと喉を鳴らして笑い出した。
「アンタは、リリアより小さい子供の頃から、泣いたり怒ったりしない子供だった。執着心がなくて、手がかからないと思っていたら、諾々と人の言うことに従うもんだから、誰よりも心配したものさ。だのに、悪い魔女が出てくる絵本だけはどうしてか許せなくてみんな隠しちまうから、おかしいったらありゃしなかったよ」
眩しい日々を懐かしむように、彼女たちは笑った。
「ああ、そうだった。行商で来た紙芝居でも途中で抜け出して、1人膝を抱えて不満そうな顔をしていたね。変なところで頑固だった、今もよ」
「本当に誰1人同じ子供はいなくて、見てて飽きなかったねえ」
お婆さんたちは瞼を閉じて、噛み締めるように村長の肩を撫でた。
ひとしきり笑い合ったあとで、お婆さんは静かに彼へ問い掛けた。
「……マーカス、アタシらの可愛い坊や。よくお聞き。リリアや村の子供達を、アンタらみたいに親なし子にするつもりかい?」
村長は、とうとう崩れ落ちるように椅子に沈んだ。
お婆さんたちは、魔女たちは、母親である彼女たちは、自分よりすっかり大きくなった息子の手を優しく握った。
「人を憎むにはね、アタシらは長く人を愛しすぎてしまった」
その言葉を聞いた村長の肩が小刻みに震えていた。
「アンタの言う通り、あのいけすかない狸ジジイから帰る家を失った子供たちの面倒を押し付けられた時、本当にどうしてくれようかと思ったさ。けれど、もうアタシらには御伽話の怖い魔女のように、若い子供の心臓を食べて活力に変えるような力はなかった。……マーカス、何もなかったんだよ、アタシらには。そこにアンタらが勝手にやって来て、埋めちまったんだろう」
愛しそうに、慈しむように彼女たちはマーカスを抱きしめた。
「何も残せないから、せめてアンタたちを守らせておくれ」
「……私はまだ、何も返せていないのに」
村長は掠れた声で言った。
「アンタ、親になったのにまだまだ分かってないね」
お婆さんたちはおかしそうに笑った。
「大人になってくれた、幸せに生きてくれる。それだけで十分なんだよ、親なんてね」
彼は両手で顔を覆って深く項垂れた。
加菜子は壁際で息を殺したまま、堪え切れずに唇を強く噛み締めた。
◇
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