第39話 暴動

 

 村の広場で、ごうごうと炎が燃え盛っている。

 大掛かりな焚き火の片側で、憔悴しきった顔をした村人たちは無言で身を寄せ合っていた。その焚き火を挟んだちょうど向かい側には、ヴィンセントと加菜子、村長や魔女たちがいた。

 

 これだけ大勢の人が集まっているのに、燃え盛る炎や風の音以外はとても静かな夜だった。

 

 闇に溶け込むような黒一色の装束に身を纏ったヴィンセントのシルエットが浮かび上がる。その顔はいつも通り薄く笑みをたたえていて、心情を推し量ることは出来ない。

 

 ヴィンセントがこちらを振り返った。

「実際に儀式をやるのはフランなんだけどね」

 加菜子たちに聞こえるだけの声量に絞ってそう言った。

 

「フランは魔術の構築を正確に見破る能力がズバ抜けているんだ。そのおかげで、あの寺院に残されていた魔法陣から実際に行われた儀式を読み取り、正確に再現出来るってわけ。同じ魔術や魔法でも、行使した術者の“癖”って出るんだよ」

 

 そのフランは今、お婆さんの家に残って欠けた魔法陣から召喚魔法の解読を進めている。

「僕の一番弟子は優秀なんだ」

 ヴィンセントが笑みを浮かべた。

 小さく「でも」と付け加えたあと、一歩踏み出す。今度は広場の全員に聞こえるようなはっきりとした声で話し始めた。

 

「最初に言っておくと、この儀式は完成しない」

 対する村人たちはざわついた。

 

 村人とヴィンセントたちの中間に位置した巡察隊のオリバーが焚き火の熱さに顔を顰めつつ、聞き返した。

「……どういうことだ?」

「未だ不完全であろうとも、厄神はこの地上へ既に放たれた。かつて神々が地上に放ったと言う十三の大厄災、その身に穢れを纏おうとも神の遣いである彼らを、僕たちがそのどれと選び取って呼び出すことは出来ない」

 かなり大仰な口ぶりだった。

 ヴィンセントの話を真剣に聞いていた村人たちの顔にも困惑が見て取れる。

 オリバーがイライラしたようにこめかみの辺りを指で撫でた。

「小難しい言い回しはよせ」

 

 ヴィンセントは少し面倒そうな顔で視線を上へやって、もう一度説明をした。

 

「……つまり、あの寺院で行われたのと同じように儀式をしても同一の厄神を呼び出すことは不可能に近い。その上、新たな厄神を呼び出してしまえば、それこそ自殺行為になる。……ここまではいい?」

 ヴィンセントが確認すると、オリバーが頷いて続きを促すように顎をしゃくった。

「だからね、これから僕たちが儀式を再現する目的は、ただひとつ。黒猫を取り込んでる厄神疫鬼を呼び出す為の罠だよ」

「罠?」

 村人たちは怪訝そうな顔をした。

 

 オリバーが一度、確認するように村人を振り返ったので加菜子もそれとなく視線をそちらへ向けた。彼らは相変わらず困惑した表情を浮かべているが、小さな声で何かを言い合うくらいには話についてきているらしい。

 

 オリバーから頷きを以って次へ進む許しを得たヴィンセントは「どうも」とわざとらしく返答した。

 

「昼間あれだけの魔獣が集まってきたのは、人形という依代を失った厄神疫鬼自身がもう半分を呼び出そうとしたのと、新たな器を欲したからだ。町へ逃げた黒猫――つまり自分の善性、半身を取り込み、完全な厄神へと生まれ変わる。そして、それが入る器を求めて魔術を使った結果、魔獣の大群を引き寄せたというわけ」

 ヴィンセントは村人たちの様子を見定めるように観察して、さらに続けた。

「――厄神は今、怒っている。神の代行者として遣わされたはずの己が儀式は不完全に終わり、それどころか贄を全て喰らうことが出来なかったんだから」

「……贄? 待て、それじゃ……」

 その先に気付いた村人が慄いたように後退りした。

 

 ヴィンセントの笑みがいっそ恐ろしいほど無邪気に形作られた。

 

「罠をそれらしく見せるには、相応しい餌が必要だろう? 君たちには、囮となる生贄を決めてもらいたい」

 

 深夜の広場は一気に騒然となった。

 お婆さんたちは全て分かっていたように微動だにしなかったが、村長たちは難しい顔をし、オリバーは額に手を当てた。

 

「生贄だって!? 冗談じゃない!」

 1人の男が両手を使って拒絶を示した。

 

「ただの囮だよ」

 ヴィンセントはまるでフォローするかのように言った。

「それでも絶対に安全とは言えないだろう!」

「まあ、それはそうだけど」

 

 熱油に水が跳ねたような勢いの剣幕に、ヴィンセントは肩をすくめ早々に引き下がった。あとはよろしくと退散しようとしたヴィンセントをオリバーと加菜子が押し返す。

 

 予想通り、村人から熱い質問の嵐がヴィンセントを待っていた。

 

「猫だか犬だか知らないが、そいつを殺すんじゃダメなのか?」

「えーと、今はまだ黒猫が完全に呑まれてないから、黒猫を殺しても厄神は死なないと思う。というか消滅しない」

「……じゃあ、その猫が完全に呑まれるのを待つってのは?」

「それは一番、得策じゃないなァ。黒猫が完全に呑まれたら、僕もさすがに笑えない。囮じゃなく、本物の犠牲が必要になるよ。その場合、僕が君たちの中から生贄となる人を勝手に選ぶと思うけど、いい?」

 ヴィンセントがそう言って笑うと、村人たちは恐怖に打ち震えたように後退りした。

 

「じゃ、じゃあこいつを使え! こいつが殺した、殺人犯だよ!」

 ある人はそう言って、大きな躰を頑丈そうな縄で縛り上げられた花屋の主人を指差した。彼は泣いて怒った。

「いやだ! お前たちだって手伝っただろう!」

「うるさい、ノロマ! お前があんなに強く殴らなきゃ、俺たちが死体を埋める必要はなかったんだ! どうしてお前はいつもそう力の加減が……」

 

 そのまま村人同士の口論がヒートアップし、掴み合い、乱闘が始まろうとした頃。

 

「ちょいと、みんな落ち着いとくれ!」

 見るに見かねてお婆さんたちが止めに入ると、村人たちは躰を強張らせたように一斉に動きを止めた。お婆さんたちの行動に加菜子は驚き、その身を心配をしたが、村人たちは予想外にも罰が悪そうに顔を背けて離れた。

 

 しかし、やはり我慢ならなかった者が口火を切った。

「……よく偉そうに言えるよな」

「ちょっと、おやめったら」

 彼の隣にいる妻らしき女が諌めた。

 だが、別の村人が悔しそうに言った。

「……婆さんたちが、しくじらなきゃ良かったんだ」

 すると、まだ幼い子を庇うように抱いた1人の母親が泣きそうな声で叫んだ。

「魔法を使えない魔女がどうして魔女を名乗る!? だったら、封印してくれよ! 散々迷惑かけたんだから、アンタらが囮になれよ!」

「おい、落ち着けって!」

 まだ冷静な村人たちが彼女を宥めた。いつもは気丈な人なのに、と誰かが言っているのを加菜子は聞いた。

 昼間の広場で一番初めにヴィンセントへ文句を口にした――加菜子が声の響きが良いな、と思った男が怒鳴った。

「責任を果たせ!」

 さらに悪いことに、そこへ村長側の1人がお婆さんたちを庇おうとして「彼女たちに謝りなさい」と余計な水を差したことで、三者三様の混乱が渦を巻いてしまった。

 

 他方で、先ほどは声を荒げたマーカス村長が人々の言い争いをなんとか収めようと説得に奮闘している。

「うるさいっ」

 けれど、1人の村人が別の村人を殴り付けてその肘がさらに村長の顔面に当たってしまった。

 ついに手が出たことで、制止する人々の中でさえ殴り合いが起き始めた。

 

 溢れた水はもう返ることは出来ない。

 彼らは止まらなかった。

 

 そこへ、お婆さんたちが静かに人の輪の中心へ進み、地面に尻餅をついた村長に手を貸して立ち上がるのを手伝った。静かに村人たちを見て、お婆さんたちは口を開いた。

「……アタシらが囮になる」

 村人たちは動きを止めた。

「だから、落ち着いて。村人同士で殴り合っちゃいけない。人は苦しい時こそ、助け合って、生きていかないといけないよ」

 

 大きな声でもなかったのに、お婆さんたちの言葉を聞いた彼らは静まりかえった。


 ◇

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