第52話 最後の訓練


 背中に温かい陽だまりのような熱を加菜子は感じていた。

「うん、器の開閉は完璧に制御出来ている」

 閉じていた目を開けて、お婆さんがそう言うと加菜子の背中を叩いた。少し強い。

 

 加菜子は、最後の訓練をし、やっと合格点をもらうことが出来た。


 自分たちが街へ連行されることに抵抗しなかった村人たちは、お婆さんたちが寺院で行ったことについては抗議した。

 

「あんな年寄りを街に呼びつけるなんて!」

「彼女たちを連れて行くなら、俺たち村の人間も全員、しょっ引いてくれよ」

「彼女たちには、感謝してもしきれない恩があるんだ」

 

 そうして巡察隊員に噛み付く村人たち。


「アンタたち、困らせるんじゃないよっ」

 それをお婆さんたちが宥めて叱って収めた。

 

「それより『あんな年寄り』って、どういう意味だい!」

 箒で叩かれた者も中にはいた。

 

 村人たちは、お婆さんたちの為に嘆願書を作り重罪に問われないよう、情状酌量の余地を求めて懇願するのだと言う。


 それを聞いた加菜子は驚いた。昨日とはまるで人が変わったような村人の反応だ。

 いや、違う。自分もあの時、分かった気でいたと加菜子は思い出した。

 疫鬼のように、厄神のように、ただ、人にも善悪では分けられないいろんな側面があるだけなのだろう。

 

 

 お婆さんは仕方ないと言って腰に手を当てた。

「全く、余計な真似をして。全員しょっ引かれたら廃村になっちまうよ!」

「厄神相手に、こうして生きてるだけで儲けもんなんだから」

 彼女たちはそう言って豪快に笑った。

 

「良かったじゃないか」

 加菜子の器の開閉を見届けたヴィンセントが笑った。

「碌な魔法の使えないただの年寄りでも、この村には必要とされているんだ、まだまだ死ねないね」

 嫌味か本音か分からないセリフを朗らかに吐いて、じゃあねと去ってゆくヴィンセント。

 

 その場に残された加菜子は慌ててお婆さんたちに謝った。

「ごめんなさい、あの人、ちょっと人間性がアレでたまに冷たいだけで、だいたい良い人なんです」

 お婆さんたちは加菜子の言葉に目を丸くした。

 そして呆れたようにため息を吐いた。

「……弟子が弟子なら、師匠もいわんや」

 加菜子がどういうことかと首を傾げる。

 

「あの男が本当に冷たい人間だったら、こんな小さな村、さっさと見捨てれば良かったんだよ」

「え?」

「簡単なことだ。村人全員を贄にして、村ごと封印すれば一番リスクが少なかったはずなんだ。贄は過不足なく、と言っただろう? 少な過ぎてもダメだが、多過ぎると逆にね、厄神はまず一方的に要求を呑むしかなくなるんだよ。その方が封印出来る確率は跳ね上がる。……それを、あの男は選ばなかった。捻じ曲がっているけれど、なかなかどうして。魔術師らしくもない」

 

 そう言ってお婆さんがやれやれと首を振った。

 

 それから柔らかな笑みを浮かべた。

「カナコ」

 お婆さんが加菜子の両手を握りしめた。

「アンタが来てくれて良かった」

 心底そう言われて、加菜子は慌てた。

 

 お婆さんたちが囮になると知っても、止めさえしなかった酷い弟子なのだ。


 お婆さんたちは首を振る。

「あの事件以来、家からあまり出てなかった。マーカスやリリア以外と話すことさえほとんどなかったんだ。怯えさせたくなくてね」

「カナコが来てくれて、本当に楽しかったんだよ」

 

 加菜子の頭を引き寄せて、お婆さんたちがおでこを擦り合わせた。

 

「だからこれは、アタシらとカナコだけの秘密だ」

「〈中森加菜子、貴女に魔の手が降り掛かろうとした時、我ら賽原の魔女が一度だけ助けとなりましょう〉」

 

 白く暖かい光が加菜子の額で光った。暖かく優しい力が入ってくるのを感じた。

 

「……これ、」

 加菜子は目を見開いた。お婆さんたちは微笑む。

「魔術のような魔法さえ使えなくなったけれど、この身は元より人じゃないからね。加護を授ける力くらいは残っているのさ。……ま、他ではナイショだよ」

 いたずらっぽく片目を瞑った。

「アンタは器の開閉を出来るようになったけれど、それはまた別」

 

 それから加菜子の手を握って彼女たちは言い聞かせるように忠告した。

 

「この世界には、あの手この手でだまくらかして、アンタの躰を乗っ取ろうとする奴がごまんといるだろう。今回の件でアンタも分かったと思うけど、悪意を持つのは、人だけじゃないんだ」

 

 お婆さんはそう言って、優しく手を包んだ。

「だから、これは細やかな餞別なのさ」

「……わたしは、もらってばかりで、何も……」

 加菜子は呆然と呟いた。

 

 この村に来た数日間で、このお婆さんたちから加菜子はたくさんのことを教わった。


 何も返せていないのに、返せるあてもないのに、旅立たなければいけないのだ。


 加菜子は涙を溢した。

 

「ありがとう、お婆さんたち。本当にありがとう……」

 

 いつか。

 お婆さんたちが向けてくれるやさしさの正体を、あの頬を撫でてくれた柔らかな手の意味を、ちゃんと理解したい。心から加菜子はそう思った。

 

「カナコ、ようこそこの世界へ。どうか貴女の行く道に光がありますように」

 

 ◇

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