第35話 明るみになる

 

  あー、まってくれ! ギリギリ入れたろう?

  花を見繕ってくれないか。今日は、とびきりの祝いなんだ。

  兄貴がここにいるんだよ。

  お前たち、知ってるだろう?

  なあ。

 

 

「婆さんたちに言われた通り、門を閉じようとしたんだ。山を見に行くからって……閉じようとしていたんだよ! なのにあの男が駆け込んで、挙句、強引に入って来たんだ……!」

「恐ろしかった。こんな状況でへらへら笑って、なのに強い視線で」

「――花屋の主人がスコップで殴った。気絶させるだけのはずだった。でも、血が流れて……」

「だって、仕方なかったんだ!」

 花屋の主人は両手で地面を叩いた。大きな躰ながらその様子はまるで癇癪を起こした子供のようで、加菜子はどうにもならない哀しみを覚えた。

 

 フランが静かに口を開く。

「師匠の言う通り、死の刻印を残せる魔術師はそう多くない。予め、寺院で死んだ術者2人について行方不明者名簿を当たっていたから、すぐに分かった。――カール・ハーギン。時計職人の息子で高位魔術師であり、黒猫堂のマスター、デニス・ハーギンの弟」

 今度は、加菜子が目を丸くする番だった。

 

  ――実は、疎遠になってた弟からこの店の話をしたら一度行ってみたいと連絡が来たんです。予定では3週間前に到着する筈だったんですが、今頃どこをほっつき歩いているやら。

 

 

 すると、仔猫が「みゃお」と鳴いた。

 

 その場にいる人間が村の入り口を振り返る。果たして、黒猫を抱えたマスター、デニスが呆然とした顔で立っていた。加菜子と目が合った彼は愕然とした顔で、喉を鳴らすように口を開いた。

「……クロを、お返ししようと思いまして」

「あ、ア、アンタ……!」

 彼の姿が“誰か”と認識すると、数人の村人は椅子から落ちて転がるように後退りした。彼らは顔面蒼白となり、まるで幽霊でも見たかのように冷や汗を浮かべマスターを凝視していた。

「あれ、今までどこにいたの?」

 探したんだけどな、と嘯くヴィンセントだけが特に気にすることもない口調でマスターへ尋ねた。

「……馬車に乗り込んだら、普段大人しいクロが急に馬を引っ掻いてしまって。そのせいで馬が暴走して、街の方まで行っていたんです」

 こちらも淡々とした口調でマスターは答えたが、1拍後で、空笑いをするように口角を引き攣らせた。そして表情をなくして呆然と呟いた。

「ああ、本当に――」

 何かを言い掛けるように動いたマスターの唇。

 誰かがマスターと呼びかける前に、地面が激しく揺れはじめた。

「なっ」

「机の下へ!」

 再び混乱する人々の中で、加菜子はまずお婆さんたちを誘導しようと手を伸ばした。

 

 だが、彼女たちはそれよりもと外に向かい指をさす。

「あれを!」

 マスターの腕から飛び降りた黒猫が毛を逆立てて仔猫とは思えぬ恐ろしい唸り声を上げていた。それだけではない、黒猫の周りに地面から蜃気楼のように立ち上った霧が露わになっていった。

 

「〈此を裂く、〉……ダメだ、間に合わない」

 ヴィンセントは詠唱をすぐに諦めた。それが終わるより早く、小さな黒猫はドス黒い霧に覆われはじめたからだ。

「〈光の手を仰げ――〉以下、省略」

 彼はすぐに切り替えて、短い詠唱で指を鳴らした。白い光が球へと収束したかと思うと、一瞬で散乱し、黒猫以外全ての人々に当たってそれぞれの躰を包んだ。これは対象を絞った結界魔術だった。

 

 ところが、その隙にマーカス村長の後ろから外へ飛び出す小さな塊があった。

「おチビちゃん、」

「リリアっ」

 2階にいたはずのリリアだった。

「止まりなさい!」

 誰よりも早く気付いた村長が彼女を呼び止める。リリアは聞き慣れない父親の大声に驚いたようで、その場で立ち止まった。

 

 しかし、黒い霧はすでに少女へ狙いを定め、まるで手を伸ばすように直進した。村長は部屋の奥にいて怯え惑う村人を追い越せない、加菜子もすぐには立ち上がれず、ヴィンセントも今まさに結界魔術を展開した最中で反応が遅れた。

 

 そこで、壁を蹴って一気に距離を詰めたフランが片腕で素早くリリアを抱え上げると、黒い霧を無詠唱で弾き返した。バチっと電気が弾けたような音のあと、フランは抱えた少女を庇うように地面に転がった。

 

 村長は、まるで溺れ掛けた人間のように大きく息を吸い込んで、安堵した表情でその場で尻餅をついた。

 フランに弾かれた霧はさらに黒猫を包み込み、影となって完全に元の姿形が見えなくなった。

 そして膨張した影は黒猫を攫い、そのまま森へと飛び込んだ。

「クロ……っ」

 加菜子が気付いた時には、マスターも黒猫を追って森へ向かい走り出したところだった。

「マスター!」

 

 あっちは、お婆さんたちが言っていたバニスペヨーテの群生地帯!

 加菜子は思考を巡らせた。

 

(彼は、必要な人間だ)

 

 迷いは一瞬だった。加菜子は走り出す。

「おい!」

 

 リリアを抱えたフランの制止する声が背後で聞こえた。

 

 ◇

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