第29話 混乱

 

 村の広場へ戻ってみれば、群衆がざわめいていた。村人は魔獣が入って来ないのを見て安心すると、今度は不安を解消するように隣人へ感情を、言葉を互いにぶつけ合った。

「どうなっている、結界は無事なのか!?」

「外壁に登っていた魔獣がいないよ」

「あの光はなんだったの!」

 誰も彼も、自分たちの日常を蝕む脅威の正体を知りたくて口々に言い立てた。のどかで穏やかだった魔女の村は、わずか1時間足らずで恐怖と混乱の渦に飲まれていた。

 

「やあ、全員集まってる?」

 そこへ、ヴィンセントが片手を上げてごく軽い口調で割って入った。

 まるで、飲み屋で慣れた顔ぶれに挨拶をするような気軽な声だったから、村人たちはギョッとした面持ちでヴィンセントを見つめた。

「アイツ、最近出入りしてる怪しい魔術師だ……」

「でも、あの人が助けてくれたんじゃない?」

「いや、そうとは限らないさ。どうせ、あの男が仕組んだんじゃないか? だってホラ、この状況で笑ってるなんて変だろう」

 彼らの反応はさまざまだったが、おおよそ芳しくない。

 加菜子にとってはいつもと変わらない軽薄なヴィンセントの態度でも、この状況で不審がるのは仕方ないことだと思えた。

 

 しかし、一方で、加菜子の頭の隅では警鐘が鳴っている。この状況でヴィンセントを疑わしく思うのは理解出来るものの、それにしたって村人たちの言動はあまりに率直すぎる気がした。理性の段階を数段下げてしまったような、冷静さを欠いたもののように加菜子の目には映った。暴動が起きる前のような、不安というコップの水が溢れれば、何が起きてもおかしくないような危うさを感じるのだ。何故だ――加菜子はなるべく顔つきを変えないように、村の中を観察した。やはり、村の中は結界に守られて魔獣に襲われた形跡はない。人々を見ても、外の商人たちのように直接的な暴力を振るわれた者もいないようだ。では、突然、怪我人を見たことで不安が助長されたか?

 加菜子はそこまで考えて、内心、首を振った。

 

(自分の感覚を否定しない)

 

 お婆さんたちが訓練で言っていた言葉だ。自分の中でそれらしい理由を探そうとしてはダメだ。加菜子が理解している世界のものとは、もっと、別のものに起因すると思われる。それは小さく、けれど確かな違和感で以って、加菜子の心に残った。

 

 彼女の斜め前に佇むヴィンセントがふいに、片手で口元を覆った。

 

「……あっは」

 彼は吹き出すように小さく声を上げて、わらった。

 

 偶々見てしまった加菜子は、しばし呆気に取られた。

 彼女がヴィンセントの横顔を見つめていると、彼も気が付いたように視線をこちらに向けた。視線が交わると、ヴィンセントは笑みを浮かべるように一瞬だけ目を細めた。それは、いたずらがバレてしまった少年のような、人間に見つかってしまった精霊のような、垣間見た者を取り込む悪魔のような仕草だった。


(ヴィンセントが何を考えているのか、全く分からない!)


 加菜子は首筋に鳥肌が立つ思いだった。ヴィンセントは、この状況を楽しんでいるのか怒っているのか――いや、彼が人間というものを幸不幸関係なく愉しむ節があることは加菜子も薄々気付いていたので、もうその是非はいい。というか考えたくない。

 しかし、どうしたってさっきのあれはこの場にそぐわぬ不謹慎な態度だ。

 加菜子は慌てて群衆を見渡してみたが、幸いなことにヴィンセントを警戒する彼らの方から距離を取ってくれたおかげで、先ほどの様子に気付いた者はいないようだった。

 

 ホッと胸を撫で下ろした加菜子は、つまり被害者は自分だけだったのかと思い至って何とも言えない気持ちになった。

 

「もう大丈夫。外にいた魔獣は、僕ともう1人の魔術師が片付けたから」

 手を外したヴィンセントは、もう平素と変わらない態度で村人たちを安心させるよう穏やかな話し方をした。

 彼らは一斉に加菜子を見たが、おそらく誤解が生じているだろうと彼女にはすぐ分かった。だが、今それを訂正する意味はあまりないと判断した加菜子は、沈黙を選んだ。

 

 彼らは、口を開かない加菜子には興味を失ったようで、またヴィンセントに視線を戻した。その中から小太りでやや頭の禿げ上がった男が口火を切った。

「……『片付けた』だって? 嘘を吐くな、あの数をすべて追い払えるはずがないだろう!」

 彼は群衆の輪に囲まれたヴィンセントへ指を突きつけて怒鳴った。一見、粗野に見える男だが、神経質そうな表情をしておりその目には怯えや心配が見て取れる。声の響きが良いな、と加菜子は無意味な感想を抱いた。

「うん、だから全部消した」

 ヴィンセントは当然というべきか、怯むことなくあっけらかんとした口調で返した。

 それを聞いて、群衆は一様に信じられないといいたげな表情を浮かべて言葉を失くした。

 

 すると、ヴィンセントは少し面倒くさそうに「あのさ」と、ため息を吐いて続けた。

「悪いんだけど、今は君たちの心情に寄り添ってる暇ないんだよね。さっさと話を進めて良い?」

 

 今度は、加菜子がため息を吐いた。よりにもよって、なんという酷い言い草か。これは悪手だ。突然、出口のない驚怖の迷路に押し込まれた人間に対し、冷静さを求めると返って反発が起きるにきまってる。フランに順序を間違えるなと言った口で自分が誤っているではないかと、彼女は呆れた。


 そして、加菜子の予想通り。村人たちは顔を赤くして、激しく不満を言い募った。

 

「そもそも、どうして魔獣が押し寄せたんだ」

「原因を突き止めるのが魔術師の仕事だろう!」

 

 唾を飛ばす勢いの群衆の反応を見て、ようやく自分の失敗を悟ったヴィンセントがあちゃーと言いたげな表情で加菜子に笑い掛けた。広場での騒ぎを聞きつけて、他の村人たちもだんだんと2人の周りに集まり出し、群衆は大きくなった。そして群衆から少し離れた場所で、お婆さんたちも様子を見にやって来たようだった。


 お婆さんたちを見つけたヴィンセントは、人垣を掻き分けるように、そちらへ向かって歩き始めた。加菜子も取り残されないよう後を追う。

 

「それはねえ、目覚めたからだよ」

 

 ヴィンセントが何気なく残した言葉に、強い反応を示した人物がいた。躰の大きな男が村人たちを押し除けて、加菜子に向かい指を差して叫ぶ。

 

「こいつのせいだ!」

 大柄で、顔の四角い、黒髪を1つ結びにした男を見て、見覚えのある顔だと加菜子は思った。

「お前ら、魔術師が来たせいでッ」

 

 良かれと思って沈黙を選んだのが仇になった、などと考えついた加菜子は同時に思い出した。

 

(あ、花屋の人)

 

 魔女の村に初めて来た日。寺院をあとにした加菜子とフランが、通り掛かった村の入り口で花屋の前の地面に敷かれたシートを見ていると、奥から出て来た男に「そこは今、工事中だから」と睨まれた、という出来事があった。

 

 やっと記憶が現実と符合した加菜子に、花屋の主人がいきなり両手を突き出して突進して来た。先を歩いていたヴィンセントが一足で戻ると加菜子の肩を抱いて、半回転するくらいの軽い動作で身をかわし、長い脚で男の向こう脛を思いっきり蹴った。

 

 そのまま前のめりに地面へと転んだ花屋の主人。呻いた彼はすぐに加菜子を睨んでまた飛びかからんばかりに立ちあがろうとした。呆気に取られていた周りの群衆も、さすがに次はまずいと思ったらしく、先ほどまでヴィンセントに文句を言っていた村の男たちによって花屋の主人は押さえ込まれた。

 

「おい、落ち着け! 誰か、こいつを向こうにやるの手伝ってくれ!」

「何すんだよ、アイツのせいだよ! アイツらのせいだってば! 何でだよ、俺は悪くない! 俺は、悪くないんだ!」

 地面に押さえつけられた花屋の主人は、壊れたようにそのセリフを繰り返した。

 

 すると、ヴィンセントは何か腑に落ちたように笑みを口元に漏らした。

 

「ああ、君が魔術師を殺したのか」

 

 ヴィンセントの一言で、花屋の主人を含めた村人たちが動きを止めた。


 広場は水を打ったように静まり返った。

 ひと呼吸置き、ヴィンセントは村人1人1人を見ながら話しはじめた。

 

「嵐の夜に、封じていた祟り神を起こした連中があの寺院にいただろう?」

 彼らはヴィンセントの視線から逃れるように目を背けた。

「少なくとも村の有力者、村長、魔女たちは寺院の存在を知っていたはずだ。王都から送られてくる術符が2枚あることを承知していたように」

 

 数人の息を呑む気配があった。怯えた村人たちは隣人とこそこそ囁き合った。


「……やっぱり、これは罰なんじゃないのか」

「だって、俺たちは悪くないだろ!? あの婆さんたちだって……っ」

「いいや、絶対にあいつらのせいだ!」

 

 やがて小さな口論はさざ波のように広がって、群衆の恐れと恨みの滲んだ眼は、5人の魔女へと注がれた。

 人垣がはけ、魔女とヴィンセントは対峙した。姿形の区別がつかない5人のお婆さんたちは、まるで量産された陶器の人形のように同じ表情で佇んでいる。

 

「まずは、貴女たちの話から聞こうか」

 

 彼女たちは両手を固く握り締めた。


「貴女たちは一体、寺院で何を見た? 誰を・・殺した?」

 

 ヴィンセントが挑発的な笑みで口元を飾った。その言葉は、お婆さんたちの顔色を蒼白に変えた。

 耐えきれないというように1人のお婆さんが両手で顔を覆った。そして、疲れ切ったような重たいため息を吐き出して、魔女たちは静かに、あの日の出来事を語り始めた。

 

 ◇

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