第17話 訓練 3


 日の暮れ。

 

 ソファーで死んだように動かない加菜子をフランが見下ろしていた。

「生きてる?」

「しんでる」

「で、今日は何したの?」

 そう聞きながらフランは加菜子のすぐ側に背を向けるように腰を下ろした。フランが興味を向けるのは初めてだな、と軽い驚きを心の中にしまって加菜子は顔を上げた。

 

「午前中は、かぼちゃの中身を紫色にする訓練して……」

「なにそれ?」

 意味がわからないと呆れたようにフランは突っ込んだ。

「午後からは、本命の受容器を自分で開け閉めする訓練へ入ったんだけど……これが最大に訳わかんなくて、死んだ」

「ふうん」

 しかし、フランはもう適当な返事で本を読み始めていた。

 

(興味を失うの早すぎだろ)

 

 加菜子はなんだか面白くなくて躰を起こした。フランを後ろから覗き込むように顔を近づける。

「ねえ、あんたは受容器を開け閉めって出来る?」

 

 本に視線を落としていた目をすぐ横の加菜子に向けたフランはひとつ瞬きをした。そのあとでたっぷりバカにしたようなため息をついた。

 

「当たり前だろ、魔術師なんだから」

「へえ、そういうものなの」

 加菜子は素直に感心した。「それで?」と言うまでもなく一向に離れない彼女にフランは観念したように本を置き口を開いた。

 

「……幽体離脱ってあるだろ」

 非常に気怠そうな口ぶりだけれど、一応教えてくれる気配を感じて加菜子は相槌を打った。

「魂だか意識だかが躰の外に出ちゃうやつだよね」

「うん。それの逆」

「うん?」

「内側に沈むように深く意識を落とすんだ。自分だけの扉を見つけたら、あとは掴むだけ」

 フランは右手を床と平行に見立てて、押し込むように下げた。

「ううん?」

 加菜子の横に倒した首が限界点まできた。フランはこれ以上なく面倒そうに頭を掻いて、諦めたように言った。

「とりあえず、やってみなよ」

 突然立ち上がったフランを加菜子は見上げた。

「僕が魔術でサポートしてやるから、ほら」

 あんたも、と立ち上がるのを促すフラン。


 やってみろと言われても釈然としない加菜子だったが、心のどこかで湧き上がった彼の魔術を見てみたい好奇心が優った。

 

 言われた通りフランに背を向けるように加菜子は立った。右肩に彼の片手が置かれて少し緊張した。

「〈正道に倣う、邪道に沈む、理を握る者〉」

 首のうしろに掛かる吐息をくすぐったく感じた。

 

 けれど、詠唱している時のフランの声には静謐で美しい響きがある。この声は好きかもしれないと加菜子は思った。

 

 「〈魂魄を守りし肉の盾が一時その手を離すことを赦せ〉」

 

 その一節を聞いた瞬間。

 

 高波が弾ける音を聞いた。

 何故、フランはどこにいるのかなど考える間もなく、加菜子は海へと落ちた。

 足のつかない深い海に呑まれてゆく。膨大な水量が彼女を襲う、肺を満たす。

 呑まれる、落ちる、深く、沈――


「――おい!」

 頭の後ろでフランの焦った声を聞いた。驚きと不安を顔に浮かべたフランが加菜子を覗き込んでいる。腹に回った彼の両腕が床に崩れた加菜子を引き上げるような形で支えていた。躰を波立たせるほどに心臓が音を立てた。まるで加菜子のいるべき場所を示しているかのようだった。

 

 

 お婆さんたちとフラン、ヴィンセントに囲まれた加菜子は居心地が悪かった。

 

「大雑把に『加菜子は渡り人だから魂が沈みやすい』というのは簡単だけど……正直、渡り人を生存させる方向での研究記録は残ってなくてね。だから、やっぱり考えられる可能性はそこに帰結するのかな」

 

 しばらく加菜子を見ていたヴィンセントが脚を組み替えた。

 

「渡り人の場合、魂と肉体の構成順序が逆なんだよ。元の世界で肉体から離れた魂だけがまず渡る。その魂に紐づけられた情報を元に肉体が再構築されるんだ。だから肉体から魂が外れやすいんだろうね」

 加菜子は神妙な顔で頷いた。さっぱり何を言っているか分からない。

 

「それまで偶発的に起こっていた異世界人召喚。その手順を明確にし、任意で召喚できるようにしたのは開戦と同時だった。というより、戦争のおかげで研究費が増額されたから。……それが大戦での最大の悲劇と呼べるのかな。時の神子しんしがその身を以てこれを禁止したくらいだ」

 加菜子の反応を見たヴィンセントが「ああ、いや」と訂正した。

「正確には『他者を介した異世界人の召喚を禁止』しているんだよ。異世界人の召喚そのものは禁止されていない。禁止できない、と言うのが正しいかな」

 似たようなものではないのか、と混乱する加菜子にお婆さんが笑ってフォローを入れる。

「別にカナコが表を歩いてても法律違反で捕まりはしないってことさ」

 とりあえず安心して良いのだろうか。頷くべきか首を傾げるべきか加菜子が迷ってるうちにお婆さんは話題を変えるような明るい声を出した。

「でも悪くなかったね。荒療治だけど、魔術魔法を使えないアンタが短期間で習得するにはまず感覚を取り入れるのが大事だ」

「怪我の功名になるといいねえ」

 

 ヴィンセントは立ち上がって背もたれに掛けていた上着を手に取った。

 

「加菜子、今日もここに泊めてもらいな。出来れば明日もかな」

「どうして?」

 さすがに連泊はご迷惑ではと思う加菜子にお婆さんが構わないと言うような仕草を見せる。

「幸い、ここは場所がとても良いからね。二晩もすれば肉体に魂が馴染むだろう」

 そう言ってヴィンセントがお婆さんたちに何かを手渡した。まさか金銭かと加菜子はギョッとした。しかしお婆さんたちと小声で何事かやり取りをしている様子からは少し違うようだ。

 

 探るように眺めていた加菜子の視界が突然フランの顔面で遮られた。

 黙り込んでいたフランがじっと加菜子を見つめている。

「な、なに?」

 

 若葉色の瞳に静かに見つめられると、心臓に悪い。出会い頭の値踏みをするそれではなく、皮肉げに加菜子を見下ろすものでもなく。

 

「……別に」

 加菜子が答えへ辿り着く前にフランは目を逸らした。それ以上何も語ることはなく、ヴィンセントとともに魔女の家を後にした。

「何あいつ……」

 加菜子は小さくつぶやいた。

 

 お婆さんがそれにしても、とニヤリと笑う。

「あの美少年は、かっこつけだねえ」

 加菜子は首を傾げた。お婆さんはふふふと笑う。

「『魔術師だから当たり前』だって? 世の魔術師が聞いたら冗談じゃないと怒るよ」

 そこから聞いていたのか。地獄耳だなあと加菜子は呆れた。

 

「受容器の開け閉めはかなり高度な技術なんだ。あんたは空の器だから掴みやすいけれど、魔力持ちほど難しいものさ。魔力が馴染むほど器の輪郭がぼやけるからねえ」

 そういうものなのだろうか。

 

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