第23話 整理する?

 

 すると、強い花の香りが鼻についた。

 

 加菜子が出所を探ると、入り口近くのカウンターに一目で夜の蝶と分かる派手な身なりの美女がいた。その女はヴィンセントと目が合うとおもむろに立ち上がった。こちらに歩いて近付いて来たが、話し掛けずに手洗いの方へ消えて行った。だが、すれ違いしな明らかにヴィンセントへ秋波を送っていた。

「……手掛かりは、多い方がいいかな」

 ヴィンセントはすべてを承知したようにそう言って肩をすくめた。

 

 女があまり時間を掛けずに戻って来ると、加菜子をちらと見てからヴィンセントに再び視線を落とした。その女から敵意も何も感じられない。はっきり取るに足らない小娘だと認識したのだろう。ヴィンセントとの旅の道中、いくどもそんな視線を向けられてきた加菜子は懐かしさを覚えて苦笑いを浮かべた。

「あら、あなた男のくせに綺麗な顔してるじゃない。……嫉妬しちゃうわ」

 美しい声で意味ありげにそう言って、女の白い指先はヴィンセントの肩をなぞった。

「……君の眩しさに当てられてるだけだよ」

 一瞬考えるような目をしていたヴィンセントだったが、すぐに受け入れるような返答で女の手を掴んだ。彼女の肩を引き寄せて、わざと耳元で「少し待ってて」と言えば、女の唇が蠱惑的に引き上がった。駆け引きは女が立ち上がった時から始まっている。

 

 女は、ヴィンセントに言われたとおり一度自分の席に戻って行った。加菜子がその背中を見ていると、ヴィンセントも立ち上がった。椅子に腰掛けたままのフランに合わせるよう中腰で二言三言耳打ちすると、その背を軽く叩いた。

「じゃ、僕はちょっとお出かけしてくるね」

「……疲れてるんじゃなかったの?」

 答えを分かっていながら加菜子はジトっとヴィンセントへ視線を向けた。

「嫌だなあ、癒されてくるんだよ」

 ヴィンセントが魅惑的に、さっきの女よりよほど色っぽい笑みを浮かべて言った。加菜子はため息を吐いた。

「フラン、加菜子をよろしくね」

「はい」

 ヴィンセントはカウンターにいる女の元へ歩いて行くと、耳元で何事かやり取りをして、2人はくすくすと笑い合う。茶番に女が飽きたであろう頃合いを見計らい、代わりに会計を支払ったヴィンセントは女の細腰を抱き、外へ出て行った。その様子を見ていた加菜子は驚きながら「40秒……最速記録更新」と呟いた。せめて同じ宿を選ばなかったのを褒めるべきか。いや、それは最低ラインだろうと心で突っ込んだ。

 

 完全に2人がいなくなるのを待っていたようなタイミングでフランが声をかける。

「ほら、戻るぞ」

「はーい」

 先に歩けと言われて加菜子は従ったものの、本当に背後に彼が付いて来ているのか不安になり、何度か振り返っては小言を食らった。なんだかフランの気配が先ほどよりも薄い気がする。

 

 2階に上がると、フランはヴィンセントに言われたとおり加菜子を部屋まで送り届けた。と、いっても隣なのだが。

「戸締まりして、さっさと寝ろよ」

「わかってる」

 

 加菜子が素直じゃない口ぶりで返しながら扉を閉めようとしたが、それをフランが抑えた。振り向いた加菜子に彼はもう一度、言い聞かせるように口を開いた。

「今日はもう部屋から出るなよ」

「なんで?」

 少しフランを見上げて聞き返した。彼は静かに加菜子へ視線を落とすだけで何も言わない。

「……なんでも。おやすみ」

 フランはそれだけ言って扉から離れた。

 

「……お、おやすみ」

 加菜子は驚いたあまり返事が遅れたが、彼の視線が早く扉を閉めるよう急かしていたので慌てて閉じた。

 扉の内側で誰にもみられないのを良いことに加菜子は目を丸くさせた。

 フランからおやすみを言われるのは初めてだった。


 ◇

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る