第19話 マスターと黒猫
午前中に訓練をぶっ続けでやっていた加菜子。3日前に黒猫堂のマスターと約束したその日の午後、フランと合流して町に降りた。黒猫堂の経営者で自警団に所属するフーゴから話を聞くためだ。
「沁みる……!」
ケーキという糖と脂の塊を食べて加菜子は疲れが取れていくのを感じた。
食べ終わった加菜子は、目の前で本を開きだしたフランを相手に手持ち無沙汰となって店内を見まわした。
「田舎者」
フランが一瞥もせず嫌味を飛ばした。
加菜子はとっさにムッとしたが、不躾な態度なのは確かだったので素直におとなしく椅子におさまった。
「どうぞ、好きに見ていってください。こちらにも趣味で集めた物がいくつか並べてるんですよ」
グラスを磨くマスターが苦笑いを浮かべて助け舟を出す。
加菜子はこれ幸いとマスターが指し示す一角へ近づいた。それをフランが呆れたように鼻で笑ったが、無視した。
並べていると言った通り、アンティークテーブルやガラスケースを使って古く貴重な装飾品や食器が美しく飾られている。
だがそれよりも加菜子には気になる物があった。
「ずいぶん時計が多いんですね」
この店に入った時から内装と溶け込むようにされてはいるものの、置き時計や掛け時計がいくつもあるなと思っていた。改めて見ると、ガラスケースの中にもかなりの数の腕時計が置かれていた。
するとマスターは恥ずかしそうに頭をかいた。
「ただの下手の横好きなんですけどね」
加菜子は彼の言い回しに少し引っ掛かった。
ガラスケースのものをもう一度よく見ると、他の貴重品は年代やデザイン別に揃っているが、腕時計だけ統一感がないように見えた。
「……もしかして、修理してらっしゃるんですか?」
「ええ、でも趣味の範囲ですよ」
マスターは顔を顰めて苦しそうに答えた。
(なんでそんな顔をするんだろう)
加菜子は不思議に思いつつどう返すべきか迷った。
「何が趣味なものか! 評判になるほど良い腕だろうに」
そんなマスターがいるカウンターの奥から、荷物を抱えた快活な声の男性が現れた。
マスターは少し驚いたような、ほっとしたような顔で振り返った。
「帰ったのか、フーゴ」
このスポーツマンのように体躯のよい男が喫茶店の経営者であるフーゴらしい。パーツ1つずつを見ると鋭さや男らしい無骨さが際立つものの、彼が笑顔を浮かべるとなかなか人好きのする明るさが灯るようだ。マスターと知己だというが、隣に並ぶと、躰つき顔つき性格まで何もかも正反対の2人であるように加菜子には見えた。
フーゴは爽やかな笑みでマスターを肘でつついた。
「コイツのはただの謙遜ですよ。デニスはなんたって王都で――」
「……フーゴ」
デニスと呼ばれたマスターは低い声で制した。
少しも声を荒げてはいないが、彼の友人はぴたりと口を閉ざした。
加菜子は剣呑な雰囲気に息を潜めた。
終始本にしか興味のない素振りをしていたフランも視線だけをあげて観察する。
注目を浴びていると自覚したらしいマスターは、バツの悪そうに顔を歪めた。
「……やめてくれ、頼むから」
またさっきの顔だと加菜子は思った。
彼は弟の話をした時も、さきほど時計の話をした時も同じく苦しそうな顔をしていた。その横顔を見て、フーゴは自分の頭をかいた。
「あー、すまん。今のは俺のデリカシーがなかった」
「……いや、こっちこそすまない」
なんとも気まずい空気の中、加菜子の足元を何かがするりと抜けた。
「うひゃあ!」
慌てて下を確認すると、全身真っ黒な毛玉が加菜子の脚に擦り寄っていた。仔猫だ。
加菜子の素っ頓狂な悲鳴を聞いて、今度は全員がそちらを見た。フーゴに至っては咄嗟になのかカウンターを飛び越えたあとだ。加菜子は注目されたことが恥ずかしくて顔を赤くした。
「あ、すみません。 こら、ダメじゃないか。また勝手に入ってきて」
マスターはそう言って黒猫を嗜めるが、本猫は構わず加菜子に撫でろと顔を擦り付ける。
「すっかりここを自分の家だと思ってるんだな」
フーゴが笑う。
加菜子はしゃがんでわしゃわしゃと撫でた。
「もー、きみのせいで変な声出たじゃないの」
小声で文句を言うものの、黒猫の方は何のその気にした素振りも当然ない。フーゴが抱き抱えようとするが、猫はスルッと避けて加菜子の足元に再び定着した。
「全身真っ黒だね、きみ。それに仔猫だ」
加菜子が指先で顔を撫でると、猫は目を細めてゴロンと横たわった。フーゴが意外そうに言った。
「デニス以外に懐くなんて、珍しい」
彼は、加菜子にもふもふのお腹を見せる黒猫を見て驚いている。
「飼い猫なんですか?」
「い、いえ。3週間くらい前から勝手に住み着いた野良なんですよ。店に入りたがるんで一応、洗ってはあるんですが……」
マスターも話しながら驚きの顔で加菜子と猫を見ていた。
「そうなんですね。かわいい、ここが気に入ったんだねえ」
ずっと黙っていたフランがおもむろに口を開いた。
「……例のやつじゃないか?」
「何が?」
猫を撫でてご機嫌の加菜子が呑気に返す。すると、フランは心底バカを見たような表情でため息をついた。何故この男はせっかく綺麗な顔をしているのに、すぐそんな表情を作ってしまうのかと加菜子は呆れる。
「魔女の村で、村長の娘が黒猫を探してただろ」
「……あっ」
すっかり毛玉に脳みそを溶かされていた加菜子はやっと繋がった。
訝しげに会話を見守っていたマスターとフーゴに、かいつまんで事情を話す。
「じゃあ、このクロは山から降りてきたんですね」
「女の子が探してるんなら、返してやらなきゃなあ」
マスターとフーゴが加菜子に撫でられてすっかりとろけた黒猫を見て言った。
「あいつの代わりにお前が来たと思ったんだけどね」
マスターは寂しそうに呟いた。
◇
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