第12話 魔女の家 1


 朝日が差し込むダイニングで、加菜子はお婆さんたちと向かい合っていた。

 目を閉じたお婆さんが片手を加菜子の額に当て、小声で何か唱えている。その手からほのかな光を放つ。

 

 やがて光が消えると、呪文のような声も止んだ。

 

 お婆さんの目が開かれる。

「――大丈夫、これで閉じられた」

 小さく瞳を揺らす加菜子へお婆さんは優しく微笑んだ。

「何か違和感はあるかい?」

 そう聞かれて加菜子はしばし自分へ注意を向けた。体調はここに来る前から戻っている。手を何度か開閉して力が入ることを確認した。庭先の小鳥が来た時と変わらぬ声で鳴いている。

 

 加菜子は首を捻った。

「……何も?」

「だろうねえ」

 お婆さんは加菜子の返事を最初から分かっていたようにゆっくりと薬草を片付ける。加菜子は余計に不安が広がった。

「それって良くないことですか?」

「アンタがただの一般人なら何の問題もないよ」

 手拭いで乳鉢を丁寧に拭き取りながら答えた。けれど、と目の前のお婆さんは上目遣いで加菜子を見た。

「受容器の開け閉めは自分で出来るに越したことはない。特に渡り人が長生きしたかったらね」

 加菜子は驚きと共にやはりと確信した。昨日の「外の娘」という呼び方からもしやとは思ったが、やはり彼女たちは加菜子がこの世界の人間でないと気が付いている。

 

 加菜子を見て異世界から来たと気づいた人はこれで3人目だ。フランだって気付かなかったくらいだ。

 

 全て見透かしたようにお婆さんがふふふと笑った。

「そりゃあ魔法は使えなくても、年季の入った魔女だもの。それよりもあの美形はとんでもない魔術師だねえ」

 


 

 1時間前の出来事だ。

 準備の途中でまたうとうと船を漕ぎ出した加菜子をヴィンセントが小脇に抱え村までやって来た。

 宿から町の外へ門から馬車に乗って村まで来れば最初こそ寝ていた加菜子もさすがに途中で起きてヴィンセントをタップしたが、彼は衆目などなんのその、そのまま村の奥にある魔女の家まで迷いなく進み門の前で声を張った。

「たーのもー!」

 庭先を手入れしていたお婆さんがよっこいしょと立ち上がった。

「あらあら一体何の騒ぎなの」

 玄関を掃除していたお婆さんは訝しげにヴィンセントを見る。

「朝からうるさい人攫いだねえ……」

 

 そして彼女たちはその顔を二度見した。

 

「って、あらやだ美形ッ」

「強くて良い男じゃないのさ!」

 お婆さんたちは一斉にわらわらと集まりあっという間にヴィンセント――とその小脇に抱えられた加菜子は囲まれた。お婆さんたちは興奮したようにヴィンセントの胸に軽く手を置いた。

 

「ねえあんた、ちょぉっと腑を分ける気ない?」

「あははこの感じ、間違いなく魔女だね!」

 物騒なセリフを向けられても当のヴィンセントは楽しそうに笑っていた。


 


 未だ思い出(の味?)に浸っているお婆さんたちはうっとりと呟いた。

「あれが纏う魔力の層だけでも美味かった」

「うっかり若返っちまいそうだよ」

 涎が垂れそうだなと加菜子が思った寸前でやっと彼女たちは首を振って自我を取り戻したように続きを話した。

 

「でもま、星導力使いだけの特権ってわけでもない。力あるものなら見ただけで相手の力量や力の種類、器の大きさが分かるモンさ。ああ、受容器の方だよ」

「アタシらほどの年寄りなら、見ただけで人としての器も見抜けちまうけどね」

 

 お婆さんが片目を瞑った。

 

「受容器の開閉にはある程度の大きさが必要だ。だから魔術魔法を使う者そして空っぽの器を持った渡り人は感情が激しく揺さぶられると開きやすい。そしてね、一度開くと厄介なことに隙間へ流れ込んだわずかな、それも何でもないようなモノに惑わされやすいんだ。エネルギーですらない残滓のような何か――ちょうどいまのアンタのようにね」

 加菜子はハッとして両手を握った。

「聞きたいことは何でも聞くといい。何でも答えるとは限らないけれど」

 視線を彷徨わせた。

「アタシらはアンタの何でもないだろう?」

 

 そう言われて加菜子はどきりとした。

 もう全てを分かっているお婆さんたちに観念して、おずおずと顔を上げる。

 

「渡り人……空の器って、なんですか?」

 声が震えた。目を細めるお婆さんたちに焦って言葉が転がり出た。

「最近になって、どうしてわたしはこの世界に来たんだろうって考えるようになったんです」

「おやまあ、ずいぶんとのんびりとしたもんだ」

 緊張した面持ちで加菜子は首を振った。誰かに相談なんてしたことがないからどう説明したらいいのか思いつかないし、どう言い繕っても自分の恥でしかないと思った。

 

 お婆さんたちは合点したように首を振った。

「なるほど。アンタやっと生きる気持ちが湧いて来たクチってわけ。空の器なんて蔑称を知ってるんだ、売られたろう?」

 加菜子は唇を噛み締めた。

 

 ここにヴィンセントやフランがいなくて良かった。

 正確にはフランが残っていたのだが、お婆さんたちが「女の秘密を覗くもんじゃないよ」と追い出してしまって彼は今外にいる。

 

 お婆さんが今度は長く息を吐いた。

「まず生きる覚悟を決める段階にあるのか」

 これは骨が折れそうだと文句を言いつつ、彼女たちは年長者らしく微笑んだ。

「幸い迷える若者を導くのは得意分野さ。そいじゃ、錆びついたおばばの知恵でも貸してやろうかね」

 

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