第13話 魔女の家 2
紙と鉛筆を用意したお婆さんが話し始めた。
「渡り人、空の器――名前はいま何でもいい。人が世界を渡るには条件があってね。その前にまず魂の多層化と切り分けについて話をしようか。並行世界というのは分かるかい?」
加菜子は元の世界にいた頃触れた知識を思い返した。
「異世界とは違うんですか?」
「それの一部さ。異世界というは大枠だね。並行世界はそれよりも、もっと小さく近い存在を指すんだ。ある地点から分岐をしそれに平行する別世界のこと。分岐が近ければ似てる世界もあるし、分岐が遠ければ全く違うように見える世界もある。それでも全て可能性だ。そしてそれらは全て紙のように薄く重なり合っている。世界を横に伸びた紙とすると魂は平面に対して直角なこの鉛筆のようなもの、紙の上ではただの点になる。1つの世界が横へ広がる1枚の紙で上下にたくさんの世界が重なっている。魂とは重なり合った紙を串刺しにして繋ぎ止める存在だ」
お婆さんが数枚の紙を手に取って、細長い鉛筆を刺した。
「ところでこの魂ってのは無限に分岐する世界とは違って、1つしかないんだ。この場合の1つってのは1生命につき1つってことさ。これは世の決まりごとみたいなもんでね。ひとつの世界には、ひとつの命にひとつの魂と決まっている。けれど、魂は世界の数だけ切り分けられる。それも世界と同じく層になっているけれど、元はひとつの魂であることは間違えちゃいけない」
交互に話すお婆さんたちの言葉はあまりに難しく加菜子の目が回りそうになった。
お婆さんが苦笑した。
「分かりやすく言うとね、加菜子の元の魂を大文字とすると、加菜子の魂はその小文字、別の世界では同じ小文字に点が付く……というふうに分かれていくんだ」
「……わたしが死んだら、この大文字に戻る?」
加菜子の言葉にお婆さんが頷いた。
「そう。そうして同じ世界か別の世界かは分からないけれど、魂はまた振り分けられる。そして次に大事なこと、この世界ではね、魔力を持って生まれた者は、魔力を完全に失うと死ぬ。もちろん魔力さえあれば致命傷を負っても死なないなんて逆説はないからね。生命あるもの短くとも長くとも終わりは平等だ。といっても魔術師は中々頑丈だし、星導使いは元々魔力を持っていないからこれもまた違うけれど。……大前提としてここまで、どう? 何となく分かったかい? 分かってもらわないと進まないんだけどね」
「は、い」
自信はあまりないが頷いた。
「よろしい。魂とこの世界のルールについて分かったところで、本題に入れるね。人が――というより、生物が別の世界へ渡るには条件がある。それは《元の世界できちんと死を定義すること》だ。でないと《ひとつの世界には、ひとつの命にひとつの魂》というルールに反してしまう。ルールを破るとね、世界のシステムがおかしくなってしまうんだよ」
加菜子にはピンと来なかった。
「こればかりは他に上手い説明がないねえ。壊れたシステムがいつどのように表層に出るかは分からない。けれど確実に、綻びが出てしまう。だからね、渡り人は元の世界で
「それって……」
加菜子は喉元に迫り上がった疑問を抑えた。
「じゃあここにいるアンタは幽霊なのかい?」
先を読んだお婆さんたちが笑い出す。
「死んだことになってると言ったろう? 世界にそう認めさせた、という状態なんだ。定義すればいい、と言っても簡単ではないんだが魂を世界に帰すのと同義のものを渡す。必要な条件だ。それが何かはもう気づいているね?」
加菜子はまさかという思いで口を開いた。
「魔力、ですか?」
「そう。渡り人が空の器と呼ばれるのは魔力が全くないからだけれど、元々なかったわけではないと考えられているんだ。むしろ魔力を対価にこちらの世界に来たと仮定しているのさ」
「でもわたしに魔力なんて……そもそも、わたしの元いた世界では、魔法や魔術の区別だってなかったし、それらはおとぎ話みたいな存在だったんです」
お婆さんは静かに首を振った。
「それはカナコが識っている世界の一面だろう? 魔法のない世界はないよ。神がいない世界なんてないようにね。そして魔法があるなら、いずれ必ず魔術も生まれる。そういう風に出来ているから」
加菜子は愕然としたまま黙り込んだ。
「神力、星導力、魔力……どれでもいいが、生物にはそれらの力を蓄える器が必ずある。それが受容器といって大きさは人それぞれ。だが共通して、渡り人は大きな受容器を持っているとされる。理由は不明だけれどね。ただ、どんな大きさの器であっても、閉じていないといけないよ。空いてる容れ物には、ものを入れるのが道理だろう? 死体には魂が入りやすいように。代わりのものが吸い寄せられるように、乗っ取っちまう」
加菜子は背筋に冷たいものが走ったような恐ろしさを感じた。
「だから自分で出来るように訓練しないといけないよ。カナコ、アンタは空の器と言ったね。その所以を知っているかい?」
戸惑いながら頷く加菜子。お婆さんは硬い声で続けた。
「ならばこそ、迷っている暇はないはずだよ。空の器は存在自体が貴重で、また魔力貯蔵の効率が非常に高い。だから高値で売買されやすいのさ。人として生きたいなら、自分の身は守らなくちゃダメだ。なぜ自分がこの世界に来たのかなんて考えるのはもうあとに捨ておきなさい」
加菜子は頬が熱くなる。
しかし、厳しい言葉の奥にはお婆さんたちの深い優しさが感じ取れてもう一度顔を上げた。
「せめて受容器の開閉が自分で出来るようにはしてやろう。そうすれば、最悪の事態を避ける時間稼ぎにはなる」
お婆さんはホッとしたように表情を和らげて加菜子の手を握った。加菜子は背筋を伸ばして頭を下げた。
「よろしくお願いします」
◇
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