第37話

仕方なく店の前まで戻ってきて携帯電話を取り出した……その時だった。



「あんたさぁ……なにやってんのぉ?」



 と、どこかで聞いた事のある声が後方からしてきた。



 振り向くと、閉店中の未来のドアが開き、中から青年が顔を覗かせていた。



 それは、専門学校へ行ったときに話しをしたあの青年だった。



「君、どうしてここに?」



「それはこっちのセリフゥ……人ん家の前でぇなにやってんのぉ……?」


「人ん家?」



「そぉ……。ここぉ俺の親が経営してんのぉ……今は店閉めてるけどぉ……ここの二階

から上が家になっててぇ……」



 と、店の奥にある扉を指差して見せた。



 あの扉の向こうが二階へ続く階段になっているらしい。



「じゃぁ飯田昌代を知ってるのか?」



「当たり前じゃぁん……? 働いてたんだからぁ……」



 と言いながらヘラヘラと笑い、だらしなく舌を覗かせた。



「そんな話聞いてないぞ!」



「なぁに言ってんのぉ……? 聞かなかったじゃぁん……」



 体をくねらす青年に、藤堂はしかめっ面をして大きなため息を吐き出した。



 すぐに新田へ電話して、この店と専門学校の共通点が見つかった事を知らせなければならない。



 しかし、その時青年の手が伸びてきた。



「なんだ?」



「ねぇ? よかったらさぁ……上がらない?」



「……は?」



「雨じゃん? 濡れるからぁ……雨宿りくらいしてけばぁ……?」



 そう言い終わるやいなや、強い力で藤堂を引っ張って店の奥へと進んでいく。



「ちょっと、何なんだ」



 手を振り解こうとする藤堂に、青年はニッと歯を除かせて笑い、「俺の名前はルカ」と突然自己紹介をしたかと思えば、まるで恋人へ甘えるように上目使いで「部屋……来て?」と言った。



 やけに水分の多いうるんだ瞳に藤堂は何も言えなくなり、ルカの言うとおり部屋へと連れて行かれたのだった……。

☆☆☆


 ルカの部屋はベッドとテレビ。それにパソコンが一台置いてあるだけで、まるで生活感を感じされない寒々しさがあった。



 この青年の性格といい、この部屋といい。



 ますますルカという人物がつかめなくなっていく。



「その辺……座ればぁ?」



 そう言われても、カーペットさえひいていない冷たいフローリングの上に座るのはちょっと躊躇する。


 いくら夏だといっても、今は多少雨に濡れていて寒気を感じる。



 軽く身震いした藤堂に気づき、ルカは赤い舌をペロッと出した。



 まるでホラー映画なんかで出てきそうな、血のような色をした舌だ。



「寒い……?」



 そう聞くルカの手が、藤堂の腰に回った。



 後ずさりする藤堂に、ルカは詰め寄る。



 そして、大きな藤堂の体を小さなルカの手が包み込んだ。



 お互いの鼓動がハッキリと聞こえてくる。


 そんな状態で、ルカは軽く背伸びをし、藤堂の耳元に唇を近づける。



「ねぇ……」



 熱いくらいの吐息が吐きかけられて、先ほどまでの寒気が吹き飛ぶ。



「飯田昌代のこと、どこまで分かってるの?」



「……っ……」



 君に話すことは何もない。



 たったそれだけの言葉が出てこない。



 体中が熱でおかされているような、倦怠感。



「犯人、わかったの?」



 続けて聞かれると、思わず捜査状況を口に出してしまいそうになる。


なんだ?



なんだこの男は?



 ルカの右手が、藤堂の下半身へと伸びてきた。



 ズボンの上から太ももをなぞられるだけで、頭の中が真っ白になりそうな感覚。



 まるで、媚薬でもかがされてしまったような……。



「……オル……フェウス」



 ついに、藤堂の口からその名前がこぼれ出した。



 今、一番気になる人物。



 事件との関係があるかどうかまだわからないが、捜査する必要のある人物。



「……オルフェウス?」



 ルカの口調が険しくなった。



 藤堂から身を離し、ベッドの上に胡坐をかく。



「ギリシア神話の神様が、事件と関係あるの?」



 いつものルカではない。



 あの、ヤル気のないようなネットリとした話方は、ただの演技だったのか。



 刺すような目で藤堂を見つめる。



「……まだ、わからない。けど、そう名乗っている人物が――」



 藤堂の言葉を遮るように、ルカが口を開いた。



「オルフェウスという名を名乗っている人物は、偉大である。


様々な人間の信頼を得て行動する、絶対的存在。オルフェウスには逆らえない。そうだろう? 刑事さん?」



 ルカが、また歯を除かせてニッと笑う。



 その瞬間、藤堂の脳裏にチカチカと光る画面が現れた。



 パソコン画面が赤や黄色や青色にチカチカと点滅して、《登録できました》の文字が出る。

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