第35話

 沙耶香の心は土砂降りの雨の現実から、雲の上の天国へまで舞い上がってしまっていた。



 雨で視界が雲り、顔をしかめつつ慎重に運転する栗田が、愛しくて愛しくてたまらない。



「沙耶香、君の友達は本当に歩いてるの?」



「え? あぁ……そうだった」



 脳がのぼせてしまって、てっきり幸也たちの存在を忘れていた。



「もう山を越えてるならいいけど……」



「心配してるの?」



「この雨だぞ? そりゃあちょっとは心配するよ」



「てっきり嫌いになったのかと思ってた」



「いい気はしないよ。けど山は危ない」



『いい気はしない』連中の心配をするなんて、やっぱり優しい。



 そう思い、沙耶香は軽く微笑んだ。



「連絡取ってみたら?」



「え?」



「連絡。携帯持ってるだろ?」



 そう言われて、沙耶香は軽く首をふった。



「ないの。昨日の山で落としちゃって」



 と、そこまで言って口を閉じた。



 それ上の事を言うのは何だか気がひけたのだ。



 栗田を妙な事件に巻き込みたくはない。



「言ってくれたら探したのに」



「もういいの。解約しちゃたし」



 そもそも、携帯電話を持っていても、幸也たちの番号は知らない。



 連絡を取る術はないのだ。



「そう。それよりさ……」



「うん?」



「こんな雨だし」



「うん」



「俺の家、来る?」



……え!?



 その瞬間、幸也たちの事が再び頭から吹き飛んだ。



 真っ白になった頭の中で、「うん」とだけは、ハッキリと返事をしたのだった――。




 雨は昌代が働いていたキャバクラまで降り続いていた。



 夕方になってから、東京全体が雨に変わった。



「収穫なしか」



 新田はそう言うとイラついたようにガシガシと爪を立てて頭をかいた。



『未来』の入り口の前で、降りしきる雨を避けるように二人が立っている。



「新田さん」



 後ろから藤堂が声をかける。



「何だよ」



「ガシガシかいてたらいつか禿げますよ?」



「――うっせぇなお前は!! 人がイラついてるのがわかんねぇのか!? えぇ!?」


 思いっきり胸倉をつかまれ、藤堂が必死になって抵抗する。



 キャバクラ『未来』の営業時間は夕方6時から夜中の3時まで。



 飯田昌代はアパートが近いため、ロッカールームで長居をすることもなく、ドレスアップされたままの格好でさっさと帰っていたという。



 仲間内では付き合いが悪いと言われることもあったが、飯田昌代をそこまで嫌っているような人物がいるとは思えなかった。



……と、ここまでは今までの警察の調査ですでにわかっていたことだ。


 今日はそれ以上の進展を望んでいたのだが、まるでダメだった。



 今回の事件のせいで店は今一時的に閉まっていて、詳しい事情を聞けるような人物もいなかった。



「コンビニで傘買ってこい」



 ようやく藤堂の胸倉から手を離し、ため息まじりに新田がそう言いつけた。



 藤堂はまるでその場から逃げるように雨の中を走り出した。



 その時だった。



 見慣れない白い車が止まった。



 怪訝そうな表情をする新田。


「捜査中?」



 そう言いながら運転席から顔を除かせたのは、幸也だった。



 助手席と後部座席には見慣れない男たちがいる。



「何をやってるんだ?」



「こっちも捜査だよ。誰かさんに飯田昌代の件を頼まれたから」



 と、嫌味を言いながら車を下り、新田の横に立った。



 傍から見ると親子には見えないが、キツイ目元がよく似ていた。



「『携帯電話』のことか。何かつかめそうなのか?」



「あぁ。


手伝ってくれる人間がいるから、非現実的な話が現実と繋がりそうだよ」



「ほほう?」

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