第10話

 バスの近くにいる男は20代前後で、今は真っ青な顔をしている。



 今にも走って逃げ出してしまいそうな雰囲気もあった。



 耳にへばりつけていた携帯が、コール音から


「もしもし?」


 と、藤堂の声へと変わった。



「藤堂、見えるか?」



 当然、新田は藤堂が車の中で待っていると思って話を始める。



「何がですか?」



 一方、藤堂は式の受付を終らせて、お経の鳴り響く会場へ足を踏み入れようとした時だった。



「右手に見える男だよ」



 新田は、車とバスの位置を確認し、そう言った。




「右手に……?」



 藤堂はそう聞き返しながら、視線を右へと移動させる。



 そこには、受付の男と女が目に入る。



 冠婚葬祭の社員だ。



「その男、怪しいだろ」



「へ……? そうですかねぇ?」



「どう見ても怪しいだろう。待ち人来たりだ」



 電話で新田にそう言われても、藤堂はピンとこない。



この受付の男が待ち人?



 そんなわけがないのだが、警部である新田がそう言うならばそうなのかもしれない。



 首を傾げつつも、新田にそう言われるとなんだか怪しく見えてくるから不思議だ。



 そういえばこの男、夏だと言うのにやけに厚いスーツを着ている。



 それに、さっきのあの笑顔。



 人が死んだというのに絵に書いたように爽やかに微笑み、白すぎる歯を覗かせていたのだ。



 怪しい。



 確かに、怪しいぞ。


「……なんだか、俺も怪しく見えてきました」



「だろう? 逃げられる前に捕まえるぞ」



「はい」



「いいか、1・2の3で同時に取り押さえる」



「わかりました」



 新田は青いTシャツの男を睨み、藤堂は受け付けの男を睨む。



 両者の鼓動が携帯を通じて聞こえてきそうなほど、ドクンドクンと早打つ。



「いくぞ……」



 カウントが始まる。



「1……」



「2の……」



 受話器の両方で、


「3!!」


 と聞こえたと同時に、新田は走り出した。



 男はその声にハッと気付き、一瞬新田と目が合った。



 その瞬間、並んでいるバスに見え隠れしながら、走り出す。



「待て!!」



 怒鳴り声を上げて男の後を追う新田。



藤堂はどこだ?



 もう合図は送っている。


 なのに、藤堂の姿が見えない。



 男はグングン速度を上げて新田を引き離す。



「逃げるな!!」



 そう言われて止まる人間は、まずいない。



 しかし、叫ばずにはいられない性分なのだ。



 男は駐車場を飛び出し、大通りを走りぬける。



 器用に車の間を縫って走る男に対し、新田は白い軽四にクラクションを鳴らされ、ギョッと目を見開く。



 すぐに警察手帳を取り出し、走る車を強引に止めながら男の後を追った。



 少し走っただけで背中には汗が流れ、息が切れる。



 そして……鳴り狂うクラクションに、とうとう足を止めてしまった。



 道路の真ん中で立ち止まり、肩で大きく呼吸を繰り返す。



 その視線の遥か向こうで、Tシャツの男が一瞬こちらを振り返った。



……クソっ! 笑いやがった。



 その男の勝ち誇った笑みが、新田の目に焼きついた……。



「3!!」



 の合図で、藤堂は思いっきり受付の男へ突進した。



 元々そんなに距離がなかったので、『飛びついた』という表現が似合うような格好だ。



 隣にいた受付の女が小さな悲鳴を上げて目を見開く。



 藤堂は男の体を床へ押さえつけ、抵抗できないよう右腕を思いっきりねじ上げてやった。



 下敷きになった男の悲鳴が響き渡る。



「なんなんですかあなた!」



 2人の悲鳴を聞いて駆けつけた会場のスタッフたちに、あっという間に取り囲まれる。



「安心してください、僕は警察です! 怪しい人物を確保しました!」



 と、藤堂は自信満々の笑みをたたえて警察手帳を見せたのだった……。


☆ ☆ ☆


 新田は何度目かのため息をついた。



 その隣では、大きな体をなるべく小さくしてチョコンと座っている藤堂の姿。



 ここは、式場にある遺族の待合室。




 とんだことをやらかしてしまった藤堂から、説明を聞くため、少しの間空けてもらったのだ。



 2人の目の前には、腕をさする受付の男――栗田という名らしい――が座っていた。




「まぁ、そういう事なら仕方がないですけど」



 そう言いながら、栗田は優しい笑顔を浮かべた。



 見た目からしてちょっとポッチャリしていて温厚そうに見えるため、その言葉に藤堂はホッと息を吐き出した。



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