vs.フェック【後編】
フェックの力の源はやはり目だろう。さすがに範囲は限定されるようだが自在に目を離れた場所に開かせ監視することができ、目を他者に貸すことで同じ力を与えられる。
それに確定はしていないが、目を貸し与えた他者を意のままに操作できるかもしれない。だとしたら何故ユンシーに目を植え付けてこないのかが疑問ではある。相手の同意やら儀式やらが必要だとか何かしらの条件があるのだろうか。
そして最優先でどうにかしなければいけないのはユンシーの動きを停止させた力と石にする力だ。これにもフェックの目が関わっているに違いない。問題はどのようにという点だ。
ユンシーの神力に屈さず今もこちらを睥睨するフェックの姿を眺める。敵から視線を外さないこと自体はまったくおかしくはないが、奴がそうすることにはそれ以上の意味があるのではないか。人間と同じ場所にある両目はさっきから瞬きをしていない。
もう一つ、ユンシーの体に隠れてフェックの視界に入っていないスピカは自由に動けている。これがわざとでないとしたら、問題は簡単に解けてしまうのだが。
そうこう考えているうちに状況は変化しそうだ。少なくない数の足音と人間のにおいが聖域に迫っていた。
「試してみる価値はあるか……?」
「……来い。生贄を捕らえろ」
ユンシーの独り言とほぼ時を同じくして、聖域へ人間の一団がなだれ込んでくる。スピカが悲鳴を上げた。ユンシーに体を寄せて腕を掴もうとするが、すでにそこは石になっている。その際にスピカの装備したナイフが当たったのか擦れるような音が鳴った。生身の部分を強めに握られる。
「加勢だな?」
落ち着かせるため、加えて確認の意味でスピカに呼びかける。しかし反応がない。
「……っそう! そう! いっぱいいる!」
数拍遅れてスピカは叫んだ。ユンシーが振り向けないのを失念して身振りだけで応えようとしていたのかもしれない。スピカの手の感触が鈍くなり、次第にそれすら感じられなくなっていく。時間がない。
呼吸音、足音、それに体臭で人数と武装の有無に当たりを付ける。人数は三十人から四十人ほど。全員が武装している。しかしながら武器の種類まで特定するのは難しい。
神力が弱められている状態でいつもの微妙な操作ができるとは思えなかった。何かないだろうか。振り返らずとも後ろの状況が把握できるような手段が。脈絡なくつい先ほど耳にした音が頭に響いた。そうか。あれならもしかすると。
「スピカ。俺の前にナイフを投げてくれないか」
「――はい!」
すぐに威勢よく応えがあった。念押しで「絶対にフェックの視界には入るなよ」と言い足せば「分かってるよ!」と今度はやや怒った声音で返される。それでもスピカは短時間でユンシーの前にナイフを投げてみせた。白銀の刀身が残光を反射している。
すぐさまナイフを神力で浮かび上がらせて背後の様子を映し出す。鏡のように綺麗には映らないが贅沢は言えない。大まかにでも確認できれば力を使いやすくなる。
額にフェックの赤い目を宿した人間たちが接近していた。それぞれ剣、槍、弓を携えている。皆一様に虚ろな表情をしており、自分で物を考えられる状態にあるようには見えない。弓でこちらを狙わないのはスピカを巻き添えにしかねないからだろう。
「ユンシー! どうしよう……!」
スピカが何を見て追い詰められているのかが分からない。武器を手に迫ってくるフェックの操り人形たちか、それとも石化が首まで進んだユンシーの惨状に対してか。人間でいう心臓もとうに石になっていたが、だからといってすぐに死んでやるつもりはなかった。
しかしいざ神力を使う直前になって、ユンシーに迷いが生まれた。事がこうなった以上はフェックを含めた全員を皆殺しにした方が安全なはずだ。どうするか決めるのはスピカだが、それを実行するのはユンシーだ。血まみれの結末になったとしてもスピカは受け入れるだろう。
しかし、それは最善の選択なのか? 安易にそちらを選ぶのは彼女の覚悟に見合っているのだろうか? そもそもどうしてそんなことを考えているんだ? 他者を思って行動したことなど一度もないクズのくせに。
ユンシーはまったく無自覚に強めの舌打ちをしていた。三つ目の人間たちを大雑把に映したナイフを睨む。
「どうかしている」
ユンシーが神力を発動させると、まず人間たちが高く打ち上げられた。そしてそのまま浮遊した状態で固定する。不意を突かれた人間たちの大半が武器を取り落としていた。残った連中の武器は神力で強引に奪っておく。フェックの支配下にあるとはいえ、人間が暴れたくらいではユンシーからは逃れられない。
そうして持ち主の手を離れた剣と槍、そして矢を全て空中に浮かせてフェックに狙いを定める。
「……お前っ……!」
ユンシーが何をしようとしているかをフェックも察したのだろう。攻撃を阻止するべくなけなしの力を振り絞って石化を早めようとする。
ミシミシとユンシーの神力に押し潰れされて全身から軋む音が鳴っていた。対するユンシーの石化は顎の辺りまで進行していた。
「……っぐ、死ねっ! 死ね!」
「どうして俺が死ななければいけないんだ。お前が死ね」
と、言いたいところだがな。そうぼやいてユンシーは浮かべた武器をフェックへと放った。
「!」
高速で射出された武器は真っ直ぐにフェックの目の一つ一つに向かっていく。どうやらフェックは攻撃を止めることができないようだ。
まず一本の剣がユンシーたちの近くで開いたままだった目に突き刺さる。続けて槍がフェックの手の甲の目を、矢が首筋の目を貫いた。フェックの目という目が滅多刺しにされていく。
ぐっ、いたい、があっ、ひぃ。フェックは激痛に呻きながら深紫の血液を白い床に撒き散らしていた。しかし未だに石化は続いている。ユンシーはフェックの右目を狙って矢を放った。
「ぎゃあ!」
「……やはりその目か」
矢は寸分違わず右目を射抜いた。人間なら少なくとも十数回は死んでいるだろう。もし実際に死んでいたらユンシーとしても少し困った事態になっていたので、フェックがそれなりに頑丈であってくれて良かった。
その上、右目を潰したことで石化が止まっていた。推測した通り、石化の力が宿っていたのはフェックの両目だったようだ。だとすれば最後にすべきことは決まっている。武器は全て使い切ってしまっていたが、あと一つだけ残っていた。
鏡としての役目を果たしたナイフの切っ先を突きつける。それをフェックも唯一機能している目で認めたことだろう。
「止めろ! や、めてくれ……!」
都市神が半狂乱で命乞いをする姿を目の当たりにしたスピカは何を思うのだろうか。
「それならさっさと石化を解くべきだったな」
聖域にフェックの絶叫が響き渡る。次の瞬間ユンシーは体の自由を取り戻していた。ぐるりと首を回して手足を動かす。神力も感覚も元に戻っていた。石化の痕跡は一切見受けられない。
そしてにわかに場がざわつき始めた。
「都市神様!?」
「この状況は一体何なんだ!」
「あれは逃げた生贄ではないのか!?」
「あの男は何者だ!?」
「そんな! まさか都市神様が……!」
どうやら人間たちにかかっていた神力も解除されていたようだ。いきなりこの場に放り出されて経緯を知る由もない人間たちは空中に留められたまま、思い思いに混乱したり怒ったり嘆いたりしている。
耳障りではあるが、放置しておいても支障はないだろう。ユンシーはフェックの傍らまで歩いていく。これまで通りその足は地面からごく僅かに浮いており、立っていたところにだけ深く窪んだ足跡が刻まれていた。少し遅れてスピカもこちらへ走ってくる。
「……う……っ……」
フェックは時折ぴくりと体を揺らす以外には弱々しい呻き声を漏らすだけだった。最期に足掻くだけの余力もないようだ。周囲には血の海が広がりつつあった。躊躇なく踏み込む。足裏が地面と接していないユンシーは汚れもしないし足音も立たない。それにも関わらずびちゃっと音が鳴ったのはスピカもついてきていたからだった。
スピカのくたびれた靴は深紫に染まっていた。そういえばナイフを投げるように頼んでからスピカと会話をしていない。ユンシーには実感として掴めないが、スピカにとって眼前の光景は惨状と呼ぶべきものかもしれない。何でもいいから声をかけた方が良かったかと自省しかけて慌てて頭を振った。馬鹿馬鹿しい。
ユンシーの影がフェックにかかる。
「フェック」
「……!」
フェックは身震いしていた。するとスピカに左腕を掴まれる。言いたいことがあるのかと顔を向けるが、スピカは唇を噛み締めてフェックを見据えていた。ユンシーに用があるようには見えない。どうやら無意識の行動らしかった。このことに気付くか飽きるかすれば勝手に放すだろう。
ユンシーはスピカの手をそのままにして、フェックへと話しかける。
「お前をここで殺してもいい。だが」
そこで言葉を切った。ユンシーの腕を掴む力が強まる。ユンシーに傷一つつけられない柔く脆い指だ。
「俺たちと取り引きをすると言うなら生かしてやる」
「……偉そう……」
ぼそりとスピカが零したのをもちろんユンシーは聞き逃さなかった。これは注意なのか。それともスピカの所感に過ぎないのか。注意したいのならもっと声を張るだろうから後者ということにしておこう。
そして、スピカがユンシーを見上げる。もしかして注意だったのか、と思ったところで「あれ、ユンシー……?」と困惑した面持ちで名前を呼ばれた。ユンシーがフェックとの取り引きを続けようとしていることに後から気付いたのだろうか。
「不思議か? フェックと取り引きができるならそれに越したことはないだろう?」
別にここでスピカがフェックを殺せと言うのならそれはそれで構わない。ユンシーはそんな心積もりでいたが、スピカの反応は違っていた。
「……うん。うん!」
頬を紅潮させて何度も何度も頷く。それに口元が綻ぶのを抑えられないでいる。どうやったって犠牲は出る。だが、スピカがこうして笑えるのならそれが最善といってもいいはずだ。
ユンシーは再度フェックに声をかけた。
「答えろ。フェック。取り引きをするか? しないか?」
「…………とりひきを、っじた、どころで……わたし、は、しぬ……ぐうぅ……」
息も絶え絶えにフェックは答えた。後ろにいる人間たちは叫ぶのを止めたかと思えばすすり泣いている。その中でスピカが「大丈夫だよね」と囁いた。意外に慌てていない。ユンシーの思惑が読めているのか。
そういえば一度スピカには使っていたか、と思い出しながらユンシーはしゃがんだ。スピカが手を放すが、すぐ肩にかすかな重みと体温を感じた。ユンシーの肩越しにフェックを覗き込んでいる。
「大丈夫かどうかはこいつ次第だな」
手の甲に刺さっていた矢を引き抜く。血が流れ落ち、フェックは力なく吐息を漏らした。スピカは口を噤んだままユンシーを見守っている。
潰れた目に触れ、ユンシーは己の力をフェックへと流し込んだ。本来は自己治癒のための力だった。敵やこちらに好意的ではない者に対して優位に立つ手段として利用しようと思い立ってから試行錯誤を重ねてようやく自分以外にも使えるようになったのだ。
目を一つ再生させるのにそれほど時間はかからなかった。フェックもようやくユンシーの思惑を察したのだろう。治ったばかりの目でユンシーを凝視している。
「俺はお前を治せる。――最後にもう一度だけ聞くぞ、フェック。取り引きをするか? しないか?」
一つの視線がユンシーとスピカの間を繰り返し行き来する。ユンシーは急かさなかった。スピカもじっと待っている。
しばらくして、フェックは観念したように目を閉じた。
「……わ、かった……」
それ以上は何も言わずユンシーは傷の回復に取り掛かった。自分以外に使えるようになったと吹聴したところでそれでも他者の治癒が不得手なことには変わりがない。それに傷が深ければ深いほどユンシーの消耗も激しくなる。
果たしてフェックは完治した際に言葉を違えるだろうか。そのときは苦しむ間もなく潰してやる。黄緑の双眸が待ちきれないと言わんばかりに輝いていた。
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