vs.フェック【前編】

「――人間と、人間でないもの。お前たちは何者だ?」

 

 影から日向へと。人の形をした何か――都市神――が現れる。聖なる香と人間の血のにおいが染み付いていた。都市神だけでなく聖域全体がそうだった。

 足首、足の甲、手首、手の甲、首筋、頬、額。それら肌の露出した部分に無数の赤い目が宿っていなければ、ひと目では人間の男と判別がつかなかったかもしれない。異様に白い肌は紫がかっていた。


「彼女の顔に見覚えがあるか? お前のもとから逃げ出した生贄だ」


 縦長の瞳孔から一斉に見つめられる異様さに圧倒されスピカは硬直していた。そんな彼女の被っているフードをユンシーが脱がせる。するとフェックが反応を示した。


「……ああ。それに、思い出したぞ。お前があのとき生贄を逃した都市神だな。わざわざ生贄を返却しに来たのか?」

「俺は都市神ではない。人間でもないがな」


 ユンシーは皮肉のまぶされた問いかけには答えず、前半部分に対してだけ言及した。その対応に、あるいはユンシーの言葉に面食らったのかフェックは全身の目を激しく瞬かせる。

 異様な光景であることには変わりないけれども何だか可愛らしいかもしれない。そう思ったのかは定かではないが、ユンシーの預かり知らぬうちにスピカの硬直は解けていた。


「しかし、お前も落ちてきたのだろう?」

「そうだ。だが、俺は守るべき街など持たない。生贄にも都市神にも興味はない」


 と断言するユンシーの後ろではスピカが心もとなさそうに手を組んでいる。


「興味はない、か。ますます解せないな。生贄を餌にして私を喰らいに来たのではないのか?」

「違う。俺は……俺たちは、お前と取り引きをしに来た」

「取り引きだと?」

「彼女から手を引け。その代わりに都市神を一体捕まえてきてやる。生贄よりも都市神を喰った方が得られる力は多い。モーティスの外に出ることのないお前にとっては悪くない条件だろう?」


 言い終わった途端にスピカから小声で「言い方!」と注意が飛んでくる。何が悪かったのかは分からないが、他者とのやり取りを怠ってばかりだった自分よりはスピカの判断の方が正しいのだろう。

 とはいえ今は些事にこだわっている場合ではない。ユンシーは聞こえないふりをしてフェックの様子をじっと窺っていた。 


「……生贄にも都市神にも興味はないと嘯きながら、生贄を助けようとするのか?」

「彼女は俺と似ていたからな。興味も持つさ」

だと?」


 フェックは歯噛みしていた。自ら歯を削り砕きかねないほど強く。ユンシーはもとよりこの激しさではスピカでも聞き取れただろう。フェックの両の目がぎらりと光る。

 それにしても、似ているという言葉が随分とフェックの気に障ったらしい。スピカ曰く言い方が悪かったときよりも機嫌を損ねているのは何故だ。 

 

「彼女はただ死にたくなくて逃げたんだ。そのために都市神の糧となる名誉をなげうつとしても、都市神の加護の下で生きる人間としてあらゆる汚辱に塗れたとしてもな」

「えっ?」


 正確なのは死にたくなくて逃げたというところまでだったが、ユンシーはその後も含めて臆面もなく言い放った。そんなのは初耳だと言いたげにスピカは戸惑っている。しかしながらまるきり間違ってもいないはずだ。


「…………そんな人間は、いない」

「そうだ。俺もそう思っていた」


 ユンシーの言葉を否定しながらも語気は弱々しかった。動揺しているのだろうか。しかしながらやり込められているとは思えない不穏さも漂っている。それを後押しするようにユンシーは抑えに抑えられた外部のざわめきを察知した。

 フェックがスピカを見る。恐る恐る隣に並んだスピカとの距離をユンシーは無言で詰めた。瞬時にスピカを庇える態勢を取っておく。

 

「……モーティスの民でありながら、お前は本当に私を拒むのか?」


 フェックはスピカへと伸ばしかけた手を途中で引っ込めた。果たしてその手がスピカに届いていたとして、フェックはどうしたかったのか。ユンシーには縋っているようにしか見えなかった。

 都市神に生かされる人間らしくない選択をしたスピカは好ましい存在だった。しかしそれは都市神にならず競争を放棄したユンシーしか持ち得ない感情なのだろう。都市神はやはりスピカを秩序を乱し己の目的を阻害しかねない脅威として認識する。


「…………そう、です。私はあなたに守られて生きてきた。それでも私は……っあなたのためだとしても死にたくない。だから、あなたの生贄にはなれない……!」


 スピカは逃げ腰になるのを必死に押し留めていた。フェックへの畏怖によって震える両足で、それでも背筋を伸ばして対峙している。緊張で細くなった喉から限界まで絞り出された声は間違いなくフェックの横っ面を引っ叩いたことだろう。

 自分は思い違いをしていた。だからこそ、フェックには「似ていた」と伝えたのだが。スピカはユンシーとは似ていない。死にたくないから逃げた。そこまでは同じでも、そこからがあまりにも違っている。

 スピカの命懸けの訴えを聞いて暫しの沈黙。そして、フェックは歯を剥き出して笑った。これまでの経験によって危機を感じ取ったユンシーは反射的にスピカを己の背中に庇っていた。 

 

「――許さん。お前たちは私のものだ。いつか、私の願いを叶えるものだ」


 フェックの神力とユンシーの神力はほとんど同時に行使された。それによりユンシーは全身の動きを強制的に停止させられた。微動だにできないとまではいかないが、到底自由には戦えない。

 更には神力も弱くなっており、咄嗟の判断でユンシーは普段から自身にかけている浮遊の力を切った。そのせいで石床に両足が沈み込んだが、僅かとはいえ浮いた力をフェックに向けることができる。


「ユンシー!」

「俺の後ろにいろ!」


 己を庇ったまま動かなくなったユンシーを心配してスピカが前に出てこようとしたのを制止する。常にないユンシーの大声に驚いたのかスピカはその場に留まってくれた。

 どうやら動けないのはユンシーだけでスピカは無事のようだ。彼女と自分は何が違うのか。フェックが意図的にスピカを対象から外したのでなければ……。


「ぐうっ……」


 ユンシーは石床に這いつくばる――神力で這いつくばらせた――フェックを観察した。凄まじい力で地面に押さえつけられたフェックからは骨かそれらしきものの軋む音が響いている。何本かはすでに折れているかもしれない。しかし神力の出力が落ちているせいで肝心の首の骨が折れていなかった。

 フェックは渾身の力をもって頭を上げ今もユンシーを睨みつけている。


「交渉は決裂か。残念だ」

「最初、がらっ……私をっ……殺す、つもり、だった……だ、ろう……!」


 流暢に話すユンシーに対してフェックは途切れ途切れにしか喋れていなかった。身動きが取れないのは共通であってもまだユンシーには余裕があった。その驕りがなければフェックの追撃を防げていたのだろうか。フェックの赤目が光を帯びた。

 足と手の先の感覚が失われている。そう自覚したときには遅かった。視認できる範囲で手足の一部が灰色に変わっている。しかもそれは体の中心、もっといえば頭を目指して侵食が進んでいた。せっかくスピカに合わせた硬さにしていたというのに。


「ユンシー! いっ、石になってるけど!?」


 ユンシーの背中にぴったりと張り付いたままスピカが叫んだ。ユンシーだけでなく彼女にもそう見えるようだ。つまるところユンシーの手足は石になっていた。そしてじきにユンシーは石像になるのだろう。


「これも神力か。俺にも効くとはな」

「感心してる場合じゃないって!」


 スピカの最もな指摘にユンシーはそうだなと頷こうとしたが、実行はできなかった。

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