帰還

 代わり映えのしない景色が続いていたけれど、それでも私は夢中で眺めていたらしい。遠目ではあるけれども見覚えのある大樹の集中した森を発見してようやく私はあと少しでモーティスに到着することに気が付いた。

 最初に言い合いをして以来無言で周囲を見回していたユンシーの背中を軽く叩いて気を引いた。ユンシーがこちらを見てから、大樹の森を視線で示す。


「見て。あの辺りだけ大樹が集まってるでしょ。不思議じゃない? モーティスからも見えるんだけど、行ったことはないんだよね。ユンシーは行ったことある?」

「ある」

「あるんだ! どうだった?」


 興味津々で尋ねる。ただ、言葉を省きすぎたせいでユンシーは私の意図を飲み込めなかったようだった。


「どうだったとは?」

「気分が悪くなったりしなかった?」

「いいや。だが、あまり長居をしたいとも思わなかった」


 てっきりさっきの「ある」と同じ調子で「ない」と答えると思っていたから驚いた。人間じゃないユンシーにも何か感じるところがあったとするならやはりあの一帯には秘密があるのかもしれない。


「ユンシーでもそう思うんだ。じゃあやっぱり何かあるのかな」

「あそこに行った人間に何か起こったのか?」

「明確に何か起こっては……いないとは思うけど。ごくたまにだけどね、食料が足りないってときに男の人たちが狩りに行くんだよ。獲物は豊富にいるらしくて」


 大樹の森に狩りに行くときには、普段よりも長くそして大規模に神官の祈りが捧げられていた。選ばれるのは森と狩りに熟練した人だけだ。普段の狩りではフェックとモーティスに貢献できるという誇りに満ちた表情をしている人たちが、大樹の森での狩りのときには皆怖気に満ちた表情に変わっていたのが奇妙だった。


「狩りには向いている場所のようだが、たまにしか行かない理由は?」

「モーティスから距離があるからだって言われてはいるけど」

「他に理由がありそうだ」


 ユンシーが意味ありげに目を細める。大樹の集まる中心には一本の巨樹がそびえていた。


「又聞きでしかないけど、ここから離れなければいけないって考えに囚われてしまうからだって。長くいればいるほど、そればかり考えてしまって狩りどころじゃなくなってしまう……とか。モーティスに帰ってきてもしばらく元の生活に戻れなかった人もいたって聞いたよ。だからフェックの……実際には神官かな? とにかく偉い人の許可が下りないと行けないんだ」

「ふむ。人間の単なる思い込みと言いたいところだが。俺にもいくらか影響があったのが気になるな。フェックは何も調べていないのか?」

「調べてない……けど、私が知らないだけかもしれないし」

「そうかもな」


 今、鼻で笑わなかった? 無意識にフェックを庇うような言い方をしてしまったのが気に障ったんだろうか。どんどんユンシーの表情に感情が乗るようになっていっているのは私としてはとても嬉しいことだけど。ユンシーはそれを自覚しているんだろうか? 



◆◆◆



 街の名前の由来となったとされるモーティス湖の上に造られた大神殿。私たちはその遥か真上にいた。街も森も湖も夕日に染まりつつある。


「フェックは大神殿の一番上にいるんだな?」

「うん。聖域って呼ばれてる。ずっとそこにいるって話だけど」

「不在でないことを願おう。少なくとも、ここに来るまで奴の目のついた生物は見つけられなかった。君が襲撃してくるとは思ってもいないだろう。普段通りの場所にいる可能性は高い」


 なるほど。ユンシーが頻繁に周囲を見回していたのはフェックの監視網に引っかかっていないか確認するためだったのか。呑気に空の旅を楽しんでいた己が恥ずかしい。フェックの目について教えたのは私の方なのに。次からは私も注意しておかないと。ひとまず簡単な反省を済ませておく。

 ユンシーの背に回した手に力を込めた。


「襲撃するのはユンシーも一緒でしょ」

「そうだな。……恐ろしいか?」


 ユンシーの片手が後頭部に添えられた。引っ張るでも撫でるでもなくただ触れているだけ。それから無遠慮に顔を覗き込まれても私は拒まなかった。真っ向からユンシーと向き合う。くすんだ黄緑の目には再び星空が広がっていた。


「……うん。だけど、ここまで来て止めたりしないから。それに危なかったら逃げればいいんだもんね?」

「その通りだ」


 ただ触れているだけだった手のひらが後頭部を一度だけそっと押す。私はそれを激励と受け取った。私にできることなんてたかが知れている。ユンシーを信じて、危なかったら逃げて、生きるのを諦めない。そして、私のせいで失われる命を見届けること。きっとそれくらいだ。


「行こう」

「行くぞ」


 言葉が重なる。私たちは同じ方向を見つめていた。



◆◆◆



 四角錐の大神殿、その聖域に至るには本来長い石段を登る必要がある。しかしながらそれは地を歩くことしかできない人間に限る話で。翼はなくとも自由に空を駆けることのできる

ユンシーには当て嵌まらなかった。

 誰かに見咎められる前に素早く、かつ無音でユンシーは聖域の前に着地した。神官や兵士が集まってくる様子は今のところない。音を立てないように気をつけながらユンシーから離れた。すると心の奥底で不安がひょこっと頭を出しそうになる。念入りに埋め直しておいた。それからユンシーの真後ろへ移動する。

 ユンシーが振り返って聖域の扉を指差した。進むということだろう。私は了解と頷いた。

 重そうな石扉をユンシーが神力で開いていく。さすがに音が鳴るのは避けられない。フェックがよほど気を抜くか深い眠りに落ちていない限りは異変に気取られるだろう。

 私たちが通れる隙間が空いたところで、ユンシーが前へと進んだ。私もその跡を追う。扉を通り抜けても何の反応もなかった。人間の姿はない。そして聖域へ数歩入ったところで、ユンシーが朗々とフェックに呼びかける。


「モーティスの都市神フェック。お前に話がある」


 聖域には光源になる穴がいくつか作られていた。弱まりつつある陽光だけでは聖域全てを照らしきれず、また篝火には一基も火が灯っていない。そうして生じたいくつかの暗がりの一つに生命の気配があった。

 下方から視線を感じて、私はそちらを向いた。息を呑む。虚ろに光る赤い目がユンシーと私を見つめていた。


「――人間と、人間でないもの。お前たちは何者だ?」

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