Q&A

 涙がやっと止まり、鼻をかんで目元を裾で拭ってから私はユンシーと対面した。泣きすぎたせいで間違いなく目の縁は腫れているし鼻先も赤くなって間抜けに映るだろうけど、これでもさっきまでよりはだいぶ見られる方だと思う。


「どうするか決めたか?」


 私の顔面事情について言及されずに済んで安心したような、逆にここは突っ込んでほしかったような。複雑な心境だ。

 ユンシーから目を逸らさずに私は頷いた。ぐす、と鼻が鳴る。

 

「決めたよ。ユンシー、私は都市神様……フェックと取り引きをしたい」


 見知らぬ街の人々を犠牲にすることを決断したというのに、案外どこも痛くならなかった。それどころか底抜けの解放感に頭の先まで浸かっている。涙と一緒に良心や共感性も流れ出してしまったのかもしれない。


「分かった。君の決定に従おう」

「……ありがとう」


 ユンシーは私の決定に口を挟むようなことはせず、ただ受け入れた。今になって否定されるとは思っていなかったけれど、改めて言葉にしてもらえるとやっぱりほっとする。

 手つかずだった木の実を手の中で無意味に転がす。


「ところでユンシー。質問があるんだけど……」

「何だ」

「フェックと取り引きするための都市神様はどうにかするって言ってたけど、具体的にはどうするの?」

「殺して死体を持っていく。わざわざ生け捕りにはしない。面倒なだけだからな」


 答えになってなくない? と言いたかったけど物騒すぎる内容に言葉を失ってしまった。木の実を口へ放り込んで噛み砕く。変だな味がしないぞ。いつもより時間をかけてから飲み込んだ。


「……都市神様ってそんな簡単に殺せるものなの……?」


 私は都市神様をフェックしか知らないけれど、それでもユンシーが言うような気軽さで殺せるような存在だとは思えなかった。そもそも都市神様を殺すって発想に未だ馴染めていない。ユンシーは人間じゃないから私とは物事の捉え方が違ってくるんだろうな。

 続けて木の実と同じく放置されていた果肉を一房摘んだ。


「個体による」

「その言い方だと、もうどの都市神様を狙うか決めてるように聞こえるけど」

「詳しく知っているわけではないが……一度戦ったことがある都市神がいる」

「え!?」


 その話題は初耳だ。思わず手に力が入って果実を潰してしまう。指先が果汁で濡れるけれど、そちらを気にする余裕はなかった。

 私に潰されずに済んだ果肉が一房ふわりと浮かんでユンシーの手のひらに落ちていく。


「アハト。蜂窩都市ゼクスの都市神だ」

「アハト……どうして戦うことに?」

「奴が襲ってきたんだ」


 当時のことを思い出したのだろうか。ユンシーは顔をしかめている。一方で固い皮に守られていた柔い果肉を指で挟んだかと思えば空中に浮かせたりして手慰みをしていた。


「ユンシーを食べようとしたの?」


 ユンシー自身は都市神とは名乗っていないけれど、似たような存在だとは言っていた。だから他の都市神がユンシーを食べたら同じように力を得られるんだと思う。

 ユンシーが答えるのを待っていると、手の中に果肉がぽとりと降ってきた。結局私が食べるのか。遊ぶだけ遊んで押し付けてきた張本人を睨んでみてもどこ吹く風だった。更には耳を疑う発言をしてくる。


「俺が交尾する相手に相応しいか見定めようとしていた」

「こっ、交尾!? ……都市神様もそういうことするんだね。いや、私が勝手にしないと思い込んでただけなんだけど。そもそも都市神様に性別ってあったんだというか……」


 思いがけない方向からの展開に私は無関係だというのにしどろもどろになってしまう。

 都市神様は都市神様という区分って感じがしない? と言いつつユンシーのことは容姿や所作、それに喋り方で男の人として接していたか。

 フェックの性別については考えたこともなかった。目らしきものしか見たことないし、性別が推測できそうな呼ばれ方もしていなかったはずだから分からないな。


「それも個体によるだろうな。アハトは雌……女性形だ。自分の群れを作るのに執心しているようだった」

「…………」


 女性? の都市神様もいるんだと新しく学べて嬉しい気持ちはもちろんある。しかし、それ以上にここからどんどん卑猥な話が広がっていったらどうしようと戦々恐々としていた。

 猛烈な勢いで残りの果肉を頬張り始めた私をユンシーが不審そうに見つめている。


「どうした。俺はアハトと交尾していないぞ」


 危うく果肉を喉に詰まらせるところだった。肩を怒らせてユンシーに言い返す。


「! げほっ……そ、そんなこと聞いてないから! 結局どうして戦うことになったのか教えてよ!」

「使えない雄と言われて攻撃されたんだ。分身を少し潰してやったら逃げていった」

「……それはまた……理不尽だね……」


 状況が特殊すぎていまいち共感しづらい。でも急襲を受けながら無事でいられたのは心底良かったと思う。

 対するユンシーも私の言葉にあまりぴんと来てはなさそうだった。適当な相槌を打つでもなく続ける。


「手の内を全て見たわけではないが、勝てない相手ではないだろう」


 淡々としていたものの、言葉の端々から自信が感じられる。これまでの口ぶりも自分が負けるとはあまり想定していなさそうだった。ユンシーが以前に「死にたくなくて逃げた」と打ち明けていたのをうっかり忘れてしまいそうになる。


「じゃあ、フェックは? 交渉が上手くいかなかったら戦うんだよね?」

「どうだろうな。奴については君の方が詳しいんじゃないのか?」

「全然詳しくないよ!?」


 威張って言うことじゃないのは分かっているけども。ユンシーは物知りだし当然フェックについても情報を握っているかと……。


「具体的に知っていることは?」

「え、えーと……いつも湖の上にある大神殿にいて、街にはフェックの目が沢山あって……それで私たちを見てて? その目は人間にも貸せて、同じように遠隔で物を見ることができるようになる……みたいな」


 何もかもあやふやだった。喋りながらどんどん心細くなっていく有様だ。本当に何も知らないし、知ろうとしてこなかったんだなと思い知らされるのはこれで何度目だろう。


「その目は街の外にもあるのか?」

「街の外? ううん、ないけど……目か、目……そうだ! 目だけは見たことないけど、目が三つある不思議な鳥は見たことあるよ。フェックと関係あるかは分からないけど」


 森で一瞬見ただけだし、見間違いの可能性だってあるんだけど。三つある目のうち一つだけがフェックと同じ赤い目だったような……と続けて説明するとユンシーは考え込む素振りを見せた。私は私で今更周囲を見回して三つ目の鳥がいないか探してしまった。……いない。

 独り言に近いけれども私が聞き取れる大きさと速さでユンシーが呟く。


「人間以外にも目を植え付けられるのか? その上で意のままに操れるとするなら奴の監視網は思っているより広いかもしれない。強いかどうかは別だが……フェックはモーティスにずっとこもっているから情報がほとんどないんだ」

「あれ、都市神様ってそういうものじゃないの?」

「フェックほど自分の街に引きこもっている都市神は珍しい。奴以外の都市神はアハトのように外に出て活動することもある」

「そうなんだ……知らなかった。前から思ってたけど、色々と詳しいよね。調べたの?」

「適当にうろついていただけだ。他にすることもなかったからな。他に質問は?」


 ユンシーはそう答えると残りの木の実と果肉を神力で浮かべた。今度はどんな遊びをするんだろうと眺めていると、木の実と果肉は見えない力に全方向から押し潰されていって瞬く間に小さな球体に変貌してしまった。そしてそのまま球体はユンシーの口の中へと消えていって呑み込まれる。

 ユンシーは私を殺そうと思えばいつでも殺せるんだよね。ついさっきユンシーに(脅しとはいえ)殺されかけといて呑気にも考えてしまう。危機感が全然足りていない。でも、今の私が気にしているのはユンシーがどこか後ろめたそうにしていることで。かといって蛮勇をふるってしつこく尋ねることもできない。ひとまずは他の質問をすることにした。


「うーん……ゼクスってどこにあるの? モーティスからは遠い?」

「この森林を抜けた先にある高山地域にゼクスはある。モーティスからはそれなりに遠いが、歩いていくわけではないからな」


 どんな場所なんだろう。私が知っているのはモーティスとモーティス湖と周辺の森くらいだった。高山地帯というものを薄ぼんやり想像することすら難しい。そんなものが近いうちに自分の目で見られるのだと思うと心が躍った。何をしに行くのかというのはちょっと置いておこう。

 しかもユンシーの口振りからしてあれだよね。モーティスから逃げたときみたいに空を飛んでいくんじゃないかな。落ちたらって考えると怖いんだけど、空からじゃないと分からない風景を眺めるのがすごく楽しかったから。

 いや、でも、よくよく思い返すとユンシーは私を連れて行くとは明言していないような……。


「ああ、飛んでいくんだね。……って、ユンシー。私も連れていってくれるよね? 足手まといなのは……その……承知しているんですが……」


 ここで下手に出るのは逆効果じゃないか。だけど「は? もちろん連れて行くよね?」なんて強気には出るのは無理だ。何様なんだよ。

 そして恐ろしいことにユンシーはすぐに返事をしてくれなかった。まさかここで別行動になるかもしれないとは。


「え、何で無言? やっぱり置いていくつもりだった?」

「違う。端から連れていくつもりだった。君を一人にするわけにはいかないだろう」

「そ、そっか。それなら良かった……」


 安堵の息をついた。ユンシーが黙っていたのは私の間抜けな発言を受けて呆気に取られていたせいだったっぽいところには目を瞑っておく。 


「不安か? 危なくなったら逃げればいいだけだ」

「そういうものかなあ……」


 そこは胸を張るところじゃない気がする。だけど、戦う自信も逃げる自信も両方あるのは頼もしくもあるのかもな。

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